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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第1日の5
平成29年7月15日(土曜日)(晴れ)
第4番 海光山長谷寺 (長谷観音)
滞在時間 15.30−16.30
拝観料¥300 納経帳御朱印 ¥300 他
入口で拝観料¥300 を納め、隣の納経帳御朱印記載の窓口で、納経帳を預けて番号札を貰う。
帰りの出門時に、記載済みの納経帳を受け取れば良いのである。
参詣者が多い所は、合理的に事務が進む様になっている。
長谷寺の縁起によれば、養老5年(721)大和・長谷寺の開山・徳道上人は,一本の楠の霊木から観音像を建立しようと祈願したところ、2人の仏師が現れ、三日三晩で観音像を2体作った。
この観音像の開眼供養した行基上人は 「衆生を救う」ためと、一体を海に流したところ、天平8年(736)その観音像が三浦半島に漂着し,漁師が引き上げた。
大和・長谷寺の開基・藤原房前が、鎌倉に新長谷寺を創建し、徳道上人を招いて開祖した。
十一面観音は大和・長谷寺の本尊と鎌倉・長谷寺の本尊は「同木異体」と言われている。
高さ9.18mで足利尊氏が金箔を施し、足利義満が光背を作ったと言う。
まばゆい金色に輝く巨大な十一面観音菩薩像。
観音の慈悲に包まれる一瞬である。
鎌倉の海
広い境内に、人が溢れている。
2番札所・岩殿観音では、参詣者がまばらの数人、3番札所・田代観音では参詣者が一人もいなかったが、4番札所・長谷観音には、広い境内に人が溢れていた。
観光客の多い、特に観光ツワー客が多い観光寺か、巡礼者のみが訪れる寺かによって,かくも違いがはっきりとしているとは思ってもいなかった。 やはり長谷観音は、東京・浅草寺と同様に、外国観光客に人気の寺院であった。
大変な強行軍だったので、鎌倉大仏には参詣せずに、足を引きずって、よろけながら帰宅する。
徒歩0.5km 16.30−16.50
江ノ島電鉄・ 長谷寺駅 17.03−鎌倉駅 17.15 ¥190
JR横須賀線・ 鎌倉駅 17.27−横浜駅 17.54 ¥1250
JR湘南新宿ライン線・横浜駅 18.43―赤羽駅 19.33
JR京浜東北線・ 赤羽駅 19.40―蕨 駅 19.48
御朱印 1番・大蔵山杉本寺(杉本観音)
御朱印 2番・海雲山岩殿寺(岩殿観音)
御朱印 3番・祇園山安養院(田代観音)
御朱印 4番・海光山長谷寺(長谷観音)
第1日目のタイムテーブル
自宅 7.20―徒歩 1.3km−蕨駅 7.45―交通機関乗車―鎌倉駅 9.30―徒歩1km―鶴岡八幡宮(9.55−10,20)―徒歩 1km―1番 杉本寺(10.40−11.30)―徒歩 5km―2番 岩殿寺(13.00−13.35)―徒歩 4km― 3番 安養院(14.30−14.50)―徒歩 3km―4番 長谷寺(15.30−16.30)―徒歩 0.5km―長谷駅17.00―交通機関乗車―蕨駅19.50―徒歩 1.3km ―自宅 20.10
本日歩数記録 28804歩 歩行距離 17.0 km
交通費 ¥2690 納経帳及び記載・他 ¥3500 食事・ボトル茶¥1550
本日総経費 ¥7740
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第1日の4 平成29年7月15日(土曜日)(晴れ) 第3番 祇園山安養院 (田代観音) 滞在時間 14.30−14.50
納経帳御朱印 ¥300 他
尼将軍と言われた北条政子が、夫の源頼朝の冥福を祈るため、佐々目ヶ谷に建立した祇園山長楽寺が前身で、その後鎌倉時代末に善導寺跡(現在地)になったと言う。
安養院は北条政子の法名。
延宝8年(1680) に全焼し、頼朝の家臣・田代信綱が建立した田代寺の観音堂を移し、「祇園山安養院田代寺」となった。
境内に鎌倉市指定の天然記念物・樹齢推定700年「槇(マキ)」の老木がある。
