|
秩父観音霊場巡礼旅 第3日 の2
7月17日(水曜)(晴れ・夕方豪雨)
武甲山御嶽神社里宮と史跡城谷澤の井と秩父絹発祥の地
西善寺を辞し、
武甲山御嶽神社里宮を参拝する。
蔵造りの社に、左大臣、右大臣が鎮座まします。
赤塗りの神楽殿「武甲社」で、春秋の祭礼に、神楽が奉納されることで知られている。
里宮の隣には、
埼玉県指定史跡・「城谷澤の井」と「秩父絹発祥の地」があり、
永禄年間(1558-70)に、絹布染色に使われた井戸で、
秩父絹発祥の地と言われ、現在大小2つの井戸がある。
タイムテーブル
8番・西善寺(13時30分)―武甲山御嶽神社里宮・秩父絹発祥の地・城谷澤の井(13時35分−43分)
第9番・清泰山・明智寺へ
「里宮」「秩父絹発祥の地」から、
9番・明智寺に向かう。
「札所9番 横瀬駅」の道標に従い、小久保橋を
渡り行くと、西武線の高架橋、武甲山や山並み、
点在する部落住宅などが見える、見晴らしの
良い場所に出る。
更に道標に従い進むと、延命地蔵尊が立っていて、小鳥橋があり、この橋の下を西武電車が、堀割の中を走る。
その沿線の広い道を、横瀬駅に向かいだらだら坂を下る。
右側線路向こうは、三菱マテリアル横瀬工場の敷地に、事務所、社宅、工場が並び、道路左側は砕石置き場、そこには見たことの無い、大型トレーラーダンプが、引切りなしに走っていた。
「元禄・みき九番」道しるべ石の従い、進むと本堂が六角堂の9番・明智寺に到着。
「写経」を奉納し、
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈り、納経帳に御朱印を頂く。
境内には珍しく「文塚」があり、秩父特産の飾り繭玉が、七色に染め分けられ、奉納されていた。
明智寺は、建久2年(1191)明智禅師の開創と伝えられ、江戸時代の観音堂は5番札所・語歌堂と同時代同形式の三間五尺四面で建立されたが、明治16年落雷により焼失し、その後長らく民家風仮堂であったが、平成2年に再建された。
安産・子育ての観音として広く知られ、1月の縁日には、女性参詣者で賑わうという。 境内には、室町時代の「板石・塔婆」3基と、その昔、女性の願いを納めたという石碑「文塚」がある。
境内からは、先ほど通過した
三菱マテリアル工場、
三菱セメントの大きな煙突が、
武甲山を背景に
そそり立っている。
タイムテーブル
武甲山御嶽神社里宮(13時43分)―延命地蔵尊(14時02分)―9番・明智寺(14時17分−49分)
第9番・明星山・明智寺から第12番・佛道山・野坂寺
明智寺を辞し、12番・野坂寺に向かう。
明智寺で、横瀬駅から「姿の池」を、線路沿に周れば、近道だと教えて貰った。
横瀬駅を過ぎた頃、雲行きが怪しくなり、ポツリと雨が落ちてきた。
夕立が来るかなと、雨合羽のパンツは履き、上着は直ぐに着られるように、
雨降りに備え準備した。
線路沿いに「姿の池」を廻り、羊山公園の広い駐車場に、
差し掛かったとき、雨が降り始め、大きなトイレがあったので、
逃げ込んだ。
途端に稲光と共に雷鳴、バケツの水をひっくり返したような、豪雨の夕立。見る見るうちに、駐車場は水で溢れ出した。
「アーー濡れずに済んだ」
座る所が無いので、洋式便器の
蓋に腰掛けた。
幸い清掃が行き届いていた。
ドッカと越掛けて、雨止みを待つ。
腰掛けて思い出した。
今日は昼飯食って無かった。
リュックから携帯食料・カロリーメイトと缶詰を取り出し、食らう。
美味くないが、仕方ない!
40分程、トイレに閉じ込められた。
この格好、この行動、旅の一幕と、何か自分でも苦笑い!!
