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川口市安行と新郷、その周辺 10 真言宗豊山派・補陀落山西福寺 真言宗豊山派・補陀落山西福寺は、弘仁年間(810-824)に弘法大師が国家鎮護のため 創建したと伝えられ、三重塔と観音堂がある。 三重塔は三代将軍家光公の長女千代姫が元禄6年(1693)奉建したもので、 埼玉県で一番高い木造の建築物。 観音堂の本尊である如意輪観音の体内には西国、坂東、秩父の百箇所の観音像が 納められており、この一堂に参詣すれば、百箇所の観音霊場を参詣したのと 同じ功徳があるとされている。 毎年8月9日の大護摩には、四万六千日分の縁を求めて、参詣者が訪れる。 一箇所で百個所分の四万六千日分の功徳が得られるこの日は、 観音信仰が盛んであった江戸時代には大いに賑わった。 明和2年(1765)の三重塔修理の際は、百観音信仰の人気を裏付けるように、 何万人もの庶民から寄進があり、名前を記した柿板が残されているとの事。 江戸から荒川を渡って川口宿は3里5丁(13km)、この西福寺まで足を伸ばしても 江戸人の足なら日帰りコース。 川口宿、鳩ヶ谷宿で一泊すれば、尚の事当時の庶民の行楽に手頃であった。 山里の風情を残す西福寺周辺は、江戸の文人を引き付けていたと、 文化11年(1814)刊行の「遊歴雑記」の著者・津田大浄も、百観音に参詣し、 野点や連句を楽しんでいたと言う。 観音堂の本尊である木造如意輪観音坐像及び像内納入物は川口市指定の有形文化財である。 真言宗豊山派・補陀落山西福寺入り口より本堂観音堂を望む。
阿形・吽形の金剛力士石像のある入り口。 正面が補陀落山西福寺観音堂、右に木造三重塔 吽形金剛力士石像と補陀落山西福寺観音堂 阿形金剛力士石像と補陀落山西福寺三重塔 補陀落山西福寺三重塔 本堂内部より三重塔を望む。 観世音菩薩石像と鐘楼、右に三重塔。 奥に観音堂の本尊・如意輪観音坐像及び百観音が祭ってある補陀落山西福寺の観音堂内部。 ガラス越しに拝観。 補陀落山西福寺の本堂にある おびんずるさま。 御寶頭盧(おびんずる)は仏弟子、十六羅漢の一人。 神通力をもてあそんだとして釈迦に呵責され涅槃に入ることを許されず、西罌陀尼州(さいくだにしゅう)で衆生救済に勤めてという。 日本では本堂の外陣に置いて、これを撫でて病気平癒を祈る。 なでぼとけ、おびんずるさま といわれ古くから親しまれてきた。 本堂玄関の龍の彫り物。 本堂玄関の柱の彫り物 補陀落山西福寺の梵鐘。 補陀落山西福寺三重塔の木組み 高さ23m。 元禄6年(1693)建立。 かっては櫓を組んで塔の頂上まで参詣者に登らせた時もあったが、廃止されている。 補陀落山西福寺三重塔の木組み 釘は使わず、細工により作り上げられたいる。 構造は方三間で、一層の天井から真上に一本の柱を立て、その柱から二層三層の屋根に梁を渡し、風、地震にも堪える工夫がなされている。 一層の天井に十二支を表す動物の彫刻が刻まれ、方向を示していると言う。 |
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2008年10月19日
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