|
秩父観音霊場巡礼旅 第6日 の1
7月20日(土曜)(晴れ)
小野原稲荷神社
今日帰宅する積もりで、起きた。
体調は快調とまでは行かないが、
歩きには耐えられそうに感じる。
(朝7時半撮影)
庭に出て、山並みを眺めたら、
雲がかかり、うす曇の天気である。
宿の主人に尋ねると、今日は
「うす曇の天気で、昨日より日差しが
緩やか。雨は降らない」 とのこと。
今日も遍路旅を続けてみることにした。
20番から25番は 秩父市 内に近いから、巡れず残しても、
次に巡る時には、楽であろう。
「此処からなら、32番が近い」 と宿の主人の言葉に、宿を10時に出た。
今日は大分遅い出発となってしまった。
まず今日は、32番・法性寺だけにしよう。
宿から10分位のところに小野原稲荷神社がある。 国道140号線・彩甲斐街道の荒川に架かる荒川橋を過ぎ、柴原温泉・ 小鹿野町 ・ 皆野町 に抜ける県道43号線の入り口に、立派な大きな赤鳥居が、稲荷神社の大鳥居である。 民宿・山宝はすぐ右隣。
この稲荷神社の歴史は古く、7世紀半ばといい、12世紀末畠山重能、重忠の
改営・参詣もあって、天正18年鉢形北条の家臣横田が造営、宝暦年間(18世紀
半ば)には伏見稲荷を勧請、社運隆盛と
なったが、昭和36年火災で焼失。
石垣は享保
18年(1733)、たまたま飢饉の最中で、窮民を救う米穀を施したところ、神徳に感じた人々により、築き上げられた。
構築上、稀な宮勾配が施され、扇勾配状の外形の輪郭が際立つ特徴で、市指定文化財。
昔語りに、孝徳天皇
大化4年、日照りが続き作物が枯れてしまいそうに成った。
困り果てて、高根山の中腹の大岩を神座として
雨乞いをしたところ、たちまち雨が降り作物が
生き返り、豊作になったので、神の恵みを謝し、社を建て、謹んで神々を祭ったのが、
この神社の始まりという。
御祭神は「宇迦之御魂命(ウカノミタマノミコト・農作物の守り神)と神武天皇(初代天皇)
第32番・般若山・法性寺への道
稲荷神社を出て、舗装された県道43号線・
皆野・荒川線、薄暗い杉林、雑木林に覆われた
舗装道路を歩く。
車も通らず、人影はまったく無い坂道を、
登り下りして20分程に、人家がまだらにある、柴原温泉・薬師の湯・かやの家があった。
更に県道を
ひたすら歩き、羽黒神社に。
羽黒神社には、町指定の文化財「長留の獅子舞」「羽黒神社の笠鉾」「羽黒神社の舞殿」と地域文化の継承が盛んである。
長若羽黒山・温床温泉の看板があり、
此処にも温泉が在るんだなと感じつつ、
蕨平交差点に。
道端には供養塔、道しるべ、地蔵尊などの石仏・石碑があちらこちらにあり、昔からの遍路道の歴史をそのまま伝えている。
蕨平交差点は、右折すると秩父巴川温泉、24番・法泉寺に抜ける
小鹿野警察・長若駐在所、郵便局、学校、長若中学校には標高242mの標識杭が目に入った。
長若中学校まえの、長若交差点を左折し、久保バス停、般若川に架かる落合橋を渡る。
老人に「ご苦労様です」と
挨拶され、しばし、立ち話をする。「この辺、般若という地名です」「幾つですか」「幾つに見える?」「さー、?」「4年生まれだよ」「え!そんな齢」「証明書を見せようか」「この辺、立派な家が多いが、やはり、昔、生糸で栄えたから?」「この辺は農家ばかり。倅は別暮らしで、直ぐ、この先に住んでいる」
他愛無い話だが、会話の無い、独り旅には無性に嬉しい!!!