田代観音を辞し、長谷寺に向かう。
鎌倉駅を目指し、進むと大町四つ角交差点に、そこを右折すれば鎌倉駅に、左折すれば由比ガ浜・材木座海岸へ、直進すれば横須賀線ガード下を抜け若宮大路交差点、それをさらに直進すると江ノ電踏切、それを渡り、由比ガ浜大通りに。
賑やかな由比ガ浜大通りに沿って、商店を探索しながら、江ノ電・由比ガ浜駅、更に長谷駅と、段々と人で賑わってくる。
その先が長谷寺であった。
大勢の外国人観光客、中国、台湾、東南アジア系が多いようだった。
岩殿観音、田代観音を訪ねる人は殆どなく、ひっそりとしていたが、対照的に長谷寺は、人、人、人で賑わっていた。
徒歩 3km 14.50−15.30
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第1日の3 平成29年7月15日(土曜日)(晴れ)
第2番 海雲山岩殿寺 (岩殿観音) 滞在時間 13.00−13.35 納経帳記載御朱印 ¥300 他
岩殿寺の縁起によれば皇統45代・聖武天皇の勅願により、長谷寺開山・徳道上人が下向された時とされ、行基上人との両聖人の開基という。
正暦元年花山法王が來山し供養を営まれ、後承安4年後白河法皇が來山され、坂東第二番霊場と定められた。
源頼朝の信任厚く、大いに信仰を集めたという。
何十段もの石段を登った境内は、鎌倉が一望できる場所ではあるが、とに角「石段登り」は過酷を極め、遍路旅じたいの挫折をも、頭に描くほど。 しばし景色を眺め休みして、やっと正気に戻る事態である。 やはり計画が無理だったか??? しばし呆然の態!!
岩殿寺を辞して、横須賀線沿いの道路を鎌倉方面に引き返し、久木交差点過ぎの横須賀線踏切を渡り、道なりにしばらく行くと名越切通トンネル。
鎌倉は前方が海に、左右と後ろを山に囲まれた平地は、 当時、刀・槍や弓・矢での戦の時代、外敵を防ぎ易い天然の要崖であったため、この地を都として、鎌倉幕府を開き栄えた。
源平の合戦、源頼朝の台頭、北条氏の執権・幕府、元寇との合戦、日蓮上人の事件など、この地に纏わる数々の物語が生まれた。
その中の名越切通しは、今はトンネルだが、当時は切り通しの、鎌倉に通じる、最重要な通路であった。
トンネルを抜け、しばらく行くと横須賀線踏切、その先に田代観音が右手にあった。
その距離、岩殿寺より約4km。
徒歩 4km 13.35−14.30
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第1日の2
平成29年7月15日(土曜日)(晴れ)
第1番 大蔵山杉本寺 (杉本観音) 滞在時間 10.40−11.30
拝観料¥200 納経帳¥1700 記載御朱印¥300 他
入口石碑に、「本尊十一面観音菩薩像」と刻まれ、石段数段登ったところに小屋があり、そこで拝観料¥200が徴収される。
数十段の石段を登ったところに山門がある。 茅葺の風格ある仁王門であった。
仁王門をくぐり、さらに苔のむした石段が数拾段続いている、その先が本堂と思しきただ住まいであった。
本堂までの、石段は老人にとっては、非常に厳しかった。 何度も中休みしながら、やっと登りきる。
杉本寺の縁起によれば、天平6年(734年)、光明皇后の願いにより大臣・藤原房前と僧・行基菩薩に命じて、堂宇建立し、行基自ら刻んだ十一面観世音を安置した。 次に仁寿元年(851)に慈覚大師がここに参篭して十一面観音を刻み,寛和2年(985)僧・源信が花山法王の命により十一面観世音を刻んで安置して、併せて坂東第1番の札所と定め、法王自ら御巡礼された。 源頼朝公御堂再興し、建長寺開山大覚禅師が観音堂に参篭祈願した。 今日まで貴賤を問わず巡礼が絶えないという。
本堂で納経帳を求め、御朱印を頂く。 参詣者も多く、御朱印を頂くのに、5・6人の列ができた。
入口の小屋で、徒歩の巡礼を告げ、「第2番・岩殿観音」への道を尋ねると、地図を頂き、激励された。 どうやら徒歩巡礼者は、大変に少ないようである。 便利に使わせて頂いたので、下記に転写した.
