なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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秩父観音霊場巡礼旅 第2日 の1
      7月16日(火曜)(晴れ)
 
 
 第2番札所納経所・向嶽山・光明寺へ
 
実は、昨日の予定は、3番・岩本山・常泉寺まで巡る予定でしたが、
大幅に予定が狂い、1番・誦経山・四萬部寺で終わってしまった。 
今朝も朝食前に、2番・大棚山・真福寺を参詣すべきところだが、
それもしていない。 
歩き遍路の原則ならば、1番・誦経山・四萬部寺に戻り、そこから
今日2日目は、出発すべきではあるが、
老妻が午後まで、今日も同行したいと云う事に成り、
2番札所納経所・向嶽山・光明寺で御朱印を頂戴して、
ここから2日目の出発とすることにした。
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昨夜の宿「民宿 弁天橋」は
光明寺の直ぐ近く。 
朝食を頂き、支払いを済ませて、
直ちに光明寺に。
 
 
 
 
 
青銅製の仁王が、厳めしい形相で我イメージ 4等を迎える。 
 
本堂に参詣し、「写経」を奉納し、
老妻と「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈った。
 
光明寺の縁起には、桓武平氏の始祖高望王の弟・恒望王が大同2年(807)当地で逝去、冥福を祈っイメージ 2た祈願所・光明庵(真言宗)が始まりという。 
武蔵7党の一つ丹党が、文保2年(1318)鎌倉建長寺より、法性国師物外を迎え、寺を整備し光明寺と改称。 
南北上杉の抗争に、秩父谷は疲弊衰微し、再び永正14年(1517
鎌倉建長寺五世春澤香梅を迎え
中興した。 
小田原北条、甲斐武田、越後上杉イメージ 3の抗争で、秩父谷は再び疲弊衰微した。
天正15年(1587)卿党は、地元越生・龍穏寺・朝谷禅師を迎え伝法開山し、曹洞宗に改め現在に至ったという。
 
秩父谷随一の格式を持ち、末寺真福寺(札所2番)、常泉寺(札所3番)、金昌寺(札所4番)、福蔵寺、秀林寺の五寺があった。 
 
 
武甲山と相対しているので、
山号を向嶽山という。
 
 
 
タイムテーブル
民宿 弁天橋(8時35分)―2番納経所・向嶽山・光明寺(8時40分―9時05分)
 
 
 第2番札所納経所・向嶽山・光明寺から第3番・岩本山・常泉寺へ
 
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光明寺を辞し、3番・常泉寺に
向かう。
バス道にでて、近くに高篠温泉郷がある。 
秩父茶屋を過ぎしばらくすると、横瀬川に架かる山田橋を渡る。
 
 
 
 
 
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道脇の屋敷内に、農耕の神「宇賀神」の石碑は、珍しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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江戸・日本橋・高橋兵衛はま夫婦が願主の「元禄・三番道しるべ石」道標があった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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田畑の一本道の先に、
3番・岩本山・常泉寺がある。
厳しい形相の仁王は石像で、
穢れる者を威圧する。
 
 
 
 
 
 
 
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本堂に「写経」を奉納し、
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
 
 
 
 
 
 
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本尊は聖観世音立像一木造りで、室町時代の作。 
 
周囲には、長命水の井戸、
眼病平癒の不睡の石、子持ち石
などの伝説がある。
 
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岩本山・常泉寺は三間四面、
一間の大唐破風の向拝、
向拝には龍の彫刻を施した
海老虹梁のかごほり細工。
 
彫士は熊谷玉井住人・飯田和泉と言われ、見事な出来栄えである。 
 
 
 
 
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昔、巡礼が十王堂に宿り誦経し、その声は里人の心を打ち喜ばれた。 
光明が輝き、地を照らし、里人は驚き、十王堂に集まると、巡礼者はいずこかに消え、霊像が厳然と座していたので、驚き、堂を当地に移し、末永く安置した。
 
 
 
 
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この縁起は、名主堀内家が常泉寺を建て、札所を移した事を物語っていると言う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タイムテーブル
2番納経所・光明寺(9時05分)―山田橋(9時17分)―3番・常泉寺(9時26分−10時05分)
 
 
 
秩父34観音霊場巡礼旅 第1日 の2
       7月15日(祭日・月曜日)(晴れ)
 