小鹿野町文化財・聖天宮(秩父大神社)は、「聖天様」として親しまれ、創建記録は明らかではないが、32番法性寺の近く「歓喜天(聖天)」を祭ったのが起源とされ、「聖天社」と称し、秩父神社の祭神を勧請し、「秩父大神社」と改称された。 現存社は寛政8年(1796)の再建。 入母屋造り、4面千鳥破風、唐破風が付き、柱、桁廻りの精巧な彫刻と彩色が施されている。
法性寺の山門は秩父34霊場のうちの唯一の鐘楼門である。
法性寺は曹洞宗の寺院で、宝永4年(1707)の再建、建造以来300年風雪に耐えてきた観音堂の老朽化に、平成13年に全面改修された。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、
納経帳に御朱印を頂く。
越後屋旅館に電話して、今夜の宿をお願いする。
タイムテーブル
民宿・大宝(10時00分)―小野原稲荷神社(10時12分―25分)―柴原温泉郷(10時43分)―羽黒神社(11時13分―15分)―羽黒山温床温泉(11時21分)―蕨平交差点(11時26分)―長若交差点(11時54分)―落合橋(12時28分)―聖天宮(12時32分―36分)―32番・法性寺(12時42分−13時27分)
|
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
秩父観音霊場巡礼旅 第5日 の2
7月19日(金曜)(快晴)
第29番・笹戸山・長泉寺から第28番・石龍山・橋立堂
長泉院を辞し、28番・橋立堂に向かう。
秩父浦山渓谷が、浦山ダムにより堰き止められ、ダム湖は「秩父さくら湖」と命名され、春には湖畔に桜が咲き乱れ、秋は紅葉に彩られる。
長泉院から、この浦山川に架かる「諸上橋」を渡り、対岸を左折し、道なりに進む。
「諸上橋」を渡らずに、ダム壁に行くと、エレベータでダムの上に出られ、ダム湖と 秩父市 内が一望出きるらしいが、これは後で聞いた話。
支流・橋立川と合流する付近は、浦山清流キャンプ場、橋立川キャンプ場があリ、清流のほとりでキャンプが楽しめるとのこと。
本来此処で右折すれば直ぐに橋立堂に行かれた様だが、「元禄・道しるべ石」を見落としたので、秩父鉄道 ・浦山口駅 線路ガード下に出てしまった。 車の標識が大きく目に付くので、多分徒歩の標石を見落とした結果だろう。
手前に橋立浄水所があり、伏流水が流れ落ち、実にうまい水が飲めた。
橋立浄水場には、幾つものポリ缶持参で、水を汲みに来る自家用車が、次々に来る。
道を間違えた様に思えたので、地元の人と思い道を聞くと、東京から来たので、地理は判らないと言われた。 此処は可也、知名度が高いのだ?
浄水所の隣に「不動尊堂」があり「不動名水」が湧き出している。
碑の記載から「不動名水」は、武甲山塊の地中深く流れる水は、此処に湧出して、清流となり、古くより住民の生活を潤し、旅人の渇きを癒し、多大の恩恵を与え続けてきた。 この水は日照りでも涸れる事なく、長雨にも濁る事ないという。 しかし過去の大地震の前には、必ず白濁したと言い伝えられているという。 そこで社を建て、不動明王を祀って鎮守したという。
遍路道脇に芭蕉の句碑・諸の翁塚 「草臥れて 宿か留比や 藤の花」 と刻まれている。
結局、車用の標識に頼るほか無い。
線路ガード下を潜ると、左に秩父鉄道 ・浦山口駅 、更に行くと、国道140号線に出た。 国道を標識に従い、ただひたすらに歩く。 舗装道路の照り返しで、汗が流れる。
「札所28番橋立堂」「橋立鍾乳洞」の標識が示す道にはいり、しばらく行くと住宅があり、近くのヘンスに「熊出没注意」の黄色の看板。こんな開けた所にも、出没したのかと、ダム開発で棲みかを失った、熊たちの逆襲か??
