なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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   昭和20年8月のこと  その16   終戦

   小説家・高見順の昭和20年8月15日の日記
   明治40年生まれ 当時38歳
   福井県生まれ 第一高等学校 東京大学英文科卒
   日本プロレタリア作家同盟の一員での非合法活動に治安維持法違反で逮捕留置。  
   此れを転機に「左翼くずれ」の苦悩と頽廃を描き文壇から注目された。
   日華事変後、長編「如何なる星の下で」を雑誌に連載、賞賛された。   
   陸軍報道班員として徴用、中国に派遣さる。
   小説を自由に発表できない鬱憤に、詳細な日記を書き始め、死の直前まで書き続け、
   勝れた日記形式の文学記録となる。
   世界ペン大会に川端康成に尽力、日本近代文学館設立に努力、40年ガンで死去。58歳。

   8月15日
    警報
    情報を聞こうとすると、ラジオが、正午重大発表があるという。
    天皇陛下御自ら御放送をなさるという。
    かかることは初めてだ。かってなかったことだ。
    「何事だろう」
    明日、戦争終結について発表があると言ったが、
    天皇陛下がそのことで親しく国民にお言葉を賜るのだろうか。
    それとも―――或いはその逆か、敵機来襲が変だった。休戦ならもう来ないだろうに・・・
    「ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃたら、みんな死ぬわね」
    と妻は言った。私もその気持ちだった。
    ドタン場になってお言葉を賜るくらいなら、
    どうしてもっと前にお言葉を下さらなかったのだろう。そう思った。
    十二時近くになった。ラジオの前に行った。(略)
    (略)
    十二時、時報。
    君が代奏楽。
    詔書の御朗読。
    やはり戦争終結であった。
    君が代奏楽。 つづいて内閣告諭、経過の発表。
    ――遂に負けたのだ。戦いに敗れたのだ。
    夏の太陽がカッカと燃えている。眼に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。
    蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。
    「おい」新田が来た。
    「よし。俺も出よう」
    支度した。駅は、いつもと少しも変わらない。どこかのおかみさんが中学生に向かって、
    「お昼に何か大変な放送があるって話だったが、なんだったの」
    と尋ねる。中学生は困ったような顔を下に向けて小声で何か言った。
    「え? え?」
    とおかみさんは大きな声で聞き返している。
    電車の中も平日と変わらなかった。平日よりいくらかあいている。
    大船で席があいた。腰掛けようとすると、前の男が汚いドタ靴を
    こちらの席の上にかけている。
    黙ってその上に尻を向けた。男は靴を引っ込めて、私を睨んだ。(略)
    ドタ靴の男は軍曹だった。
    軍曹は隣の男と、しきりに話している。
    「何かある。きっと何かある」と軍曹は拳を固める。
    「休戦のような声をして、敵を水際までひきつけておいて、
     そしてガンと叩くのかも知れない。きっとそうだ」
    私はひそかに、溜息をついた。
    このまま矛を収め、これで敗けるということは兵隊にとっては、
    気持ちのおさまらないことに違いない。
    このまま武装解除されるということは、たまらないことに違いない。
    その気持ちは分るが、敵をだまして・・・という考え方はなんということだろう。
    さらにここで冷静さを失って事を構えたら、日本はもう本当に滅亡する。(略)
    敵をだまして・・・・こういう考え方は、しかし、思えば日本の作戦に共通のことだった。
    この一人の下士官の無知陋劣という問題ではない。
    こういう無知な下士官まで浸透している一つの考え方、そういうことが考えられる。
    全てだまし合いだ。政府は国民をだまし、国民はまた政府をだます。
    軍は政府をだまし、政府はまた軍をだます、等々。
    (略)
    新田は報道部へ行き私は文報へ行った。文報の事務所では皆が下の部屋に集まっていた。
    今日は常務理事会のある日なので理事長の高島氏が来た。他の人はだれも来ない。
    文報の存否について高島氏は存続論だった。
    情報局から離れ、性格は一変するが、思想統一上やはり必要だろうという。
    ――その席では黙っていたが、私は解散説だった。
    事務所を出る。田村町で新聞を買った。今日は大型である。始めて見る今日の新聞である。
       戦争終結の大詔渙発さる
    新聞売場はどこも延々たる行列だ。
    その行列自体は何か興奮を示していたが、興奮した言動を示す者は一人もいない。
    黙々としている。兵隊や将校も、黙々として新聞を買っている。
    ――気のせいか、軍人はしょげている。
    やはり気の毒だった。
    あんなに反感をそそられた軍人なのに、今日はさすがにいたましく思えた。
    (略)
    家に帰って新聞を見た。今日の新聞は保存しておくことにした。
    嗚呼、八月十五日。
    (略)
    街の噂
     鈴木首相が少壮将校に襲われたという。首相官邸と自宅と、両方襲われたが、
     幸い鈴木首相はどちらにもいなかった。そして自宅は火を放たれ、焼かれたという。
     少壮将校団が放送局を朝、襲って、放送をしようとしたが、
     敵機来襲で電波管制中だったため、不可能だった。
   8月16日
    朝、警報。
    小田の小母さん来たり。その話では世田谷の方には日本の飛行機がビラを撒いた。
    それには、特攻隊は降伏せぬから国民よ安心せよと書かれてあったという。 
    ――勃然と怒りを覚えた。 
    北鎌倉駅を、兵隊が警備している。物々しい空気だ。円覚寺、明月院の前、建長寺にも、
    これは海軍の兵隊が銃を持って立っている。横須賀航空隊の司令官が少壮将校に監禁され、
    航空隊はあくまで戦うと頑張っているという。
    飛行機がビラを撒いた。 東京の話も事実と思われる。
    黒い灰が空を舞っている。紙を焼いているにちがいない。(略)
    鉄道でも書類を焼いている。戦闘隊組織に関する書類らしいという。
    (略)
    家に帰ると新聞が来ていた。阿南陸相自刃。 読売記事中に、
    「支那事変勃発以来八年間に国務大臣として責任を感じて自刃した唯一の人である」と
    書いてある。背後に皮肉が感じられる。(略)
    毎日、読売両紙とも、二重橋前に人々が額ずいている写真を掲げ、
    見出しは「地に伏して粛然聖恩に咽ぶ」読売、「忠義足らざるを侘び奉る」毎日。
    原子爆弾の恐るべき威力に関する記事。 休戦発表前までは曖昧に言葉を濁していたが、
    あまりどうも露骨過ぎる。
    社説は「気力を新たにせよ」読売、「強靭な団結力と整然たる秩序、時艱突破の基礎」毎日。
    (略)
    特攻機温存、本土決戦不敗という政府の宣伝が一般民衆によくきいている。
    原子爆弾の威力についても、民衆は知らない。 あんなもの――といっている。
    (略)
    私は日本の敗北を願ったものではない。 日本の敗北を喜ぶものではない。
    日本に、何といっても勝って欲しかった。 そのため私なりに微力はつくした。
    いま私の胸は痛恨でいっぱいだ。 日本及び日本人への愛情でいっぱいだ。
                               (「高見順日記」勁草書房)
     敗戦を報じる昭和20年8月15日の朝日新聞
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