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秩父観音霊場巡礼旅 第2日 の1
7月16日(火曜)(晴れ)
第2番札所納経所・向嶽山・光明寺へ
実は、昨日の予定は、3番・岩本山・常泉寺まで巡る予定でしたが、
大幅に予定が狂い、1番・誦経山・四萬部寺で終わってしまった。
今朝も朝食前に、2番・大棚山・真福寺を参詣すべきところだが、
それもしていない。
歩き遍路の原則ならば、1番・誦経山・四萬部寺に戻り、そこから
今日2日目は、出発すべきではあるが、
老妻が午後まで、今日も同行したいと云う事に成り、
2番札所納経所・向嶽山・光明寺で御朱印を頂戴して、
ここから2日目の出発とすることにした。
昨夜の宿「民宿 弁天橋」は
光明寺の直ぐ近く。
朝食を頂き、支払いを済ませて、
直ちに光明寺に。
青銅製の仁王が、厳めしい形相で我
本堂に参詣し、「写経」を奉納し、
老妻と「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈った。
光明寺の縁起には、桓武平氏の始祖高望王の弟・恒望王が大同2年(807)当地で逝去、冥福を祈っ
武蔵7党の一つ丹党が、文保2年(1318)鎌倉建長寺より、法性国師物外を迎え、寺を整備し光明寺と改称。
南北上杉の抗争に、秩父谷は疲弊衰微し、再び永正14年(1517)
鎌倉建長寺五世春澤香梅を迎え
中興した。
小田原北条、甲斐武田、越後上杉
天正15年(1587)卿党は、地元越生・龍穏寺・朝谷禅師を迎え伝法開山し、曹洞宗に改め現在に至ったという。
秩父谷随一の格式を持ち、末寺真福寺(札所2番)、常泉寺(札所3番)、金昌寺(札所4番)、福蔵寺、秀林寺の五寺があった。
武甲山と相対しているので、
山号を向嶽山という。
タイムテーブル
民宿 弁天橋(8時35分)―2番納経所・向嶽山・光明寺(8時40分―9時05分)
第2番札所納経所・向嶽山・光明寺から第3番・岩本山・常泉寺へ
光明寺を辞し、3番・常泉寺に
向かう。
バス道にでて、近くに高篠温泉郷がある。
秩父茶屋を過ぎしばらくすると、横瀬川に架かる山田橋を渡る。
道脇の屋敷内に、農耕の神「宇賀神」の石碑は、珍しい。
江戸・日本橋・高橋兵衛はま夫婦が願主の「元禄・三番道しるべ石」道標があった。
田畑の一本道の先に、
3番・岩本山・常泉寺がある。
厳しい形相の仁王は石像で、
穢れる者を威圧する。
本堂に「写経」を奉納し、
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
本尊は聖観世音立像一木造りで、室町時代の作。
周囲には、長命水の井戸、
眼病平癒の不睡の石、子持ち石
などの伝説がある。
岩本山・常泉寺は三間四面、
一間の大唐破風の向拝、
向拝には龍の彫刻を施した
海老虹梁のかごほり細工。
彫士は熊谷玉井住人・飯田和泉と言われ、見事な出来栄えである。
昔、巡礼が十王堂に宿り誦経し、その声は里人の心を打ち喜ばれた。
光明が輝き、地を照らし、里人は驚き、十王堂に集まると、巡礼者はいずこかに消え、霊像が厳然と座していたので、驚き、堂を当地に移し、末永く安置した。
この縁起は、名主堀内家が常泉寺を建て、札所を移した事を物語っていると言う。
タイムテーブル
2番納経所・光明寺(9時05分)―山田橋(9時17分)―3番・常泉寺(9時26分−10時05分)
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秩父34観音霊場巡礼旅
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