 
第1番・誦経山・四萬部寺 で「発願」
 
一休みし息を整え、本堂に参詣し、持参の「般若心経・写経」1巻を奉納、二人で「般若心経」を唱え、次男の冥福と、これからの遍路旅の無事を祈る。 
納経所で、「納経帳」を購入し、御朱印を頂戴する。 
境内には、参詣者は、我等だけの静かな雰囲気。 
 
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バタバタと本堂の扉が閉じられ、境内の床机が片付けられ、納経所のガラス戸が閉められ、境内には我等2人だけが取り残された。 本堂の後ろの森に日は沈み、本堂は赤い背光に包まれ輝く。
 
 
 
張り詰めた気持ちで、遮二無二に歩き通した脚が、身体イメージ 5が、休息で音を立てて崩れ出した。
老妻は、一番札所・四萬部寺を参詣したら、家に帰ると決め、バスの時間は控えていたが、この時間では、帰宅は大変と思われた。 
「宿が有るので、今日帰らなくとも、明日ゆっくり、帰れば!!」と妻に勧める。
迷った挙句、泊まる事に決定、一人追加の連絡を、宿に電話すると、宿泊は出来るが、追加の夕食は無理とのこと。
 
 
 
 
四万部寺の縁起には、
播州性空上人が弟子幻通に「秩父の里に佛恩を施し、人々を教化せよ」と
命じ、幻通はこの地で、四万部の仏典を読誦し、供養し、経塚を建て、
秩父第1の霊場としたという。 
 
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秩父の名匠・藤田徳左衛門吉久による、本堂は三間四面、表一間向排付の入母屋造り、秩父札所中特に整った建築と言われ、県指定文化財となっている。 
 
内部は江戸浅草講中の寄進で、江戸工匠神田儀助長則が補修している。
 
構造装飾とも代表的な技法を用いた寺社建築は、秩父地方の模範となった建築で、天井には狩野常徳派が描いているという。
本尊は「聖観世音菩薩立像」一木造りは、江戸時代の作とされる。
 
 
本堂正面の左右には、「地獄図、極楽図の彫り物」が目を引く。
 
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本堂脇に「享禄四年(1531)施餓鬼堂」があり、大施餓鬼供養を行うお堂で、関東三大施餓鬼としてのこの堂は、全国でも珍しいという。 
 
 
 
萬霊供養の中心「八角輪蔵」を、衆僧読経のうちに回転させるという。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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「経塚」に鎮座する「釈迦如来像」、納経堂などがある。
 
 
 
「釈迦如来像」は明治の末、盗難に逢い行方知れず、70年近い星霜が流れたある日、銀座の美術店にお姿を現した。 
里人を中心に、釈迦如来を秩父に再びお迎えし、経塚を復元する運動が繰り広げられ、ようやく釈迦如来も帰るべき所に帰り、経塚も復元したと言う(経塚復元の碑より)
 
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杉の古木の下に、開山端山守的禅師(弘治元年(1555)9月没) 「座禅石」がある。 2m×1m位の、平たい大きな石。
 
 
 
 
 
 
宿まで2km位、
「さて歩くか!」
「モウ、一歩も歩けない」と老妻。 
タクシーを呼ぼうにも、聞くところも無い。 
 
「バスでも行けるでしょ! あと30分程でバスの時間よ!!」 
「もう少し此処で休むか!!」
 
 
午後6時、四萬部寺の「夕時の鐘」が、厳かに鳴り響く。 
いよいよ巡礼の旅が始まったのだと実感する。
 
鐘を衝かれた住職さんに
「バスの時間まで、休ませて頂いております」と挨拶。 
「ご苦労様です。 どちらから来られました? 
どちらか宿を取っていますか?」
「2番納経所・光明寺さん近くの民宿・弁天橋に取ってあります」
「これから、秩父の町まで用事があるので、送りましょう」と言うことで、送って頂きました。 
この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
 
車中、粥新田峠越えで四萬部寺に、
そしてこれから歩き遍路旅をすることを、お話する。 
「それは大変でしたね! 無事の結願を祈ります!」と、お別れした。 
有難うございました。 
 
