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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第9日の1 平成29年8月 7日(月曜日)(晴れ)
JR京浜東北線・ 蕨 駅 7.04―浦和駅 7.19 ¥1940 JR宇都宮線・ 浦和駅 7.19―小山駅 8.15
JR水戸線・ 小山駅 8.22―笠間駅 9.17
第23番 佐白山観世音寺 (佐白観音) 納経帳記載御朱印 ¥300 他 滞在時間 10.10−10.50
笠間駅前の道を北に行く。(時間 9.25)
江戸時代初期、安政期(1854−9)に笠間藩校「時習館」が建てられた。 明治以降学校用地となり,旧笠間藩主牧野家邸、町役場もあった。(時間 9.54)
元和8年(1622)、笠間藩主となった浅野家5万石、笠間城の家老大石良政の屋敷跡で、その後笠間藩主・浅野長直は正保2年(1645)に赤穂へ国替えとなった。 大石良政の子、大石内蔵助良雄が「忠臣蔵」物語の赤穂藩国家老である。(時間 10.05)
笠間日動美術館では、「不思議がいっぱい、迷宮の絵画展」という絵画展が開かれていた。 (時間 10時06) 「23番正福寺は」そのすぐ近く。(時間 10.07)
観光バスの一台、バスツアーの人々を乗せて、参詣していた。
「佐城山縁起」によると白稚2年(651)に狩人・粒浦氏により開創で、白馬,白鹿、白雉が守っていた霊木で千手観音を刻み三白正福寺と称した。孝徳天皇の特願所となって、奈良・平安時代関東有数の霊場となった。
建保2年(1214)宇都宮氏の一族、時朝が正福寺の堂宇も僧侶も滅ぼし、そこに築城し笠間氏を名のったのが,佐白山で、時朝は笠間城を建てたが、多数の僧侶の亡霊に悩まされ、観音堂を再建した。
その後400年笠間氏は正福寺を信仰するが、天正18年(1590)、笠間氏は宗家・宇都宮氏に滅ぼされた。 昭和5年の現本堂が建てられ、寺号を観世音寺と改めたという。
佐白観音を辞し笠間駅に戻る。 徒歩2km(10.50−11.30)
佐白観音に、行きは地図を片手に慎重に進んでいった。 単純な経路だったので帰りの道は、間違いなしに駅まで戻れると思った。
ところが、中間点の食い違い交差点を、右折し左折するところを、直進したので、一本道路違いに気付かず、街並みも同じように見えたので、駅に直進するとばかり思い込み、電車の時間ばかり気にしながら進んだ。
ところが線路踏切と交差して初めて気付き、慌てて駅に抜ける道を探したが、だいぶ戻らないと、駅へ抜ける道が無かった。
急ぐが、聞く所もなく、地図を片手に探し回りする間に、電車が到着し、発車する音を聞いた後に、やっと駅に到着、僅か2分の差で、次の電車を1時間と1分待たなければならなかった。
行きも帰りも僅かの利を求めて、裏道を選んだのが、失敗だった。
ただ逆に、今日は昼食が取れずに、携帯食かと思っていたところ、昼食を取る時間が出来た幸運もあった。
あまり商店のない駅前を見渡すと、ただ一軒の洋食屋があり、そこで昼食を取ることにした。
当日予定の時刻表
(JR水戸線・笠間駅 11.24―下館駅( 11.59 −12.02)−益子12.43
(真岡鉄道・下館駅 13.01−益子駅 13.41)
当日行動した時間表
JR水戸線・ 笠間駅 12.27―下館駅 12.59 ¥500
JR水戸線・ 下館駅 13.26―岩瀬駅 13.42 ¥240
本日の第2の失敗
笠間駅に戻って、計画より1時間遅れの電車で、次の第20番西明寺に行くべく、下館駅で真岡鉄道に乗り継いで、益子駅に行くはずであった。 下館駅の接続時間は2分。
充分間に会う接続時間と思っていたが、乗車券の買替えに改札を出たのが間違いの基。
乗車券を買おうとしたら、発車時間だから「そのまま、車内で買ってくれ」「急いで!急いで!!」 と促され、ホームを駈けたが真岡鉄道はホームの端の端で、間に合わなかった。
慣れた者なら乗り換えも簡単だが、初めて降りた駅、状況も分からぬ老人が、モタモタもたつき乍ら跨線橋を渡っての、乗り換えは2分では無理だった。
時刻表を見ると、次の益子行きは、下館発14時31分、到着15時18分。 まだ1時間半以上時間があるが、また到着してから徒歩4kmだと、西明寺への道中状態がわからないので、寺院の開門時間に対して、余裕がない。
色々頭を巡らせ、資料を一覧して、第24番雨引観音に変更するのが、今の状況では ベスト。
下館13時26分発、岩瀬13時42分着、徒歩5km70分、これなら行動時間の余裕がある。 乗って来た電車を、又途中まで戻ることに成るのだが。
24番雨引観音楽法寺をめざす。
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