なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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ひとり言 038
  
  若者に告ぐ
 
いよいよ 衆議院議員を選挙する、 大事な投票日が、
明日に迫ってきました。
 
今度の選挙は、
君達若者の将来を左右する、大事な選挙 です。
良く 熟慮して投票 して下さい。

 
私の 衆議院議員選挙 は、恐らく最後となると思います。
最早私達が、とやかく言うべき時ではありません。
次代を背負う若者たちこそ、熟慮して行動すべき時と思います。
この国をどのように導くのか、
発展させるのか??  退化させるのか??
君達、若者の行動に係っております。
 
恵まれた時代に生活している、と言う感覚がありますか?
何か受動的に、世の中全てが上手く回っている、
と思っていませんか?
何も考えなくとも、世の中が発展して行く、と考えていませんか?
 
私の過ごした時代は、波乱万丈の時を過ごしました。
戦争の激しさの中、幾度も生命の危機を乗り越えました。
戦中戦後の食料が無かった時代、何とか生き延びました。
生命の危機・食料難は何とか乗り越えましたが、
長い間乗り越えられなかった事は、
思想・信条などの心の問題でした。
今の君達は想像出来ないと思いますが、
小学校1年生から中学校4年生までの、習ったこと学習の総てが、
敗戦と同時に、総てが否定され排除され棄却廃却され、
自分の頭の中からも、総て排除しなければ成らないと、
通達されたのです。
当時小学校では、夏休み後の最初の授業で、
自分の教科書の中の通達箇所を、
自分達の手で、墨で黒塗りしたので、読む所が無くなった、
と言われている。
米軍による屈辱的な統治。
丸の内・銀座は、日本の都市で在りながら、
日本人は小さくなって歩いていた。
 
50年代後半から60年代前半まで、学生運動が続いた。
労働運動も盛んに行われた。
国を憂い、国の発展を願って、皆立ち上がったのである。
アメリカ従属統治を嫌い、自主自由主義・民主主義を掲げて!!。
しかし、老獪な政治家に、何時しか段々と、懐柔された。
その後エコノミー・アニマルと、世界からさげすまれながら、
何時の間にか世界第2位の経済大国にのし上がったが、
何時しか心の隙間風を感じるようになった。
 

今度の選挙の論点が、いま一つ判らない。
論ずべき事が沢山あるが、各党は明言を避けている。
 
経済が回復して来た、それは俺の力だと首相は豪語するが、
世界の潮流に偶々、偶然便乗したに過ぎないことが、
最近の経済情勢が示している。
本質に迫っていない。
 
身を切る覚悟と、2年前、前政権と交代したが、
実行せず、国民との約束を果たさずに、消費税のみ上げ、
定数削減を0増5減でお茶を濁し、合憲と豪語している。
しかも、一旦削減した議員給与もお手盛りで復活増額、
議員活動費も不明朗会計でブラックボックスのまま、
議員と金との関係も、旧態依然のまま、
議員のモラルは低下の一途をたどっている。
 
機密保護法は、今に拡大解釈して、国民の耳目に触れずに、
国民は何も判らぬままに、事の重大事に直面することになる。
昔、戦争の始まりは、国民に重大事・何も知らさず、情報を操り、
ある日突然戦争に突入し、勝利、勝利と国民を誘導・啓蒙し、
国民を塗炭の苦しみに追いやり、さらに一億総玉砕と誘導邁進、
国民が多大な犠牲を払いつつも、国民は何一つ実情を知らず、
やっと突然終戦を迎えた。 
国民の関係ない事項で、いたずらに和平交渉の時を延ばし、
その間、東京空爆、広島原爆、長崎原爆、各市空爆、沖縄占領を
被り、多くの国民の犠牲を強要したのである。
敗戦後、時の首相は「一億総懺悔」と、
あたかも国民に「敗戦の責任」がある、との発言に国民は怒った。
安部総理は、これらの裏事情を、祖父の岸首相から教育され、
奥の奥まで認識しているはずである。
 