ダム湖のほとりに向かう道路橋の下をくぐると、橋立堂が見えてくる。
28番・橋立堂に到着。
橋立堂は高さ80mある、直立した石灰岩の岩壁下に建てられた、3間4面方形屋根・朱塗りで、江戸中期に建てられたお堂である。
本尊は馬頭観世音坐像で、鎌倉時代の作で、市指定文化財。
誰もいない、本堂で「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
「大分、遠回りをしましたね」朱印帳に記入しながら、住職は話す。
橋立堂の奥の院、「橋立鍾乳洞」は、「ダム湖(秩父さくら湖)」と共に、人気の観光地になっている。 2・3の人々が鍾乳洞を、訪れる声がしていたようだが、皆、車で巡っている。
時間が無いので、奥の院「鍾乳洞」は、参詣せずに、次を目指す。
タイムテーブル
29番・長泉院(14時14分)―橋立浄水所・不動尊・不動名水(14時41分)―浦山口駅(14時43分)―28番・橋立堂(15時19分−44分)
第28番・石龍山・橋立堂から第27番・龍河山・大淵寺
橋立堂を辞し、27番・大淵寺に向かう。
しばらく行き振りかえると、橋立堂がある山が、岩肌を露出して聳え立つ。
市立浦山歴史民俗資料館を過ぎたところで、ハイキングコースに入り、秩父鉄道を越え、「元禄・道しるべ石」に従って歩く。
27番・大淵寺に到着
山門入り口脇に埼玉県指定旧跡「影森用水」の案内板がある。
影森用水は安政4年(1857)当時上影森村名主・開田宗太郎が、82戸の村に井戸が2ヶ所しかなく、飲料水、その他に困っていたので、私財をもって、三輪谷から用水路を通し、飲料水、田畑に給水した。 その後更に疎水、新田開墾を進め、功績により、忍藩より苗字帯刀を許された。
大淵寺は明治、大正と二度の大火で堂宇総て焼失。 仮堂再建されたが、平成7年、3間4面宝形屋根の観音堂が再建された。
その昔、行脚僧・宝明が、諸国を巡り、この地に霊験の多いのにうたれ、7年過ごしたが、足の病となり、念誦するに、弘法大師子の地に至り、一体の観音を刻み与えた。
宝明は、独り拝すは勿体ないと、里人に伝え堂を建て本尊を祀ったという縁起が有るという。
「写経」を奉納、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
タイムテーブル
28番・橋立堂(15時44分)―浦山歴史民俗資料館(15時55分)―27番・大淵寺(16時09分−25分)
27番・龍河山・大淵寺から第26番・萬松山・円融寺
大淵寺を辞し、
26番・円融寺に向かう。
この円融寺には、江戸中期
狩野派絵師・鳥山石燕
(1712-88)の歌舞伎の
名場面「景清のろう破り」(檜板3枚分大)があり、
雲上から見守る白衣観音を
描いている。
牢格子や観音の光明に鉄材を
用いて立体感を出す工夫など、工芸的な要素を持つ絵画で、県指定の文化財。 鎌倉時代に建立された「岩井堂」は、周囲を
急峻な地形の岩壁に、正面谷間に向け、舞台つくり3間4面方形造り、
欄干をめぐらすお堂で、弘法大師37日の秘法を修めたという護摩壇、
仏国禅師の座禅石などがある。
「写経」奉納、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈る。
武甲山が晴れ渡る青空に、
くっきり岩肌を曝して
聳え立つ。 円融寺で郵便局の所在を聞き、円融寺を辞し、急いで影森郵便局に向かう。
途中で判らなくなったが、聞く人も、聞く所も無い。 やっと探して影森郵便局に到着した。
が、すでに窓口への自動ドアーは閉まっている。 今日は金曜、土日は局が休み、二度と来ることが無いと思い、ドアのガラス越しに対応した局員に、粘りに粘ったが、ついに聞き入れて貰えなかった。 時間外であることは充分承知の上、聞き入れて貰えないのが当然であることは判っている。 が、今まで、遍路装束・歩き遍路旅での風景印獲得ということで、秩父の各郵便局では親切にされ、「行く先々の郵便局で、色々便宜を計って貰いなさい」、「隣の郵便局に、今から行くと時間外になるので、行くなら電話をしておきます」、などなどと言われた事を、取得した風景印を見せながら、歩き遍路旅は土地勘もなく、予定通りの時間で行動できないと、粘りに粘って話したが、所詮自動ドアーの外からのガラス越しの会話、だめだった。
時間に間に合わなかったので仕方ない。 明日は土曜で休局だから、この郵便局には、二度と来ることは無いなと、駅に引き返し、秩父鉄道 ・影森駅 発17時17分発、武州日野駅17時39分着で、宿に帰った。
風呂に入って、疲れを癒す。 今日の暑さで、食欲が無い。
ビールを注文、ビン詰1本が食卓にある。
独酌でコップ1杯飲み干す!! 美味い!! が、二杯目は苦い!