杉本寺を辞して、住宅地を通るバス通りを、東に2km程歩くと、コンビニ・ミニストップのある道路にぶつかる。
住宅街の山道は不慣れな者は、道に迷い安いので、大きな通リが無難だろうとの、地図を渡された時のアドバイスであった。
鎌倉の起伏のある住宅街である。 昔で云うなら峠越えであろう。
コンビニ前の大通りを右折。
新興高級住宅地のメイン通リ・ハイランドさくら並木道路で、両側高級住宅が立ち並び、さくら並木が立ち並ぶ広い通りは、登坂の続く坂道で、老人には結構厳しく、幾度も、何度も立ち止まっては、呼吸調整しなければならなかった。
こんな状態では、今後に続く遍路旅が、案じられる
3kmばかりの道のりのハイランドさくら通の峠道でした。
久木交差点手前の小公園で、携帯食での取敢えずの軽食と休憩をとる。 今日はどこまで行けるのか?…・・昼食を摂る時間がないかも知れない、店がないので昼食が取れないかも知れない、都合の良い店がないかも知れないと思い、携帯食・非常食と飲料水は充分用意することを心掛けた。
横須賀線の線路わき道路を逗子駅方面に向かえば、「第2番札所・岩殿観音」。
徒歩 5km 11.30−13.00
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第1日の1
平成29年7月15日(土曜日)(晴れ)
巡礼旅の始まり
JR京浜東北線・ 蕨 駅 7.50―赤羽駅 7.58 ¥1250
JR湘南新宿ライン線・赤羽駅 8.04―戸塚駅 9.07
JR横須賀線・ 戸塚駅 9.18−鎌倉駅 9.30
鎌倉駅
遍路旅の 始まりの鎌倉駅。
天候に恵まれ、夏の日差しが、 まぶしいが、すがすがしい
鎌倉に来たからには、 先ずは 鶴ヶ岡八幡宮 に参詣し、今日までの長寿と健康に感謝申し上げ、併せて 遍路旅の無事の達成を祈願する。
鎌倉八幡宮 参詣 滞在時間 9.55−10.20
鎌倉駅から東に30m程隔てたところを、南北に、海岸から一直線の参道があり、これが若宮大路である。
鶴岡八幡宮は1063年、源頼義により創建された。「前9年の役」の戦いに、頼義は石清水八幡宮に勝利祈願し,勝利を収めて、鎌倉に凱旋した際由比ガ浜に石清水八幡宮の分社を建立した。
鎌倉幕府(1180)を開いた源頼朝により、現在地に神社が移され、鶴岡八幡宮は源氏の氏神として信奉され、鎌倉武士の守護神となったと言う。
鎌倉幕府滅亡後も武門の神として、足利氏、後北条氏、豊臣氏、徳川氏からも信仰された。 上杉謙信は家督相続に鶴岡八幡宮の拝賀式を行ったと言う。 徳川幕府の手厚い保護のもと,大規模な社殿が建設された。
源平の合戦で数々の武勲を立てたヒーロー・ 源義経の側室・静御前は舞の名手であった。 義経の兄・源頼朝の妻・北条政子が、静御前の舞が見たいと言ったので、義経が静御前に、舞を舞うよう命じたところ、頼朝と対立していた義経を慕う歌を詠んで舞ったため、頼朝は激怒した。
この時、頼朝の妻・北条政子が 「私が同じ立場なら、同じ歌を詠んだであろう」 となだめたので、 「女の道はかくあるべきか」 と感心し、褒美まで与えたという。
この逸話が鶴岡八幡宮石段前で、上の写真にある、現在の舞殿の場所だという。
午前10時、本殿の太鼓の音が、響き渡ると下の斎館 より木靴を響かせて、宮司御一行が列をなして、石段を登り来たりて、これより本殿にて、御勤めの行事が,執り行われる模様である。
先ほど、斎館の前に並んでいたのは、この為かと、理解した。
鶴岡八幡宮の前のバス通りを東に1kmばかり歩くと、目的の「坂東1番札所杉本寺」がある。
徒歩 1.2km 時間10.20−10.40
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