憲法9条改正を口にしていた首相が、
集団的自衛権容認を閣議決定してから、
憲法改正を口にしなくなったし、
集団的自衛権容認の詳しい説明を、
国民に明確にすると約束していたが、
この選挙こそその「明確な説明」の絶好の機会であるべきだが、
一向に説明がなされていない。
首相の真意は、この選挙で、絶対多数を占められると認識し、
政権を安定させ、懸案の難しい法案を通過させ、
「議会投票法」を緩和させ、「国民投票法」を成立させて、
憲法改正の足場を作り、9条の改正をもくろみ、
もろもろの法案を成立させて、
首相の絶対権力を確立安定させるのが、
狙いではなかろうか?  
だから敢えて口をつぐみ、
注意をそらす行動をとっているのではと考える。
今国民に説明する、「集団的自衛権容認」の説明を、
アメリカが額面通り受け取っているか疑問である。
国民が知らぬ間に、自衛隊が軍隊になり、
戦争地域に軍隊が派遣され、
戦闘要員が足りないから「国民徴兵法」が成立し、
若者がどんどん軍隊に徴兵されるという、
100年前の世に逆戻り。
そんな世の中にしたくはない。
 
戦時中、サラリーマンであった父が、
給料天引き、町会隣組の割当て等で、
多額の「戦時国債」を持たされた。
それが敗戦と共に、返済不能無効・紙切れとなって、
手元に大量にある。
営々と父が築いた、我が家の財産であった。
同じ手法で、日銀の「日本国債」が、紙切れになり、
国が破綻したんだ、仕方ないだろ・・・と
「国民の持つ銀行預金財産」を、
全て没収してその穴埋めに充当する、
そんな法案が可決したらどうします?
政治家が自分の護身のため、国家予算を、
公共事業にばら撒き、補助金にばら撒き、政治活動費にばら撒き、
社会費をケチり、厚生費をケチり、医療費をケチり、
教育費をケチり、日本が発展して行く為の予算を削りして、
国債をどんどん発行して、金を創り浪費する。
こんな事を、許すことは出来ない。
 
原発の今後を、どう考えますか?
 
東北の復興が、掛け声ばかりで進展していない。
国が何をすべきか?  明確に示されていない。
怠慢である!!
 
 
ひとり言 037 
 
   菜園
 
今年3月、市民農園の募集で、
一区画4m×4m・16平方米の菜園を借りた。
募集の住所が住宅地。 
そんな所に農地が在る訳ないと、見学に行く。
良くこんな住宅地の中に、菜園になるような空地があったと
感心する。
家から歩いて約2km弱。 
募集区画は日当たりを考慮して12・3区画。
自動車駐車場あり、用途不明の空地あり、
隣接する住宅の影の影響も、比較的影響も少くなく、
日当たりも良い。
横小道の舗装道路に面するが、金網のフェンスで囲まれている。
 
畑を耕し始めると、この小道を通行する人が、
興味を持ってこの畑を眺めてゆく。
その内通行人とも挨拶を交わし、
しばしば立ち話までするようにもなった。
 
菜園貸付前に、開墾され、肥料も施されてはいるが、
種まき・苗植えには、更に耕さなければならない。
ところが、長く放置された土地。 
雑草の成長が早く、後の手入れが大変であった。
 
日増しに気温が緩み、ポカポカしてくると、雑草が目を覚ます。
作物より雑草のほうが生長が早い。
少しでも手を抜くと、草だらけに成ってしまう。
 
気温が段段と良くなって、作物が生き生きとしてくる。
成長の喜びをかみ締め、恵みに感謝の念が沸いてくる。
往復の徒歩も気にならず、作業の苦痛も乗り越えられる。
 
やがて、収穫の喜びを知ることになれば、直一層の励みになる。
 
夏には、きゅうり・ナス・大根・コカブ・ゴーヤ・白菜
・キャベツ・ブロッコリー・長ネギなどなどの収穫に歓喜する。
特にミニトマトは毎日の収穫に、益々暑さにも負けず、
嬉々として、毎日片道2km往復4kmの道を、
セッセと畑に通った。
 
秋になり、冬になり、今は二日置きが、三日置きになり、
ついには1週間置きにと、サボることを覚えてしまった。
 
それでも今畑には、キャベツ・白菜・大根・ブロッコリー
・長ネギ・人参・そら豆・サニーレタス・コカブなどが、
それこそ雑草と競争しながら、成長している。
そうそう、春に3本植えたイチゴ苗が、夏から秋にかけて、
ランナー種が30・40本以上も出て、畑の一角を占領している。
来春イチゴが大量に成るかな?? 楽しみにしているが??
ただイチゴを満足に成らせるのは、大変難しいと聞く!!!
 