ようやく雨は、小降りになった。
直ぐ傍に、飲料水の自動販売機があり、お茶が飲みたかったが、
豪雨でそこにも行かれず、我慢していたところだ。
小走りに走って購入。
まだ止まないが、
次の野坂寺まで時間が無い。
小降りの中、誰アーーれも
居ない羊山公園を抜け、
牧水の滝を抜けて、急ぐ。
ギリギリに野坂寺に到着した。
野坂寺は室町時代の
開創当時には野坂堂といい、
札所12番野坂堂は、
この裏山の中腹にあった。
別の場所にあった野坂寺の
別当職が、これを管理していたが、寛保元年野坂寺6世
佛海和尚が現在地に野坂寺を
移し、野坂堂と一体にした。
入母屋造りの山門は同時代の
建立で、本堂は昭和48年
再建した。
寺の縁起によれば、その昔甲斐
の商人が絹の商いに秩父に来て、賊に遭遇、命が危ないとき、
一心に観世音を唱えると不思議
に難を免れた。
後に甲斐より秘蔵の観世音立像
を当地に安置し、堂を建立した
とされる。
先に納経帳に御朱印を頂き、
ゆっくり本堂に「写経」を
奉納し、「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈った。
牛に弥勒菩薩が乗った彫刻があった。
「怪力柳生の牛」とある。
「怪力柳生の牛」は昭和6年頃より戦後にかけ、米、麦、薪、炭などを
引き、芦ヶ久保・横瀬と秩父の間の坂道を往復し、大活躍した有名な牛で、当時普通の牛の3倍を越す一千貫(3.75トン)の荷車を引く様は、
正に山が動くようであったと言う。
昭和初期から、戦後復興期まで、当時トラックが無かった時代に、
人々の生活を支えた怪力の牛であった。
気性が荒く、主人以外の者は、側に近づけなかったという。
秩父出身の彫刻家・高橋敬秀氏が、昔の記憶を頼りに一年余をかけ
昔の雄姿を忠実に復元したものである。
「柳生の牛」の彫刻は、忘れていた時代の記憶を、まざまざと
思い出させてくれて、非常に興味があった。
歩くだけでも大変苦痛であるあの坂道、舗装も無かった当時、
人々の生活物資の運搬は大変であった事は容易に想像できる。
峠超えの苦痛が、まざまざと蘇ると同時に、遠い昔の記憶まで蘇ってきた。
当時の記憶から、東京の街中にも、トラックなどは一台も無く、
重い大きな荷物の運搬は馬車、牛車で、
小さな荷物は人々が「大八車」で運搬したものであった。
戦後復興期が終り、車社会と成り、トラックが発達した陰で、
荷を引く牛馬が居なくなり、百年単位の長い年月をかけ育て改良した
「柳生の牛」も、時代とともに消え去り、忘れ去られ、絶滅したのだ。
この50年の世の中の変化は、非常に激しい。
野坂寺を辞し、30分ほど歩き、宿ホテルルートイン秩父に到着。
タイムテーブル
9番・明智寺(14時49分)―横瀬駅(15時28分)―姿の池(15時31分)―雷・豪雨夕立(15時38分−16時20分)―羊山公園(16時27分)―牧水の滝(16時35分)―12番・野坂寺(16時56分−17時09分)―ホテルルートイン秩父(17時45分) 今日の御朱印
第 6番 向陽山 卜雲寺 第 7番 青苔山法長寺
第 8番 清泰山 西善寺 第 9番 明星山 明智寺
第12番 佛道山 野坂寺
今日の郵便風景印
芦ヶ久保郵便局
埼玉県秩父郡 横瀬町芦ヶ久保603−1 〒368-0071
意匠:特産品プラムと獅子岩にカタクリの花を描く
切手:ふるさとの花シリーズ 第2集
使用:平.12.10.01
横瀬郵便局
埼玉県秩父郡 横瀬町横瀬1954−2 〒368-0072
意匠:武甲山の紅葉にかわせみと秩父岩桜を描く
切手:ふるさとの花シリーズ 第2集
使用:平.12.11.01
今日の万歩計
22,330歩
15.18km (参考距離)
(山道歩行の為、正確な距離では有りません)
今日の会計
納経料 ¥1,500 (5ヶ寺)
宿泊費 ¥7,300 (鼓美音旅館・一泊朝食)
¥6,900 (ホテル・ルートイン秩父・一泊朝食)
食費・飲料水 ¥1,210 (夕食・ペットボトル4本)
交通費 ¥310 (芦ヶ久保・横瀬)
本日会計 ¥17,220
|
秩父34観音霊場巡礼旅
[ リスト ]