大半を残し、食事の箸を付けるが、あまり咽喉を通らない!
熱中症!! まさか?? 別室の寝床に横になる。
病に倒れる前に、一旦帰宅し、体力回復させて、再び挑戦することが大事と悟る。
食事の片付けに来た女将に、体調不良のようなので、明日帰宅することを告げる。
明日宿泊する越後屋にも、電話で予約を取り消した。
タイムテーブル
27番・大淵寺(16時25分)―26番・円融寺(16時42分−55分)
今日の御朱印
第30番 瑞龍山法雲寺 第29番 笹戸山 長泉院
第28番 石龍山 橋立堂 第27番 龍河山 大淵寺
第26番 萬松山 円融寺
今日の郵便風景印
上田野郵便局
埼玉県秩父市荒川上田野1454−9 〒369-1802
意匠:清雲寺しだれ桜の花びらを外枠ちし、そばの里とカタクリを描く
切手:ふるさとの花シリーズ 第2集
使用:平.12.10.18
今日の万歩計
31,031歩
21.10km (参考距離)
(山道歩行の為、正確な距離では有りません)
今日の会計
納経料 ¥1,500 (5ヶ寺)
昼食・飲料水 ¥830 (豆腐・ペットボトル4本)
交通費 ¥230 (影森―武州日野)
本日会計 ¥2,560
|
|
秩父観音霊場巡礼旅 第5日 の1
7月19日(金曜)(快晴)
第30番・瑞龍山・法雲寺への道
今日は、朝から良く晴れて、山々が
朝日に輝いている。
暑い厳しい旅と成るだろう。
(朝5時半撮影)
宿から30番法雲寺を目指す。9時出発
国道140号線・彩甲斐街道を西に、
ただひたすら歩く。
前方には甲州に続く、 秩父市 外の山並み
が続いている。
車用の「札所30番法雲寺」の道路標識
が、信号機のある交差点の手前にあっ
た。 幼稚園バスが通る。
交差点を右折し、ダラダラ坂を下ると、
赤く塗られた、荒川に架かる「平和橋」
向うの山すそに民家が点在している。
「平和橋」を渡り、十字路を直進し、
秩父鉄道の踏み切り
を渡ると、秩父鉄道 ・白久駅。
右側に山並みと白久の部落が見下ろせる。
谷津川渓谷・白久温泉・
旅館谷津川館との分かれ
道、右登り坂を上ると
間もなく「三十番入口」の
石碑があった
法雲寺に到着
臨済宗建長寺はの寺院で、鎌倉時代
(13世紀中頃)の開創と伝えられる。
本尊は如意輪観音で、
唐・玄宗皇帝の作と伝えられる。
皇帝が楊貴妃の冥福を祈り、観音の心に
すがる真情がうかがえる、尊厳と美に
満ちたもの。
昔日の面影を残す観音堂と、
四季折々の花で彩られる、
浄土庭園との調和が見事で、
参拝者の心を和らげる。
天文5年(1536)奥州葛西氏の納札に、
「奥州葛西住 赤萩伊豆守平清定 西国・坂東・秩父百箇所巡礼只一人・・・・・」と、
日本百箇寺観音霊場の史実としての、
最古の記録があると言う。
「写経」を奉納、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願。
タイムテーブル
民宿 山宝(9時00分)―平和橋(9時26分)―白久駅(9時37分)―30番・法雲寺(9時58分―10時47分)
第30番・瑞龍山・法雲寺から第29番・笹戸山・長泉寺
法雲寺を辞し、29番・長泉寺に向かう。
来た道を、「平和橋」手前の十字路まで戻り、右折し、暫く進むと、埼玉県指定文化財・
「白久の串人形」の看板。
近くの「豆早原区公会堂」前にも、案内板が
あった。
「白久の串人形」は、江戸時代末期から明治にかけて、
白久・豆早原地区に住む新井重太郎氏・宇一氏・藤蔵
氏等が、22体の人形を買い求め、一座を組織し、
人形操法を編み出して、上演したのが始まりという。
白久串人形は、二人で操る全国でも珍しい人形芝居で、浄瑠璃、義太夫節、説教節、
浪曲で行われ、寺の縁日、神社の祭礼等に上演された。
しかし、昭和になり、映画の進出、戦争のため、中断された。
昭和27年地元有志により「白久串人形座」が結成され、復活した。
昭和49年保存会が設立されしばしば上演されている。
小鹿野町 の至る所に、上演の演目看板が掲げられて、「小鹿野名物」になっている。
道路橋・「ゆの川さわ」橋と秩父鉄道・鉄橋。道路橋「あしてざわ」橋、この橋を渡ったところに「熊出没注意」の
物騒な看板。こんな所で?