畑の耕作者同士の語らい、作付けの相談、注意事項。
作物の出来具合、苗の融通、その他もろもろ。
時には自慢話に花が咲き、失敗話に大笑い。
ストレスの解消・発散と、畑は、
老人の孤独の解消に、大変役立っているのである。
 
  ひとり言 036 
   年の暮れ
 
最近、米倉斎加年さん、高倉 健さんについで、
菅原文太さんが連れ立って旅立っていかれた。 
米倉さん満80歳、高倉さん満83歳、菅原さん満81歳。
皆さん日本を代表する名俳優でしたが、大変残念なことです。
 
この歳になると、毎年11月下旬ともなると、
「喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させていただきます」
と、思わぬところから何通も届く。
特に小学校、中学校、大学の友人の訃報は、心が揺さぶられる。
昔は互いに連絡を取り合い、頻繁に会っていたが、
最近は筆不精になり、便りがおろそかに成り、
出歩くことも間々成らぬ状態になって、
互いにまだまだ無事に過ごしているだろう位の内に、
最後になってしまう。
もう一度会って置けばよかったと、
気づいた時は既に後の祭り。  
悔しさ、無念さ、残念さに、無性に苛立ちを感ずる。
人は「必ず死ぬ」と、「無常を悟り」、
やがて遠からず自分も直ぐに「行く道」。
そんなことで、12月は友人の奥様や、会ったこともない友人の家族宛に、
お悔やみ状を書いて、自分を慰めているのである。
 
記事01、 昭和16年(1941)12月8日の朝
 
当時、毎朝7時のラジオニュースで起床するのが日課だった。
この日の午前7時、ラジオは耳慣れないチャイムが鳴り、続いて、
「臨時ニュースを申し上げます! 臨時ニュースを申し上げます!
大本営陸海軍部発表 帝国陸海軍は、今8日未明、西太平洋において、
米英軍と戦闘状態に入れり。」
 
国民学校6年生だった私は飛び起き、いよいよ始まったかと
奮い立った。
大東亜戦争勃発です。
 
顔を洗い、朝食が用意された、丸いちゃぶ台の前に、正座した。
父はすでに、ちゃぶ台の前に座り、お茶を飲みながら、新聞を広げ、
見入っていた。
皆がそろった頃合いに、母が味噌汁の鍋を持ってきて、座った。
 
父が「大変な、大戦争が起こった。」と一言、皆に告げた。
私は覚悟を決めた。
2年生の妹は、何の意味か判らず、キョトンとしていた。
 
学校に行ったら、教室では、今朝の臨時ニュースの話で、持切りで、
皆興奮していた。
 
8時 1年生から6年生まで、全校児童が、校庭に整列した。
丁度、月曜日の全校朝礼集会であった。
 
壇上の校長先生から、訓示があった。
教室に戻り、担任からも話があり、そして皆大興奮の内に、
1時間目の授業は終わった。
 
 
米英に対し宣戦布告、聖戦・開戦の詔勅が、
ラジオを通じて発表された。
 
午後からは、帝国海軍がハワイ真珠湾に奇襲攻撃をかけ、
米太平洋艦隊を撃滅したとの戦果が発表され、
町中「万歳!! 万歳!!」と、歓喜に満ち満ちた。
帝国陸軍は、フィリピンに、マレーシアに、香港にと攻撃を加え、
勝利を収め、戦況をどんどん南方に拡大して行った。
 
