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闘病の記録 大腸ガンと闘う その21 今回は 前回に続く、妻の過去の病歴 についてお話いたします。 秦野のリハビリ専門病院に転院して、ものすごく熱心にリハビリに専念した。 最初はそれほどの進歩は無かったが、それでも日曜日の面会の度に、 目に見えて少しずつ、確実に進歩していた。 寝たきりだったのが、車椅子に乗る時間が段々と増えていった。 平成5年も暮れて、平成6年の新年を迎える。 色々と有って、今年は清々しい正月を迎えられない。 この病院は、リハビリ病院だが、老人病院のようで、妻は若い部類の様子。 永く入院していたため、自宅の部屋は孫に占領されて、帰るに帰れない人。 息子に「入院費は心配しないで、ゆっくり病院にいてくれ」 と 姥捨て山に捨てられた気持ちという人。 人生の様々の境遇の人達が集まって居る所と妻はいう。 見かけは良くとも、人は様々な境遇、悩みを持っているという。 入院して2ヶ月位経って、めきめきと回復してきた。 信じられない気持ち。 色々のリハビリのメニューを、積極的にこなしている。 車椅子も最近は、自分で乗り降りし、リハビリ室に自分で出向くようになった。 3ヶ月経った2月初旬から歩行訓練が始まった。 「寝たっきり」 と宣告されたことが、まるで嘘のようで、信じられない光景である。 「此処は老人病院で、皆リハビリというと、サボりたがる人が多いので、 先生にお願いして、午前と午後にリハビリを受けることにした」 と妻は言う。 「男の人って、だめねー。 すぐサボりたがるから」 「俺のこと言われているみたいだ」 「そーよ」 早く帰りたい一心からという。 実は、その時もう一人の病人を抱えていた。 95歳の父である。 昭和62年に米寿、平成元年に卒寿を元気に祝ったが、 平成2年に脳梗塞で入院以来、入退院を繰り返している。 当初、発病したときに入院した病院は、リハビリ診療が無かったので、 リハビリ診療科のある病院に、リハビリ治療を受けさせたいと主治医と相談し、 承諾を得て紹介状を書いて頂き、リハビリ病院に相談に行く。 案の定、紹介状を見て 「90歳を過ぎて、リハビリですか? 当病院は、寝たきりの病人は、受け入れられません」 「本人を診察してから、判断をしてください」 その様なことで、入院した病院である。 父は、家に帰りたい一心でリハビリに専心、主治医もビックリするほどでした。 しかし、退院して家に戻ると、もう我がままで、頑固で梃子でも動かず、 母(89歳)を困らせ、また体調を崩し、病院へ逆戻り。 病院に戻れば、リハビリに専念。 これの繰り返し。 何処にそんな力があるのかと、主治医まで感心する。 しかし、妻が倒れたとき、父も入院中で、 主治医から「今度だけは予断を許されぬ状態である」 ことを、 2・3日前に告げられていた時であった。 「葬式を2つ、一遍に出すことになるかもしれない」 と、内心覚悟をきめていた。 幸いに、全ての事態は好転して、安堵し、しかもその後父は退院できた。 父の主治医から 「明治生まれの人はすごいですねー。 今の人には、とても考えられない」 と感心された。 妻の病状も、父の主治医に、知る限りの情報で、相談していた。 3月になった。 妻は信じられないペースで、回復している。 杖で何とか上体を支えられる程になった。 リハビリと介護が出来れば、そろそろ退院しても良いと言われた。 今更、妻の努力に驚嘆している。 あの時の脳のCT断層写真は、本当だったのか? 一生寝たきりですよと言われて、回復しないと思っていたが、夢のようである。 退院の許可が出たと、妻は早く早くと、退院を急かせる。 父がまた入院したが、何とかなるだろうと、3月10日に退院と決めた。 3月7日の早朝、父の病院から電話。 「今、容態が急変したので、すぐに来てください」 母と急いで病院に駆けつける。 間に合わなかった。 毎日、母と夕方の面会時間に行き、面会時間一杯まで居る。 