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東浦和とその周辺 その9 見沼田んぼ 散策案内 見沼氷川公園と大牧自然林 見沼代用水路西縁に沿った散策路は、桜の並木が途切れずに植えられている。 春は満期の桜の下を、桜を過ぎると土手にあじさいの花が、 今は藪かんぞうが見事に咲いている。 途中に市有地の大牧自然林がある。 台地の元々の姿だが、近年住宅開発で、自然林が開発されている。 その一部を自然林として保存、まだ本格的な手入れは、成されていないが、 自然の林を知る貴重な存在である。 また、他の公園も出来るだけ自然に近い状態で開放している。 見沼氷川公園も、一部の自然林と芝生の広い広場とを持っている。 広場の中心に、前に紹介したことがある、例の「案山子」のモニュメントがある。 また、ここは氷川女体神社磐船祭々祀遺跡があり、円形の祭祀遺跡は周囲を池で囲まれている。 高間ヶ原橋(たかまがはらはし) 「高天原」と読みが同じ??、 昔・神秘的な見沼と女体神社に近いので、その様に呼ばれていたのだろうか??? 資料を探してみよう。 見沼氷川女体神社 崇神天皇の御代の創建と伝えられる古社で、大宮氷川神社と共に武蔵一宮と称せられてきた。 奇稲田媛命(くしいなだひめのみこと)を祭神とするため女体神社とされる。 見沼はこの神社の御手洗(みたらし)であった。 享保12年(1727)の干拓前は、女体神社のお舟遊びの神事とする御旅所に、 神輿を御座船に載せて、見沼の四本竹まで御座船が行き、祭祀を行った。 下山口新田の四本竹の地である。 供物を沼に供え、瓶子に入れた神酒を沈め、見沼の主である竜(ゴイという)に献じたという。 調節池工事前の発掘調査で、800本に及ぶ竹が立ったまま発見された。 四本竹で、200組であるから、隔年に祭祀が行われたので、400年分となり、 その地での祭祀は1728年に廃止されたので、 つまり鎌倉時代末には、祭祀は行われたのである。 見沼干拓でこの祭祀が出来なくなったので、社頭に斎場をつくり磐船祭と名を改め執行した。 支配者の信仰が厚く、それに伴う社宝が多く伝わっている。 社殿は寛文7年(1667)徳川家綱が建てたもの。 文化財 三鱗紋兵庫鞘太刀 鎌倉時代・国認定重要美術品 大般若波羅蜜多経 南北朝時代ほか・県指定文化財 牡丹唐草文瓶子 室町時代・県指定文化財 神輿 桃山時代・県指定文化財 北条氏綱制札・北条氏院印判状 戦国時代・市指定 社叢は暖地性植物が繁茂している。 市指定天然記念物 武蔵国一宮氷川女体神社 http://blogs.yahoo.co.jp/sunekotanpako/8683173.html 武蔵国一宮氷川女体神社・磐船祭 http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/7698175.html 女体神社神橋と参道石段 武蔵国一宮氷川女体神社本社殿 氷川女体神社磐船祭々祀遺跡 氷川女体神社の文化財目録版 巫女人形納め所 氷川女体神社道標 弘化2年(1845) 幕末の頃、大門宿の石工につくらせ、氏子たちが奉納した。 この頃、相次いで建てられ、建立する必要に迫られるほど、参詣者が多く、 厚い信仰を寄せていた貴重な資料である。 |
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2008年07月13日
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