翌日の教室は、昨日の歓喜興奮以上に、更に一層の興奮が、
満ち満ちていた。
 
 
毎日ニュースの度に、大本営発表の「大勝利」のニュースに、
国民は一層勝利の道に向かって、駆り立てられ、
熱狂の坩堝の中に引き入れられた。
 
 
緒戦の「勝利」、「勝利」で、熱狂のうちに、昭和16年という年は、
大興奮の中、輝くように暮れて行ったのである。
 
 


 
 
 
皆様、ご無沙汰いたしました。
長い間ブログを中断いたしておりました。
その間、多くの皆様が、拙いブログ記事にアクセス下さり、
ただ今、13万件を越えるご訪問者が、記録されておりました。
本当に有難うございます。 皆々様に厚く厚く御礼申し上げます。
 
昔を知る、歴史の記憶者が少なくなったと、言われています。
「そんな話をしても」と、自分自身疑問にも思っております。
対処大局を踏まえた、重要な話は、なかなか出来るものでもありません。
多くの人にとって、どうでもよい話、採るに足らぬ話になります。
年寄りの寝言、たわ言と読み流して下さい。
何とか続ける努力はしたいと、思っています。
 
今日の記事は、私の心に残る「記憶の最大事」です。 
ここから改めて再出発したいと思います。
今日の記事中、耳慣れない用語等を出していますが、
それも折に触れ、解説した記事として、紹介したいとも思っています。
どんな記事が出来ます事やら? ご覧頂ければ幸いに思います。
秩父観音霊場巡礼旅 第8日 の3
         7月22日(月曜)(晴れ)
 
 
 
第22番・華台山・童子堂から第21番・要光山・観音寺へ
 
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童子堂を辞し、第21番・観音寺へ
 
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観音寺の堂は通称「矢の堂」と言い、本尊は聖観世音である。 
 
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大正12年火災により類焼し、
その後に再建され今日に至った。 
境内には、百万遍念仏塔、弁財天石像、芭蕉句碑などがある。 
 
 
道路を隔てて、地芝居役者座頭・中村十九十郎供養碑があり、地芝居隆盛の昔が偲ばれる、民俗資料として貴重である。
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昔、元八幡宮の社地で、神託により観世音の霊地になったと言う。 
 
邪神悪魔を除き佛地にと、八幡大菩薩の放った神矢が此処に落ち、悪魔が退散したので、名付けて「矢の堂」としたという縁起がある。
 
 
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
 
 
タイムテーブル
22番・童子堂(14時27分)―薬師堂(14時49分)―21番・観音寺(14時53分−15時07分)
 
 
 
第21番・要光山・観音寺から第20番・法王山・岩之上堂へ
 
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観音寺を辞し、岩之上堂へ
 
 
尾田蒔交差点前にある、
尾田蒔郵便局で風景印を取得する。
 
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光正寺の前を通り、岩之上堂に向う。
 
 
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岩之上堂は三間四面方形造りで、延宝初年に再建されたもので、現在の堂は江戸中期元禄年間に内陣の補修、宝永年間に彫刻の補修を経て、唐模様系統の優秀な造りをなす。 
 
岩の上堂の名の通り荒川西岸の崖上にあり、本尊は聖観世音立像、藤原時代の作といわれ、市指定文化財。
 
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昔、白川院の勅により建立された荘厳な堂で、応仁の頃より次第に廃れ、本尊のみ岩の上に晒された時も在り、幾多の伝説があるという。 
 
本尊安置の厨子は内面金箔に塗られ、33体の像と日天月天像風雷神などの肉彫りを貼付した江戸時代上期の作で市の指定文化財となっている。
 
 
タイムテーブル
21番・観音寺(15時07分)―尾田蒔交差点・尾田蒔郵便局(15時25分)―光正寺(15時41分)―20番・岩之上堂(15時44分−16時07分)
 
 
 
 第20番・法王山・岩之上堂で結願
 
 
最後に残った1巻の「写経」を奉納し、「般若心経」を一段と、心をこめて唱えた。  そして次男の冥福を祈願し、遍路旅の無事「結願」を感謝した。 
 
納経所で、納経帳最後の御朱印を頂き、ここに8日間の巡礼遍路旅が終了した。  感慨無量!!!
 
