|
秩父観音霊場巡礼旅 第6日 の1
7月20日(土曜)(晴れ)
小野原稲荷神社
今日帰宅する積もりで、起きた。
体調は快調とまでは行かないが、
歩きには耐えられそうに感じる。
(朝7時半撮影)
庭に出て、山並みを眺めたら、
雲がかかり、うす曇の天気である。
宿の主人に尋ねると、今日は
「うす曇の天気で、昨日より日差しが
緩やか。雨は降らない」 とのこと。
今日も遍路旅を続けてみることにした。
20番から25番は 秩父市 内に近いから、巡れず残しても、
次に巡る時には、楽であろう。
「此処からなら、32番が近い」 と宿の主人の言葉に、宿を10時に出た。
今日は大分遅い出発となってしまった。
まず今日は、32番・法性寺だけにしよう。
宿から10分位のところに小野原稲荷神社がある。 国道140号線・彩甲斐街道の荒川に架かる荒川橋を過ぎ、柴原温泉・ 小鹿野町 ・ 皆野町 に抜ける県道43号線の入り口に、立派な大きな赤鳥居が、稲荷神社の大鳥居である。 民宿・山宝はすぐ右隣。
この稲荷神社の歴史は古く、7世紀半ばといい、12世紀末畠山重能、重忠の
改営・参詣もあって、天正18年鉢形北条の家臣横田が造営、宝暦年間(18世紀
半ば)には伏見稲荷を勧請、社運隆盛と
なったが、昭和36年火災で焼失。
石垣は享保
18年(1733)、たまたま飢饉の最中で、窮民を救う米穀を施したところ、神徳に感じた人々により、築き上げられた。
構築上、稀な宮勾配が施され、扇勾配状の外形の輪郭が際立つ特徴で、市指定文化財。
昔語りに、孝徳天皇
大化4年、日照りが続き作物が枯れてしまいそうに成った。
困り果てて、高根山の中腹の大岩を神座として
雨乞いをしたところ、たちまち雨が降り作物が
生き返り、豊作になったので、神の恵みを謝し、社を建て、謹んで神々を祭ったのが、
この神社の始まりという。
御祭神は「宇迦之御魂命(ウカノミタマノミコト・農作物の守り神)と神武天皇(初代天皇)
第32番・般若山・法性寺への道
稲荷神社を出て、舗装された県道43号線・
皆野・荒川線、薄暗い杉林、雑木林に覆われた
舗装道路を歩く。
車も通らず、人影はまったく無い坂道を、
登り下りして20分程に、人家がまだらにある、柴原温泉・薬師の湯・かやの家があった。
更に県道を
ひたすら歩き、羽黒神社に。
羽黒神社には、町指定の文化財「長留の獅子舞」「羽黒神社の笠鉾」「羽黒神社の舞殿」と地域文化の継承が盛んである。
長若羽黒山・温床温泉の看板があり、
此処にも温泉が在るんだなと感じつつ、
蕨平交差点に。
道端には供養塔、道しるべ、地蔵尊などの石仏・石碑があちらこちらにあり、昔からの遍路道の歴史をそのまま伝えている。
蕨平交差点は、右折すると秩父巴川温泉、24番・法泉寺に抜ける
小鹿野警察・長若駐在所、郵便局、学校、長若中学校には標高242mの標識杭が目に入った。
長若中学校まえの、長若交差点を左折し、久保バス停、般若川に架かる落合橋を渡る。
老人に「ご苦労様です」と
挨拶され、しばし、立ち話をする。「この辺、般若という地名です」「幾つですか」「幾つに見える?」「さー、?」「4年生まれだよ」「え!そんな齢」「証明書を見せようか」「この辺、立派な家が多いが、やはり、昔、生糸で栄えたから?」「この辺は農家ばかり。倅は別暮らしで、直ぐ、この先に住んでいる」
他愛無い話だが、会話の無い、独り旅には無性に嬉しい!!!
小鹿野町文化財・聖天宮(秩父大神社)は、「聖天様」として親しまれ、創建記録は明らかではないが、32番法性寺の近く「歓喜天(聖天)」を祭ったのが起源とされ、「聖天社」と称し、秩父神社の祭神を勧請し、「秩父大神社」と改称された。 現存社は寛政8年(1796)の再建。 入母屋造り、4面千鳥破風、唐破風が付き、柱、桁廻りの精巧な彫刻と彩色が施されている。
法性寺の山門は秩父34霊場のうちの唯一の鐘楼門である。
法性寺は曹洞宗の寺院で、宝永4年(1707)の再建、建造以来300年風雪に耐えてきた観音堂の老朽化に、平成13年に全面改修された。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、
納経帳に御朱印を頂く。
越後屋旅館に電話して、今夜の宿をお願いする。
タイムテーブル
民宿・大宝(10時00分)―小野原稲荷神社(10時12分―25分)―柴原温泉郷(10時43分)―羽黒神社(11時13分―15分)―羽黒山温床温泉(11時21分)―蕨平交差点(11時26分)―長若交差点(11時54分)―落合橋(12時28分)―聖天宮(12時32分―36分)―32番・法性寺(12時42分−13時27分)
|
秩父34観音霊場巡礼旅
[ リスト ]





