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秩父観音霊場巡礼旅 第4日 の2
7月18日(木曜)(晴れ)
今宮神社から第15番・母巣山・少林寺へ
今宮神社の境内から、一歩外に出ると、そこは住宅街で、商店街も近い。
秩父鉄道 ・お花畑駅 の脇道の、昔賑わったと思われる商店街の、踏切を渡る。
榎の大木の周りを、石垣で囲い、小さな御社が
鎮座していた。(山の神)
昔はさぞ繁盛していたと思われる酒屋に、
秩父銘酒の看板が、色あせて並んでいた。
その先には、 秩父市 役所がそびえ立つ。
線路に沿い進むと、
15番・少林寺の裏手に着いた。
裏手の駐車場からの武甲山は、
快晴の青空に聳えていた。
寺の前を、砕石を積んだ貨車が、ゆっくり通り過ぎていった。
少林寺には、秩父事件に殉職した
埼玉県警・青木与一・窪田鷹男の
両警部補の墓石が建立されている。
秩父事件は、明治17年11月、
山に囲まれ平和な里秩父は、
狭い耕地に、養蚕で生計を立てて
いたが、生糸相場の下落に、現金
収入の道が閉ざされ、夜逃げ、
屋敷を取られる者が続出した。
膨れ上がった。
軍隊が出動し、各地で激戦、信州にも侵入
したが、鎮圧された事件。
今の世界情勢にも似た事件で、決して他国の出来事ではなく、
現在の日本でも起こりうる事件。
本堂に「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
タイムテーブル
今宮神社(10時39分)―15番・少林寺(11時04分−24分)
第15番・母巣山・少林寺から秩父神社
少林寺を辞し、秩父神社に向かう。
本堂の前の石段を下り、秩父鉄道の踏切を渡り、商店街に出る。
商店街の突き当りに、秩父神社がある。
崇神天皇の世、知知夫国初代国造に任ぜられた知知夫彦命が、祖神・八意思兼命を祀ったことに由来する。
戦国時代の末、兵火により焼失し、天正20年(1592)徳川家康が代官・成瀬
吉衛門に命じ再建した
建物が現在のもの。
建築様式は本殿、幣殿、拝殿の三棟よりなる権現造りで、極彩色に彩られた数多の彫刻群に覆われた豪華な造りで、埼玉県指定の文化財。
タイムテーブル
15番・少林寺(11時24分)―秩父神社(11時39分―52分)
秩父神社から第16番・無量山・西光寺
秩父神社を辞し、
第16番・西光寺に向かう。
本町の交差点には、昔ながらの土蔵造りの建物がある。
秩父ふるさと館の脇道を行くと、
此処にも古い建物が残っていた。
秩父銘仙で栄えた町並みが、歴史が
残っていた。
地図を見落とし、
ぐるぐる回りながら、
第16番・西光寺西参道
の看板を見つける。
天明3年浅間山大噴火は、
秩父地方にも降灰を降らし、
人畜田畑に被害をもたらし、
その上天明大飢饉と重なり、
多数の餓死者をだした。
西光寺住職法惇和尚は、
供養のため88佛回廊堂の建立を
発願し、十年の歳月をかけ完成、
五穀豊穣、天下泰平を祈願した。
このような回廊堂が、地方の小寺院に建立されたのは、極めて稀で、参拝者で賑わったという。
本堂は、宝永7年造立で、
本堂正面欄間に、珍しい
「釈迦涅槃像彫刻」が掲げ
られている。
左右に釈迦涅槃に合掌する
諸仏の姿が、刻まれている。
本堂右入り口から、
四国88ヶ佛を祀る回廊堂が
あり、弘法大師特別霊場に
なっていて、この回廊を巡ることで、四国88ヶ所札所を巡る、御利益を受けることが出来るという。
本堂に「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を
祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
山門の脇に、秩父中村郵便局があった。
此処で風景印を捺印してもらう。
秩父神社(11時52分)―秩父ふるさと館(11時54分)―16番・西光寺(12時23分−48分)
第16番・無量山・西光寺から第17番・実正山・定林寺へ
西光寺を辞し、17番・定林寺に向かう。
秩父公園橋に通じる道路から、わき道に
入り目指すと、何やら畑に出てしまった。
道を聞きたくとも、聞くところが無い。
多分この方角だと、畑の中を突き進む。
農耕の神「宇賀神」の立派な碑があた。
とうもろこし畑の向こうに、
入道雲が沸き立つ、武甲山があった。
17番・定林寺にたどり着く。
本堂は、四間四面の簡素な
つくりで、内陣は阿弥陀堂の
ように、念仏回廊が回っている。
本尊は、十一面観世音立像、
文禄2年開眼の墨書。
梵鐘は、秩父、坂東、西国の百霊場、百観音の御本尊が浮き彫りに鋳出され、百ヶ寺の御詠歌が刻まれる貴重な工芸品。
埼玉県の文化財に指定されている。
宝暦8年(1758)の作。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を
祈り、納経帳に御朱印を頂く。
タイムテーブル
16番・西光寺(12時48分)―秩父中村郵便局(12時49分)―17番・定林寺(13時42分−14時13分)
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秩父34観音霊場巡礼旅
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