目撃情報があり、取り付けたのであろう。日本列島、最近熊の出没がニュースになっている。
「歴史の道・秩父甲州往還道」「日野を経て白久に至る」の標柱。
昔、旅人が秩父から山梨に抜けた主要道路。
「延命地蔵尊」が祀られていた。
地蔵尊の石段が、程良い休み石なので、失礼して休ませてもらった。
車の往来もほとんど無い。 なんとのどかなのか。
長閑な風景は、疲れた身体、足腰を癒してくれる。
武州日野駅
駅前風景
交差点「道の駅あらかわ入り口」で、国道140号線に合流。
「日野鷲橋」は荒川に架かる橋である。
そば豆腐の幟が立つ、手作りの豆腐屋があった。
昼時であるが、「道の駅あらかわ」を探さないで、通り過ぎたので、店が無い。
丁度良い、そば豆腐の味は如何かと、買い求め
取り敢えず、昼食代わりと、立ち食いする。 美味であった!!
地蔵尊が祀られ、近くに「安谷川を経て上日野に至る」「歴史の道秩父甲州往還道」の標柱がある。
に掛かる木橋がある。
雑木が覆い茂る、細い道を
下ると、せせらぎの音。
さして水かさの無い川があった。 これが安谷川か。
小さな木橋がある。 あれ、木橋の真ん中に、穴が開いている。 腐った踏み板を、誰かが踏み抜いたな。 捕まる手摺り板も折れている。 2本の渡し丸太は健在の様だ。 渡し丸太の上を歩けば大丈夫。 一休み、水は澄んで、冷たい。 所所深い場所も在る様だが、
川底まで透き通って、本当に清らかである。 無事に渡る。
道を登りきった所に、
芭蕉翁塚・芭蕉句碑があった。安政3年(1856)「むかし幾計 秩父殿さへ すまふとり」と
記されている。
思わぬ所に、思わぬものがあったものだ。
これも歩き遍路の、思わぬ拾い物。
再び国道140号線を歩く。
荒川東小学校、警察駐在所、上田野郵便局、
秩父鉄道 ・武州中川駅 前と歩く。
上田野郵便局で風景印を取得する。
車用の「浦山ダム」「札所29番長泉院」の標識を左折する
かくて29番・長泉院に到着。
長泉院は曹洞宗の寺院で、
正暦元年(990)平安時代中期の
開山で、無住の観音堂であったが、
元亀2年(1571)に日野沢・大通院より
和尚を招聘し、以後曹洞宗として
今日に至った。
何度も火災に遭い、現在の本堂は
場所を移し、天保4年(1833)に建て
られたものと言う。
日本有数の石札が残ることから「石札堂」とも呼ばれる。
本尊は平安時代、慈恵大師の作。
「写経」を奉納し、
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅
の無事を祈り、納経帳に御朱印を頂く。
タイムテーブル
30番・法雲寺(10時47分)―白久・串人形(11時03分)―延命地蔵尊(11時36分―42分)―道の駅あらかわ(11時52分)―武州日野駅(12時14分)― 秩父市 荒川支所(12時27分)―江戸古道・安谷川木橋(12時42分)―芭蕉翁塚(12時53分)―上田野郵便局(13時05分)―武州中川駅(13時19分)―29番・長泉院(13時45分−14時14分)
|
|
秩父観音霊場巡礼旅 第4日 の3
7月18日(木曜)(晴れ)
第17番・実正山・定林寺から第18番・白道山・神門寺
定林寺を辞し、
秩父宮の側郵便局に向かう。
郵便局は、国道299号線 から秩父駅 ・秩父公園橋線道路に入って直ぐ右側にあった。 風景印を取得する。
道路の向かい側、道生町では、秩父神社の祭礼の、屋台の準備が整ったようで、保管庫の扉が開けられ、披露されていた。
国道299号線を北上すると、そこに銘酒「武甲正宗」の看板のある、武甲酒造の建物が、歴史建造物として残って使われていた。