これも「佛縁」であると悟った。
 
宿の近くには、飲食店などは無い様子に、独り分の夕食を、妻と分け合った。
 
 
タイムテーブル
粥新田峠地蔵(13時47分)―粥新田峠放牧地(13時53分)― 秩父市 遠望(13時59分)―榛名山神社(14時41分)―湧水所(15時09分)―高原牧場入口(15時22分)―曽根坂一里塚(15時42分)―小野田峠(15時56分)―誦経山・四萬部寺(16時14分
 
 
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今日の御朱印
   第1番 誦経山四萬部寺
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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今日の郵便風景印
小川郵便局
埼玉県比企郡小川町青山862−1 〒355-0399
意匠:小川和紙の手漉き加工と少年自然の家の遠景を描く
葉書:通常葉書
使用:昭和47.09.01
 
 
 
 
 
今日の万歩計
   27,192歩
18.49km (参考距離)
       (山道歩行の為、正確な距離では有りません)
 
今日の会計
   納経帳・納経料¥2,300  (1ヶ寺)
   交通費     ¥1,240×2名=¥2,480
   弁当・飲料水  ¥1,450(コンビニ握り飯・ペットボトル)
     本日会計  ¥6,230
 
 
 
秩父34観音霊場巡礼旅 第1日 の1
           7月15日(祭日・月曜日)(晴れ)
 
 巡礼旅の始まり
 
JR武蔵野線 ・東浦和駅   7:24  ¥210*2名
JR武蔵野線 ・北朝霞駅   7:38
東武東上線 ・朝霞台駅    7:44  ¥630*2名
東武東上線 ・志木駅 (快速 7:47
東武東上線 ・ 小川町 駅    8:31  ( 埼玉県比企郡小川町 )
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小川町
 
小川町は遠いところと思っていたが、意外に近かった。
 
小川町は、外秩父の山に囲まれた小川盆地に、市街地があり、江戸から川越を抜け、秩父に向かう往還道が、町を東西に抜け「武蔵の小京都」と言われた。 
 
 
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小川町伝統工芸の和紙の起源は、1300年前にさかのぼると言われ、手漉き「細川紙」は、国の重要無形文化財の指定を受けた和紙で知られる。 人口3万の町。
 
先ず 小川町 での行動は、駅より800m程町外れの小川郵便局で、風景印を獲得して記録とすること。
 
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今日は祭日ではあるが、小川郵便局は郵便ゆうゆう窓口が、土・日・祭一定時間開いている、地区拠点郵便局で、窓口で今日の日付の風景印を、捺印記録して貰える郵便局である。 
9時丁度に小川郵便局に着く。 
 
のどかな田園地帯にある郵便局の側に「栃本親水公園」があった。
 
早朝から、子供たちが、水遊びを楽しんでいた。 
きれいな水の流れである。イメージ 24
 
 
 
バスの発車まで、大分時間が有った、いや郵便局に寄るために、わざわざ1台見送った。 
郵便局からの駅前に向かう、町のメイン道路沿いに、万葉集歌が数多く沢山披露されている文化的な町でした。 
一例を挙げれば・・・・・
 
 
 
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説明板によれば、古来から、多くの学者たちによって、研究され伝えられた「万葉集」を、鎌倉時代の学僧・仙覚が、伝来の多くの書写を照合研究し、最初の注釈本「萬葉集注釈」を、この 小川町 の地で、小川和紙を使って完成させ、現存する「万葉集原本」の殆どが「仙覚本の写し」とされるほどだという。イメージ 26
 
「仙覚」の生まれは、比企氏かその縁者とする説があり、 小川町 に大変ゆかりが深いとされている。
 
比企氏は平安時代から鎌倉時代前期にかけて、藤原秀郷の末裔と称し、武蔵比企郡を領する豪族とされる。
ちなみに 小川町 の地名は、 埼玉県比企郡小川町 。
旅は思わぬ所で、思わぬ知識を得るものである。
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駅前通り奥の、古くからの料亭? 「忠七めし」って何?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
落合橋から粥新田峠を越えて、第1番・四萬部寺への道
 
イーグル路 線バス・ 小川町 駅 前 9:42  ¥400*2名
イーグル路線バス・落合橋  10:04  
            ( 埼玉県秩父郡東秩父村 ・埼玉県唯一の村)
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乗客数人を乗せて出発したバスは、 小川町 の町並みから、やがて 東秩父村 の山間を、くねりながら登る。
バスは、走ること25分位で、落合橋に到着、ここで下車する。 
 
