|
秩父観音霊場巡礼旅 第2日 の2
7月16日(火曜)(晴れ)
第3番・岩本山・常泉寺から第4番・高谷山・金昌寺へ
常泉寺を辞し、
4番・高谷山・金昌寺に
向かう。
「この橋は 人と人とを結ぶ橋 心と心を結ぶ橋」と標石のある「ふるさと歩道橋」を渡る。
この橋は
別名「お止め橋」と言い、
昔大雨の後、
水かさが増した横瀬川を、
巡礼親子が渡ろうとしたとき、「渡るな、渡るな」との
観音の声で、助けられたと言う、民話が残っている。
横瀬川の渓谷は美しい。
古びた新木茶堂は
室町時代修験者や
観音参りの人々に
茶菓を接待したところと
聞く。
途中、秩父高篠郵便局に
立ち寄り、郵便風景印を
取得する。
キャノン電子(株)工場跡地が
あり、嘗ては 秩父市 の主要産業
として、大勢の従業員が
働いていた所だが、
今は僅かに、果樹園と
なっているようだ。
その隣接に
4番・高谷山・金昌寺があった。
本堂に参詣し、
「写経」を奉納し、老妻と
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を祈願する。
納経帳に御朱印を頂く。
高谷山・金昌寺は、
県指定民俗資料石仏群のある寺として知られ、
本堂は三間四面、
様式は唐風江戸中期の建築物で、本尊は十一面観世音立像、
室町時代行基上人の作と
言われている。
宝永年間より
江戸、北陸、山陰、山陽を
問わず、全国に分布する
信者から菩提供養奉納された
石仏一千余体がある。
中でも子育観音の石仏は、
宋朝様の形式をおび、
人目を奪う見事な像である。
昔、荒木丹下という者に、旅の巡礼娘が食を乞いたところ、「神国の米を佛に供するいわれはない」と打ち痛めた。
娘は「人は神の末なり。吾もまた人なるを、踏み叩くは、神を踏むに同じなり。神は親の心を教え、佛は自他平等を説かれたり」とねんごろに説いた。
ついに丹下は志を改め、
入道となり、
本尊供養に専心したという
縁起が有るという。
子育観音四態
子育観音四態
この観音様は、どこから見ても魅力的である。
子育て授乳の姿は、実に艶めかしい。
しかも見る場所、見る角度により、それぞれ違うお顔を見せ、
今まで、これ程艶めかしく、魅力的な、実在する女性を見たことはない。
台湾から観光に来たという、3姉妹の中老の婦人達に出会う。
一番下の婦人は、日本語が流暢で、しきりに話しかけてくる。
持参の台湾銘菓菓子を、振る舞われた。
中年男性運転のレンタカーで周遊している様子。
タイムテーブル
3番・常泉寺(10時05分)―お止め橋(10時15分)―秩父高篠郵便局(10時37分) ―4番・金昌寺(10時49分―11時51分)
第4番・高谷山・金昌寺から第5番・小川山・語歌堂へ
第4番・金昌寺を辞し、
5番・小川山・語歌堂に向かう。
キャノン電子(株)沿いに、
正面の武甲山に向かって進む。
先に5番納経所・長興寺に行き
「写経」奉納と、参詣祈願する。
納経帳にご朱印を頂戴し、
畑越しの道を5番・語歌堂に
向かう。
「写経」を奉納し、老妻と
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈願する。
昔、本間孫八なるものがこの堂を建てた。
孫八は和歌に親しむ風流人で、
独りこの堂で歌の構想を練っていた。
独りの僧が訪ね来て、歌道の話に及ぶと、夜を徹し歌道の奥義を論じ合った。
翌朝孫八が目を覚ますと旅の僧の姿がなかった。
後にこの僧が聖徳太子の化身で
あったことが判り、
この堂を語歌堂としたという。
山門の雷神は、
とてもユーモラスに見え、
まるで語歌堂のユルキャラ。
タイムテーブル
4番・金昌寺(11時51分)―5番納経所・長興寺(12時22分−37分)―
5番・語歌堂(12時42分ー50分)
|
秩父34観音霊場巡礼旅
[ リスト ]