その横の道は、明治15年フランス特命全権大使アルチェル・トリクー氏の寄付金で、建設された大宮学校の校舎設計者ポスキュー氏にちなみ、道路をポスキュー通リと名付けられたという、標柱があった。
更に、国道299号線 相生町 項交差点にある、秩父郵便局に行く。
秩父郵便局で風景印を取得し、冷房が効いているので、休憩させてもらう。
国道299号線・上宮地交差点から国道140号線・秩父警察署前交差点に進み、国道14号線を北上する。
熊谷・秩父・甲府を結ぶ国道140号線彩甲斐街道に面する秩父中宮地郵便局に行き、風景印を取得する。
第18番・神門寺は、
元修験寺で、神門山長生院といい、今宮坊に属し、栄えたという。
寛政年間(1789−1801)の頃に
多くの建物が焼失、
その後観音堂だけが再建された。現在の堂は天保の頃造られたと
され、秩父の名匠・藤田家の末
孫・藤田若狭の手によるとされ、本尊は聖観世音立像で、両手に
蓮茎を持つ珍しいもので、室町時代の作。
「写経」を奉納、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願。
ニコニコ地蔵尊は人気があるという。
タイムテーブル
17番・定林寺(14時13分)―秩父宮の側郵便局(14時38分)―武甲酒造(14時41分)―秩父郵便局(14時47分)―秩父中宮地郵便局(15時11分)―18番・神門寺(15時24分−44分)
第18番・白道山・神門寺から第19番・飛淵山・龍石寺へ
神門寺を辞し、
19番・龍石寺に向かう。
国道299号線を北上し、次の信号・
下宮地交差点を左折、秩父消防本部前を通り、秩父鉄道線路を越すと、
古い大きな建物前の道路と、ぶつかる。
その道路を、右折して暫く北上
すると、「元禄・ひだり十九番」道しるべ石、標識に従い進むと、団地の先に、19番・龍石寺。
龍石寺は、大きい一面の岩盤上に建てられた、観音堂は七間半四面表流れ向拝の方形造り。
荒廃を憂い浄財を集めて、昭和47年解体復元した折、宝永2年の墨書が発見された。
閻魔や、冥土の恐怖を強調するもの、三途の川の脱衣婆を祀る三途婆堂などの仏教の暗い一面を見せる札所として知られた。 本尊は、千手観世音坐像で、室町時代の作。
昔、大干ばつがあり、弘法大師は天皇の勅により、雨乞い祈祷のとき、岩盤が二つに割れ、龍が昇天し、雲を呼び、雨を降らせ、人畜草木皆よみがえり、大豊作と成ったと伝えられる。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え 次男の冥福と遍路旅の無事を祈願す。
タイムテーブル
18番・神門寺(15時44分)―19番・龍石寺(16時06分−29分)
第19番・飛淵山・龍石寺から宿に
龍石寺を辞し、大野原郵便局を目指す。
宗福寺前から、秩父鉄道 ・大野原駅 に
出て、国道140号線を北上、
愛宕神社前の信号を更に北上、
大野原交差点手前に、
秩父大野原郵便局がある。
風景印を取得する。
「あら。風景印集められましたか?」
横瀬郵便局で親切に、地図と資料を貰った、お嬢さん局員。
「時々横瀬にお手伝いに行くのよ」
「覚えていてくれたんだ」
「そりゃー、もうー」
覚えていて、声を掛けてくれた事は嬉しい。
大野原郵便局を後に、秩父鉄道 ・大野原駅 に急ぐ。
秩父鉄道 ・大野原駅 17時13分発
今日の旅で、西光寺にあった「極楽浄土思想」、然し釈迦でも死は免れぬ
「釈迦涅槃図」。
龍石寺にあった「三途の川・冥土思想」「地獄・極楽思想」
巡礼旅は、究極 死に対峙する 自分自身の悟りを得る為の、
思索の旅ではなかろうか??