落合橋は、埼玉県唯一の村・ 埼玉県秩父郡東秩父村 にある、荒川の源流の一つ「槻川」に架かる橋である。イメージ 4
 
槻川は、「越辺川」に、越辺川は「入間川」に、入間川は「荒川」に合流して、東京湾に注ぐ、いわば秩父山系を源とする、荒川の源流の一つでもある。
 
 
下車して気付いた。 
夏の日差しは、かなりキツイが、都会と違って風が爽やかであった。
 
いよいよ遍路旅の始まりである。
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昨日掲載の「秩父巡礼古道第1図」をご参照下さい。
 
巡礼古道の地図には、落合橋の周りには「馬方宿跡」「安政馬頭尊」「天明馬頭尊」「如意輪観音」「宝暦庚申塔」などの、石碑群があることが記されていたが、バス停近くには見当たらない。 
 
しばらく行くと橋があり、小さな稲荷神社の赤鳥居が見えた。 川の向こう岸が、古道イメージ 6であった。 
独り旅なら確認に戻るところだが、バス停を一つ過ぎたので、下車地が違うと老妻はオカンムリ!! 
 
「和紙の里・ 東秩父村 にようこそ」と長瀞玉淀自然公園の観光案内板と、並んで7月22日投票日の参議院立候補者公設ポスター板があった。
出発前、不在者投票を済ませてある。 
ここは、山間部に点在する民家・集落が一望できる展望地、集落の中心であイメージ 7イメージ 8ろう。
更に二本木峠入り口、「宝暦六十六部塔」などを経て、橋場バス停まで約40分ばかり歩いて来た。
 
乗ったバスが終点まで行き、引き換えして来た。 
僅かな乗客数なので、我々を覚えていたのであろう、人家もない、こんな所のバス停でウロウロしている我々を、運転手は気がかりな様子で、何度も振り返り出発して行った。
 
橋場バス停前には、「元禄7年イメージ 9イメージ 10イメージ 11イメージ 121694)皆谷地蔵」の堂、「右志ゆんれい道」宝暦2年(1705)の道標があり、道標に従いT差路を、右の道に進む。 
車が充分すれ違い出来る、舗装された広めの道路であるが、先を見て驚いた。 
急坂がズッーーーズッーと続いている。 
 
坂道は、杉・雑木の林を貫いて伸びている。 
 
段々と杉・雑木林は深くなり、鬱蒼として薄暗く、青い空も次第に狭くなり、木漏れ日さえも僅かに照らすのみとなってきた。
 
勢い付けて登っては見たものの、そのうち2歩進んでは呼吸を整え、3歩歩んではハアハア、5歩歩んでハアハアハアと深呼吸、どこまで続くんだと悲鳴を上げ、其のうち脚がガクガクと悲鳴を上げだす始末。 
座ったら立てない・・・腰を降ろして休みたいが、休めない・・・膝に手を当て、深呼吸し、休む。 
このところ散歩もサボリがち、来る前に多少の歩行訓練をしたが、何の役にも立っていないことを、実感!!
 
段々と細くなる、杉林の続く道を、「寛政3年(1791)庚申塔」「寛政12年(1800)馬頭尊」などの前を、懸命に歩くこと、兎に角1時間半、ようやく粥新田峠入り口に到着した。
 
「これから先どれだけ大変か判らないから、帰るなら、ここらで引き返した方が良いと思うが」と老妻に聞く。
「ここまで来たからには、引き返せない!!」
「自分のことで精一杯。 オブッテくれと言われても出来ないよ!!」
「何とか頑張るより、仕方無い!!」 
頼もしいことを言う!!!
 
粥新田峠まで、杉林の続く本格的な山道だ。 
幸い杉の木陰になっており、爽やかな汗を流す。 
二人でアエギ喘ぎながら1時間掛けて登りきる。 
途中、中年男性の一人ハイキング者と、中年女性二人連れのハイキング者が下山してきた。 
「頂上まで、まだあるが、頑張って」 
互いに声を掛け合いながら、摺れ違ったが、このコースでの出会いは、タッタ2組だけの、正に一期一会であった。
 