 
そして 秩父駅に
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岩之上堂を辞し、秩父橋公園橋を渡る。 
 
秩父公園橋は、車道用の「アーチ橋」が建造されたので、旧橋が人道専用となって「公園橋」と名付けられたというらしい。
 
 
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にわかに雲行きが怪しくなり、青空に黒雲が垂れ込め、これは夕立が来るなと歩きを早めた。 
 
秩父人道橋を渡ると西武バス停があった。
時間表を見ると10分後にバスが来るので、バスを待つことにした。
 
バスを待つ間に、更に空模様が怪しくなる。 
遠雷、ポツリ、ポツリと降り始めてきた。 
雨合羽を出そうと思いリュックを下ろし、遠く眺めるとバスが来る。 
大丈夫!! 
 
バスに乗り込んだ途端、雨が降り始めた。 と見る間に、ドシャ降りになり、フロントガラスのワイパーが激しく作動するが、視界が遮られる。 
秩父駅での降車は、ドシャ降りで大変であったが、あまり濡れずに済んだ。
これも仏の御加護!!??
 
秩父鉄道 ・秩父駅 物産館による。 甘いものが食いたい! 
ケーキ?大福?サテサテ何を?? 黒糖饅頭なるものを買う。 
さて、このまま帰ろう!!!
 
 
タイムテーブル
20番・岩之上堂(16時07分)―秩父公園橋(16時27分)―秩父橋バス停(16時35分−47分発)―秩父駅(17時00分)
 
 
 帰宅
 
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秩父鉄道 ・秩父駅 17時17分発 
羽生行きに乗車、雨は降り止んだ。
 
 
雨にけむる武甲山に別れを告げ、
又の機会に再び訪れることを誓う。
 
 
 
 
秩父鉄道 ・熊谷駅 着 18時19分。 
乗り換えの高崎線は、落雷のため不通、開通見込みは不明との場内放送、掲示板。   
あの夕立の為か!! 秩父線は何事も無かったのに!!
秩父鉄道・東武鉄道での寄居、川越方面経由の、振替輸送があるとも言う。
 
モウ急ぐ旅でもない。 開通するまで、しばらく待とう!
熊谷駅は、放送の度毎に、右往左往する人で溢れている。
 
いつ開通するか判らないので、どこかで夕飯でも食べよう!!
19時過ぎ復旧するも、運転は不順。 開通したのなら、急ぐこともない。
が、大分時間が掛かり、21時ごろ浦和駅にヤット到着、かくして長い遍路旅も無事終了した。
 
 
タイムテーブル
秩父駅発(17時17分)―熊谷駅着(18時19分) 落雷のため不通・開通見込み不明―高崎線 ・熊谷駅 発(19時過ぎ)―高崎線 ・浦和駅 着(21時頃)
 
 
今日の御朱印
 
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   第25番 岩谷山・久昌寺    第24番 光智山・法泉寺
 
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第23番 松風山・音楽寺     第22番 華台山・童子堂
 
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第21番 要光山・観音寺     第20番 法王山・岩之上堂
 
 
今日の郵便風景印
影森郵便局イメージ 12
埼玉県秩父市下影森1069−1   369-1871
意匠:清雲寺のしだれ桜に浦山ダムを描く
切手:ふるさとの花シリーズ 第2集 
使用:.09.04.01
 
 
 
 
 
 
 
 
 
秩父尾田蒔郵便局イメージ 13
埼玉県秩父市寺尾1945−5  368-0056
意匠:橋上公園・ハープ橋とお田植え祭りを描く
切手:ふるさとの花シリーズ 第2集 
使用:.12.11.15
 
 
 
 
 
 
 
 
今日の万歩計
    25,286歩
17.19km (参考距離)
(山道歩行の為、正確な距離では有りません)
 
 
今日の会計
   納経料     ¥1,800  (6ヶ寺)
   昼食・飲料水  ¥1,750  (田舎茶屋・車代・ペトボトル5本)
   夕食      ¥1,050  (熊谷駅)
   交通費     ¥470   (お花畑―影森・バス秩父橋−秩父駅)
            ¥1,580  (秩父駅−熊谷ー浦和)
     本日会計  ¥6,650
 
 
 

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