武州日野駅17時39分着
場所の確認のため駅から宿に電話すると、迎えに行くとのこと。
駅で待つ。
宿「民宿 山宝」は国道299号線荒川橋先の、
県道43号線柴原温泉・ 小鹿野町 ・ 皆野町 線の入り口にあった。
タイムテーブル
19番・龍石寺(16時29分)―秩父大野原郵便局(16時51分−01分)―大野原駅発(17時13分)―武州日野駅着(17時39分)―民宿 山宝(18時10分)
今日の御朱印
第13番 旗下山・慈眼寺 第14番 長岳山 ・今宮坊
第15番 母巣山・少林寺 第16番 無量山・西光寺
第17番 実正山・定林寺 第18番 白道山・神門寺
第19番 飛淵山・龍石寺
今日の郵便風景印
秩父中村郵便局
埼玉県秩父市中村町4−8−20 〒368-0051
意匠:長尾根丘陵と中近笠鉾に札所16番のしだれ桜を描く
切手:ふるさとの祭り 第10集 祇園祭り(京都)
使用:平.12.10.15
秩父宮の側郵便局
埼玉県秩父市宮側町23−5 〒368-0046
意匠:秩父公園橋・ハープ橋と宮側町屋台を描く
切手:ふるさとの祭り 第10集 祇園祭り(京都)
使用:平.10.12.01
秩父郵便局
埼玉県秩父市上宮地町3−16 〒368-8799
意匠:秩父祭りの屋台にきぶねぎくを描き、秩父神社と武甲山を配す
切手:ふるさとの祭り 第10集 祇園祭り(京都)
使用:平.01.02.25
秩父中宮地郵便局
埼玉県秩父市中宮地20−12 〒368-0022
意匠:秩父夜祭宮地屋台と札所を描き、武甲山を配す
切手:ふるさとの祭り 第10集 祇園祭り(京都)
使用:昭.55.11.20
秩父大野原郵便局
埼玉県秩父市大野原918−3 〒368-0005
意匠:いちょうの葉を外枠に、和銅開珠と秩父夜祭屋台に
秩父連山を描く
切手:ふるさとの祭り 第10集 祇園祭り(京都)
使用:平.12.10.30
今日の万歩計
24,367歩
16.57km (参考距離)
(山道歩行の為、正確な距離では有りません)
今日の会計
納経料 ¥2,100 (7ヶ寺)
昼費・飲料水 ¥1,340 (昼食・ペットボトル4本)
交通費 ¥430 (大野原―武州日野)
雑費 ¥1,280 (写真用メモリーカード)
本日会計 ¥5,150
|
|
秩父観音霊場巡礼旅 第4日 の2
7月18日(木曜)(晴れ)
今宮神社から第15番・母巣山・少林寺へ
今宮神社の境内から、一歩外に出ると、そこは住宅街で、商店街も近い。
秩父鉄道 ・お花畑駅 の脇道の、昔賑わったと思われる商店街の、踏切を渡る。
榎の大木の周りを、石垣で囲い、小さな御社が
鎮座していた。(山の神)
昔はさぞ繁盛していたと思われる酒屋に、
秩父銘酒の看板が、色あせて並んでいた。
その先には、 秩父市 役所がそびえ立つ。
線路に沿い進むと、
15番・少林寺の裏手に着いた。
裏手の駐車場からの武甲山は、
快晴の青空に聳えていた。
寺の前を、砕石を積んだ貨車が、ゆっくり通り過ぎていった。
少林寺には、秩父事件に殉職した
埼玉県警・青木与一・窪田鷹男の
両警部補の墓石が建立されている。
秩父事件は、明治17年11月、
山に囲まれ平和な里秩父は、
狭い耕地に、養蚕で生計を立てて
いたが、生糸相場の下落に、現金
収入の道が閉ざされ、夜逃げ、
屋敷を取られる者が続出した。
膨れ上がった。
軍隊が出動し、各地で激戦、信州にも侵入
したが、鎮圧された事件。
今の世界情勢にも似た事件で、決して他国の出来事ではなく、
現在の日本でも起こりうる事件。
本堂に「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