粥新田峠の頂上は、鬱蒼とした杉林で、薄暗く、目指す四萬部寺へ行く下り道、二本木峠に行く尾根道、大霧山登山道から定峰峠へ行く尾根道の、交差点になっている。
峠の頂にある「粥新田地蔵尊」は赤い新しい涎掛け、誰が被せたか青い帽子がトテモ似合いの、可愛い地蔵尊で、旅の疲れを癒してくれた。 
山の冷気は、汗にしみた肌に優しい。
 
 
タイムテ−ブル
落合橋バス停(10時10分)―稲荷神社(10時18分)―二本木峠入口(10時40分)―橋場バス停(10時59分)―馬頭尊碑(11時28分)―寛政庚申塔(12時20分)―粥新田峠入口(12時44分)―粥新田峠入口(13時46分
 
 
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峠を越え、鬱蒼とした杉林から、急に視界が開け、牧草地が広がっていた。
草千里、高原牧場である。
 
武甲山が、 秩父市 内が、遠く望めた。
 
 
 
 
 
今までリュックが、登り脚を引っ張っていたが、下り道になった途端、リュックが、今度は身体全体を、前に前にと、押し進めてくれ、軽やかな足取りで、正に飛ぶが如くに一気に道を下り降りる。
更に視界が開け、 秩父市 内とシンボル武甲山が飛び込んでくる。 
今までの、登りの苦労が嘘のよう!! 
「苦有れば楽有り」正に此の事か!!!
 
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峠より一気に山を下り、ただ黙々と歩くこと1時間、榛名神社に到着した。 
 
参拝し、そして休息、今朝購入した。
 
コンビニ握り飯をパクつく。 
大分遅い昼飯だが、安堵のひと時である。 
 
しかし飲料水が、心許無く空瓶、心配になってきた。 
もう少し行けば人里近くになる。
 
 落合橋からこの間、飲料水の補給所も、販売所も、又自動販売機も皆無、一番大事な準備が疎かで、不用意であったことを反省。 
我慢、我慢も限界がある。 
 
 
榛名神社は室町時代の昔から、粥新田峠は秩父と関東平野を結ぶ主要な峠で、榛名神社は中腹に祭られ、上州榛名神社本家とも姉妹の関係にある。
 
昔この辺りは湖で、大蛇を弓で退治した北本道本(寛永没)の伝説があり、養蚕の神として尊敬された古社で、峠の休み場所として栄えたと伝えられる。 
峯地区には、南北朝時代の宝筺印塔、五輪塔・板碑がある。
 
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それから歩くこと20分。 
「峯沢の湧き水です ご自由に利用下さい 自然水!!」  
有難や!! 有難や!!! 
正に三拝九拝!! 
甘露!!甘露!!
あらゆる言葉を並べても、語りつくせぬこの気持ち。
 
 
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そこから間もなく、「天保9年(1838)寺山子安観音」「関東ふれあいの道・案内板」には20分。
更に歩いて15分、「曽根坂の一里塚」があり、今の道から外れた所に立つ「宝永5年(1708)百八十八箇所供養塔」「宝暦9年(1759)地蔵菩薩」があった。
 
曽根坂一里塚( 皆野町 指定文化イメージ 18イメージ 19財)には、塚の中央「阿弥陀仏塔」には、碑の中央に「南無阿弥陀佛」と刻まれ、書は江戸時代全国を旅して布教した有名な僧・祐天の書と刻まれ、祐天は後、徳川将軍家菩提寺・増上寺の住職を務めた大僧正。 
更に阿弥陀塔の左右に、「みキハ大ミや」「ひだり志まんぶ」と刻まれ、大宮( 秩父市)、四萬部寺(秩父1番札所)へ行く「道しるべ」でもある。 
年号は元禄15年(1702)、塔の願主は相州(神奈川県)心求・はまの名も刻まれている。 
心求・はまは江戸日本橋の住人で、秩父の巡礼道の至る所に「道しるべ」石の願主として、数多く建てられている。 
江戸からの秩父巡礼の始まりは、元禄頃から盛んになったと考えられるが、この「心求・はまの道しるべ石」は巡礼者の励ましになり、その「願主寄進」は莫大な費用と思われるが、後世に残る最良の寄進だったと思う。
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散歩中の地元の老婆2人に、「四萬部寺は、モウ直ぐだから頑張って!!」と励まされた。
だが、疲れた足取りは、行けども行けども、行き着かない。 
脚を引きずり、喘ぎながら、舗装道路の照り返しの熱を、全身に浴びながら、小野田峠を越えて、 東秩父村 から 秩父市 内に、ようやく入っイメージ 21た。 
 
