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秩父観音霊場巡礼旅 第7日 の1
7月21日(日曜)(晴れ)
第31番・鷲窟山・観音院へ
床の間に、女将心尽くしの、花一輪が活けてある。
宿・越後屋の前にバス停がある。 朝でも、メイン道路ではあるが、人通リも無く、車の往来も疎らである。
西武バス・ 小鹿野町 立病院前から、貸切状態のバスに乗車し、栗尾まで向かう。
栗尾のバス停前に、「十一面観音堂」「馬頭観音」「元禄・石塔」が、立ち並んでいた。
バスの時間表をチェックし、「札所31番・観音院2,7km」の、標識に従い道を入る。
「県立西秩父自然公園」の標識、「花街道」の案内板、牛・馬を飼う牧場、だんだんと山が迫ってくる。
「安政・三十一番入口」の石碑、「庚申塔」「大勢至菩薩碑」「石
やがて山間を流れる、岩殿沢に架かる、擬宝珠のついた赤い橋を渡ると、「たらちね観音」があった。
「たらちね観音」は、院主・手島了風師により昭和43年に開山したと、案内板に掲示され、「観音7不思議」の霊験が成就すると記載されてあった。 弘法大師より百数十年前に「役の行者」が、中国伝来の思想・医薬術を会得し、修験道の開祖と「吉野」に崇められ、その霊示を受け秩父の地にも、祀ったという。
その脇に「大日如来坐像」「安永・文化の石仏3体、石塔2柱」を祀る「大日堂」がある。 「岩殿沢」は清らかである。
更にその先に「文化(1815)・十二丁目石と馬頭観音」と、いずれも古い石碑が立ち並んでいた。
しばらく行くと、「観音茶屋」「山田や」の茶店があったが、閉まっていた。
地蔵寺があった。 山が切り開かれた、地蔵寺の墓地には、幾千もの、いや、万に近いのではないか、小さい地蔵が立並んでいた。見るとそれぞれ赤い風車を持って立ち並んでいる。
地蔵の台座には、住所・氏名が刻まれ、正面には県名が大きく刻まれ、日本全国からの水子供養者が、供養したことが認識できる。 どうやら、水子のみ供養する寺らしい。
舗装道路は「観音トンネル」を抜ける。その先に、「大竜寺温泉源泉地」なる建物があった。「温泉法による許可書」と「温泉成分表」が表示されていた。
鬱蒼と茂る杉・雑木林、路肩のガードレールの柱に、秩父霊場・四国霊場の寺名が、順番に付けられている。
此処を通ることで、札所巡りが出来る趣向かな? 程なく31番・観音院の山門が見えてきた。
31番・観音院山門・仁王門に着いた。 仁王は一本石造り仁王尊 秩父郡日尾村・黒澤三重郎 信州伊那郡・藤森吉弥両名作 明治元年完成。
これより、段数296段・標高差53m、距離232m 石段を30分以上かけて登った。
石段の数は、般若心経・276文字、回向・20文字、合わせて296段、この文字数に合わせた段数といわれる。 お経を唱えながら登ってくださいとあった。
お経を唱えながらと言われても、どうもお経と、登る呼吸とがうまく逢わず、上手く行かなかったョ。
石段脇には、多くの俳句愛好者が、奉納した句碑があり、登る呼吸を整えるに、都合がよかった。
石段の登り口に、「熊出没注意」、中腹に「落石注意」の大書した警告板。 やはり山は深いのだ。
西方浄土と照見し、境内の岩壁に南無阿弥陀仏の名号を刻し、弘法大師一夜彫りといわれる「鷲窟磨崖佛」がある。 東奥の院には数十体の石仏群、山頂には宝匡印塔、芭蕉句碑などがある。
本尊は聖観音像、霊験記によれば、畠山重忠が狩猟の折、鷲の巣が在り、家臣に矢を射させたが、再三矢が跳ね返され,不思議に思い巣を見れば、中に聖観音おわし、里人の言い伝えられる、
昔、行基の刻んだ観音
像なりと、本堂を建立安置せしめた。
その後盛衰あって、幕末の頃、本堂、境内を整備した。
本堂後方の岩上より落下する20m余の清浄な滝がある。
およそ3000万年前の海底に小石や砂が積もって出来た礫質砂岩の岩肌に、鷲窟磨崖佛が刻まれている。
岩肌の上部に「南無阿弥陀仏」と大きく刻まれ、その下に高さ18cmの坐像・立
群像の磨崖佛としては、県内では例がない貴重なもの。
東奥の院にある芭蕉句碑香塚 「清く聞かん 耳に香たいて 子規(ホトトギス)」の句が刻まれている。 江戸時代の建立。 背後に観音院の断崖が見える、見晴らしの良い場所にある。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
独り中年男性の参詣者があり、証拠写真のシャッターを、押して貰った。
タイムテーブル
越後屋旅館・小鹿野病院前バス停(7時40分発)―栗尾バス停(7時49分着)―安政・21番入口碑(8時09分)―たらちね観音・大日堂(8時15分−24分)―地蔵寺(8時40分)―観音トンネル(8時48分)―大竜寺源泉地(8時54分)―31番観音院山門・仁王門(9時01分−15分)―31番観音院(9時47分−10時32分)
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秩父34観音霊場巡礼旅
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