タイムテーブル
今宮神社(10時39分)―15番・少林寺(11時04分−24分)
第15番・母巣山・少林寺から秩父神社
少林寺を辞し、秩父神社に向かう。
本堂の前の石段を下り、秩父鉄道の踏切を渡り、商店街に出る。
商店街の突き当りに、秩父神社がある。
崇神天皇の世、知知夫国初代国造に任ぜられた知知夫彦命が、祖神・八意思兼命を祀ったことに由来する。
戦国時代の末、兵火により焼失し、天正20年(1592)徳川家康が代官・成瀬
吉衛門に命じ再建した
建物が現在のもの。
建築様式は本殿、幣殿、拝殿の三棟よりなる権現造りで、極彩色に彩られた数多の彫刻群に覆われた豪華な造りで、埼玉県指定の文化財。
タイムテーブル
15番・少林寺(11時24分)―秩父神社(11時39分―52分)
秩父神社から第16番・無量山・西光寺
秩父神社を辞し、
第16番・西光寺に向かう。
本町の交差点には、昔ながらの土蔵造りの建物がある。
秩父ふるさと館の脇道を行くと、
此処にも古い建物が残っていた。
秩父銘仙で栄えた町並みが、歴史が
残っていた。
地図を見落とし、
ぐるぐる回りながら、
第16番・西光寺西参道
の看板を見つける。
天明3年浅間山大噴火は、
秩父地方にも降灰を降らし、
人畜田畑に被害をもたらし、
その上天明大飢饉と重なり、
多数の餓死者をだした。
西光寺住職法惇和尚は、
供養のため88佛回廊堂の建立を
発願し、十年の歳月をかけ完成、
五穀豊穣、天下泰平を祈願した。
このような回廊堂が、地方の小寺院に建立されたのは、極めて稀で、参拝者で賑わったという。
本堂は、宝永7年造立で、
本堂正面欄間に、珍しい
「釈迦涅槃像彫刻」が掲げ
られている。
左右に釈迦涅槃に合掌する
諸仏の姿が、刻まれている。
本堂右入り口から、
四国88ヶ佛を祀る回廊堂が
あり、弘法大師特別霊場に
なっていて、この回廊を巡ることで、四国88ヶ所札所を巡る、御利益を受けることが出来るという。
本堂に「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を
祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
山門の脇に、秩父中村郵便局があった。
此処で風景印を捺印してもらう。
秩父神社(11時52分)―秩父ふるさと館(11時54分)―16番・西光寺(12時23分−48分)
第16番・無量山・西光寺から第17番・実正山・定林寺へ
西光寺を辞し、17番・定林寺に向かう。
秩父公園橋に通じる道路から、わき道に
入り目指すと、何やら畑に出てしまった。
道を聞きたくとも、聞くところが無い。
多分この方角だと、畑の中を突き進む。
農耕の神「宇賀神」の立派な碑があた。
とうもろこし畑の向こうに、
入道雲が沸き立つ、武甲山があった。
17番・定林寺にたどり着く。
本堂は、四間四面の簡素な
つくりで、内陣は阿弥陀堂の
ように、念仏回廊が回っている。
本尊は、十一面観世音立像、
文禄2年開眼の墨書。
梵鐘は、秩父、坂東、西国の百霊場、百観音の御本尊が浮き彫りに鋳出され、百ヶ寺の御詠歌が刻まれる貴重な工芸品。
埼玉県の文化財に指定されている。
宝暦8年(1758)の作。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を
祈り、納経帳に御朱印を頂く。
タイムテーブル
16番・西光寺(12時48分)―秩父中村郵便局(12時49分)―17番・定林寺(13時42分−14時13分)
|





