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川口安行と新郷、見沼用水東縁とその周辺 その02 木曽呂地域の学校、病院、運動場 その昔、見沼は自然の沼であったが、寛永6年(1629)に、関東郡代・伊奈忠治によって 灌漑用水用の溜井とされた。 約100年後の享保12・3年(1727)、見沼溜井は、徳川吉宗の命を受け、 幕府勘定方・井沢弥惣兵衛為永が、この溜井を干拓し見沼新田とした。 この新田と下郷田を潤すために、利根川から水を引き、これが見沼代用水で、 途中東西二つに分かれている。 灌漑の方法は、用水を台地際に流して田に取り入れ、 中央を流れる芝川を排水路(悪水路)として水を落とした。 そして用水路と芝川は江戸に物資を運ぶ、重要な水運路としても機能していたのである。 さきに「東浦和とその周辺」で見沼用水東縁のさいたま市部分の周辺の一部について ご案内しました。 今回から「見沼用水路東縁の川口市部分の周辺」についてご案内したいと思います。 見沼用水路と芝川とに広がる「見沼田んぼ」のJR武蔵野線北側は、 芝川の調整池として工事中で、将来自然を配置した市民の憩いの場所にと再生される。 まだ農園としても保存されている。 JR武蔵野線南側は現在市民のスポーツ広場として各種運動場が整備され、 まだ拡張されつつある。 又一部農園として、農家が米・野菜・花を栽培している。 市境の大間木、下山口新田、木曽呂地区に昔からの農家が点在している。 川口市内である昔の「見沼田んぼ」であった木曽呂地内には、 学校、病院、市民のための各種運動場が設けられている。 さいたま市大間木地区および芝川を望む。 中心の森は、水神社。 それより右に大間木地区の住宅。 その後ろの森は見沼通船堀。 左は埼玉県立川口北高校。 その後ろ埼玉学園大学。 その右川口短期大学。 芝川の左に川口短期大学。 その先に川口市立在家中学校。 川口市立在家小学校。 さらに東京外郭環状道路が横一直線に走る。 建物は埼玉協同病院。 手前運動場は埼玉県立川口北高校。 埼玉県立川口北高校。 川口短期大学。 埼玉学園大学。 川口幼稚園。 埼玉朝鮮学園幼稚部。 川口市北スポーツセンター管理の市民のためのターゲット・バード・ゴルフ場。 前方の森の手前に見沼用水路が流れる。 川口市北スポーツセンター管理の市民のためのサッカー練習場。 ここは見沼用水東縁の用水路の際である。 前方建物は左から埼玉県立北高校。 中央は老人ホーム。 右に埼玉協同病院 川口市北スポーツセンター管理の市民のための野球場。 ここは見沼用水東縁の用水路の際である。 前方建物は左から埼玉県立北高校。 中央は老人ホーム。 右に埼玉協同病院 川口市北スポーツセンター管理の市民のための野球場。 前方建物は川口市立在家中学校及び在家小学校。 |
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2008年10月08日
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