「明日も来るよ」 と帰って来るが、昨日ばかりは帰り際に、 未練があるように、握った母の手をしばらく離さなかったので、 しばらくそのままにして、眠ったころを見計らって帰ってきた。 母はその時、感じたらしい。 父の葬儀の準備と手配、各所に通知、葬儀日程もろもろ。 葬儀社と打ち合わせで、3月9日通夜、10日告別式の日程に決める。 10日の妻の退院と重なる。 8日病院に行き、一日退院の延期を相談。 妻は「長男の嫁として、どうしても出席して、取り仕切らなければ、 皆から後で何を言われるか判らないと」 主張する。 やっと納得させ、11日に退院とした。 その他今日、片付けなければならぬことが、山ほどある。 3月11日 妻の5ヶ月に渡る入院生活も終止符を打った。 近くの病院に、紹介状と病歴書類を持参、外来通院することとなった。 老母と病妻とを抱えての、生活となり食事、洗濯もこなさなければならない。 妻を退院させて、家に受け入れて気が付いた。 発病前は、比較的に良妻、賢母、努力家で、自制心があり、思慮深く、 人には親切、判断力に勝れ、決断力も勝り等々、ノロケル訳ではないが 「過ぎたる妻」であった。 病院に居るとき、「何か怒りっぽくなったかな」 位で、さして気に掛からなかったが。 今までのつもりで、何かをしたり、言ったりした時に、 爆発的に自制心がコントロール出来なくなり、猛然と喚き、襲い掛かってくる。 まるで3・4歳の幼児が、気に入らなくなって暴れ、泣き叫ぶよう。 これをなだめ透かすのが容易ではない。 全て病気の成せること。 こちらも爆発すれば、修羅場となる、忍耐力が試された。 自分でどうやら立つことが出きる事が、今裏目に出た。 会話も良く通じない。 以前は「1を知って10を知る」 程ではないが、 通常の会話はお互い通じていた。 当時は「1の話」は判る。 「2の話」も判る。 「1の話」と「2の話」から「3の話」になる関係が判らない。 そうなると、もう頭の中がゴチャゴチャになって、 考えただけでパニックになり、イライラを起こす。 考えなければ良いのにと思うが、どうしようもない。 行動の危険信号だ。ヤバイ! このような行動は、退院後3年位続いた。 最悪は1年半ばかり。 しかし体力の回復と共に間隔は、段々と伸びて、助かった。 我ながら良く耐えたと思う。 今は笑い話だが、当の妻は余り其の事の記憶がないようだ。 歩けるようになったので、外の散歩に連れ出す。 しかし、絶対に一人では出せない。 一緒に付いて歩き、行動を観察していないと、何処に行くか分からない。 時には自分が何処に居るかが、分からない事がある。 家に帰ろうと、反対方向に歩き、何処にいるか分からなくなった時もある。 黙って行動を観察するのも楽ではない。 大分経ったとき、電車で行く。 前に行った事がある所、ホームで反対側に立ち、 行き先も確かめずに乗ろうとしたので、止めると 「これでしょう?」 脳卒中の回復には、非常に長い年月が掛かる。 身体ばかりでなく、脳の機能改善、精神の復調、体調のバランスなど、 どれも忍耐と努力が必要である。 しかし、人間の身体は、計り知れない不思議な力が漲っている。 妻も、永い年月に、体力は徐々に回復し、今は左手の指先が、
物を掴む握力が僅か不足し、よく掴めないが、不自由なしに生活している。 身体的には、完全に完治していて、病気になったことを知らない人は、一様に皆驚く。 驚くべきは、脳の回復力である。 当時脳内コンピュータの配線が、ズタズタに切断され、回復不可能と思われていたが、 今は完全に回復、配線は完璧に接続されて、 以前と全く変わりなく、思考力、記憶力、判断力、自制心、 人間のあらゆる能力全てが回復したのである。 この神秘。この感動。 |
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2008年06月24日
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