 
 
 
 
 
やがて、泉福寺前の「庚申塔」「地蔵尊」「石碑群」を過ぎ、やっと四萬部寺にたどり着く。
 
時計の針は16時14分。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タイムテ−ブル
粥新田峠地蔵(13時47分)―粥新田峠放牧地(13時53分)― 秩父市 遠望(13時59分)―榛名山神社(14時41分)―湧水所(15時09分)―高原牧場入口(15時22分)―曽根坂一里塚(15時42分)―小野田峠(15時56分)―誦経山・四萬部寺(16時14分
 
 
秩父34観音霊場巡礼旅 はじめに
 
昨年7月15日、独身貴族を謳歌していた次男が、突然亡くなった。
心の整理が付かないまま、一周忌を迎えるほどに、6月15日に、
丁度一ヶ月早めて「一周忌法要」を執り行った。
 
だがしかし、空しい心に、ふと浮かんだ巡礼旅。
 
ネットを検索、図書館に通い、四国88ヶ寺、西国33ヶ寺、
坂東33ヶ寺、秩父34ヶ寺の遍路旅の記事・本を読みあさる。
 
四国88ヶ寺遍路旅は、一度は訪れたいと願っていたコースだが、
未だ実現出来ないでいる。 
西国33ヶ寺、坂東33ヶ寺、秩父34ヶ寺は、その昔から
1セット・百観音霊場として、多くの信仰を集めていることは、
知ってはいたが、これもまた訪れていない。
 
そうか!! 秩父34観音霊場巡礼が、今一番相応しい!! 
 
徒歩の遍路旅・・・秩父は6日か7日で、34ヶ寺を巡礼できる。 
若し途中で脱落しても、2・3回に分けてでも出来る。
 
何時に??  取り敢えず、行程表を作ってみた。
 
そうか!! 「一周忌」の7月15日に第1番・四萬部寺で「発願」し、
丁度「満84歳誕生日」の7月21日に第34番・水潜寺で「結願」。
 
ただ、15日に出て21日に家に帰る「7日帰り」は、
昔より「忌み嫌われる」と言われるので、
「結願」したら、水潜寺近くの「満願の湯」で汗を流し、
「長瀞」で一泊し、「川下り」でもして帰る、
8日間の行程表が出来上がる!!
 
宿の手配、これが結構大変でした。 
土地勘も無く、地図に頼る、宿泊料金も色々。 
今回の旅は、観光では無いので、出来るだけ質素に、夏の遍路旅なら、
野宿も厭わぬ積りでと、妙に意気込んでみた。
 
ネットで検索し、色々調査すると、予算も一日当り一万円、
諸費含めて10万円で充分と見た。  
宿も直接予約、特に週末金土は見つからず、紹介の紹介などなどで、
何とか埋め込んだ。 
 
 
リュックサック、靴も重要な準備の一つ。
 
リュックは取り敢えず、今ある物で間に合せよう。
 
靴は山歩きをするので、普段履いている物では通用しない。
新調しなければならず、エイーとばかりアシックス・フィールド・
ウォーキング・シューズ・FIELDWALKER SS-DD2 G-TX TDH136なる物を、
足型計測して大枚 ¥15750 にて購入した。
結果的にマメも靴擦れも出来ずに、快適に歩き通すことが出来、
非常に好結果であった。
 
巡礼ともなれば、34ヶ寺総てに「摩訶般若波羅蜜多心経・写経」
1巻づつを納経しなければと心掛け、出発前日まで無心に写経し、
35巻を完成させたのが、準備最大の苦労であった。
 
食料は、スーパー、ドラックストアなどに、
今は結構な物が出まわっている。 
保存食にカロリィーメイト、100円前後の小さな缶詰などで、
充分であろう。 
又、現地調達も今では可能と思うが、最低の確保は必要と思った。
 
予定の行程表には、 
第1日  小川町 から路線バス・落合橋―粥新田峠―
      ―1番・四萬部寺―3番・常楽寺
   第2日 4番・金昌寺―12番・野坂寺
   第3日 13番・慈眼寺―19番・龍石寺
   第4日 20番・岩之上堂―25番・久昌寺
   第5日 26番・円融寺―30番・法雲寺
   第6日 31番・観音院―32番・法性寺
   第7日 33番・菊水寺―34番・水潜寺
   第8日 長瀞
 
ネット検索で、 秩父市 のホームページ・秩父観光ナビの、
「ちちぶおもてなしマップ江戸巡礼古道」を知った。 
古道は秩父ハイキングコースにも成っていて、自由に地図が取得出来た。 
この地図を、今回の巡礼旅に使わせて頂き、併せて説明のために、
此処に掲載させて頂きます。
 
この地図で、 小川町 から粥新田峠越えで、第1番札所・四萬部寺を目指し、ここを出発点とすることにした。
 
そうそう、秩父の「郵便風景印」も、記録の一つになるだろう。 
これも事前にチェックする。
 
 
巡礼計画を立てても、この暑い真夏の最中、「実行出来ない」と、
老妻は思っていた。
 
しかし、実行する気配に、長男・長女に話せば、
必ず「この暑い時に、馬鹿じゃなかろうか」と、心配し反対されるので、
取り敢えず「黙っていて上げる」と言うこととなった。
 
かくして出発前のトラブルは回避された。
 
2・3日前になって老妻が「1番札所だけでも一緒に行きたい」と
言い出した。
 
西武秩父駅からバス・タクシーで1番札所・四萬部寺に直行するルートに
変更し、参詣後、そこから帰れば楽に日帰りが出来る。
 
しかし、初日の峠越えはハイキングコースにも為っているので、
「7日間の巡礼旅」が出来るか出来ないかの、体力測定の意味もあるので
変更したくないが、それでも行くか??
「無理なら途中で、独りで引き返す!」
ハイキングに出かける雰囲気であった。
 
 
秩父巡礼古道;第1図
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秩父巡礼古道;第2図
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秩父巡礼古道;第3図
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秩父巡礼古道;第4図
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秩父巡礼古道;第5図
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秩父巡礼古道;第6図
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秩父巡礼古道;第7図
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秩父巡礼古道;第8図
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東京見物 018 東京の桜名所 09 板橋・加賀公園 石神井川
 
 
   板橋・加賀公園
 
江戸時代参勤交代により、江戸各地に各大名に対して屋敷地が下賜された。
加賀潘前田家は本郷邸・上屋敷(東京大学周辺)、駒込邸・中屋敷(本駒込周辺)、平尾邸・下屋敷(板橋宿辺・板橋区加賀)にあり、
下屋敷・平尾邸は2万8千坪の広大な敷地は、大名屋敷では最大の広さを持ち、
邸内には石神井川が流れ、庭園は本国金沢・兼六園の7倍の広さを持ち、
藩主や家族の保養別荘として使われ、池泉回遊式庭園は見事であったと言う。
 
中山道板橋宿に隣接していることから、参勤交代時、前田家藩主の休息所、
家臣の送迎場にもなっていた。 
邸内には与力を筆頭に50人程の詰め人がおり、代々在番し、
板橋宿周辺の名主と姻戚関係を結び、板橋宿の寺小屋で教育に当たるなど、
地元板橋との関わりもあったと言う。
 
幕末・明治の影響を多く受け、現在平尾邸の面影は、
ここ加賀公園に残る築山の一部のみという。
 
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   やすらぎの水辺モニュメント と 水辺の里程標
 
石神井川のこの辺で、心無い人に矢で射られ、傷ついたオナガカモが発見され、
上野の不忍池で保護され治癒し、無事旅立って行きました。 
板橋区はこの様な心無い行為が、二度と無いように、
豊かな自然環境の中で生息できることを願って、モニュメントを作って、
ここに設置したと言う。
 
水辺の里程標は、隅田川からの距離を表している。
 
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  石神井川
 
石神井川は、小平市御幸町・小金井公園辺りを源とし、
武蔵関公園・富士見池や、石神井公園・三宝寺池からの水を集めて、
練馬区、板橋区、北区飛鳥山の辺・名主の滝公園を経て、
隅田川に注ぐ、25km程の川で、「石神井村を流れる川」ということで、
その名が付き、昔から川添は風光明媚な場所として親しまれてきた。
 
帝京大学付近の桜が、ソメイヨシノの名所となっている。
隅田川から4.4km地点の里程表がある。
 
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