なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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   足立・舎人と伊興その周辺 05
   舎人諏訪神社

   舎人諏訪神社は、見沼代親水公園の中間にある。
   足立区教育委員会の案内板(足立区有形文化財指定)によれば、
   『舎人諏訪神社本殿は、一間社、流造千鳥破風付、向拝正面に軒唐破風が着く社殿形式である。
   屋根は総柿葺で、現在は覆舎によって囲われている石組基壇上に建立されている。 
   身舎の大壁、小脇壁、脇障子、柱上組組物、縁腰組の間が彫刻で飾られ、
   竜の彫刻は見事である。  
   牡丹の彫刻を施した手挟、向拝柱の獅子鼻、象鼻など、江戸時代末期の神社建築の特徴が
   如実に現れている。 
   身舎内部に、天保7年(1836)の建立である棟札がある。
   江戸時代末期の神社建築の手法を知る遺稿として注目される』 と記されている。

   舎人氷川神社といい、此処といい、本殿に見事な彫刻を施しているのは、
   やはり日光街道の宿場町として栄えたからと思われる。

   新編武蔵野風土記稿に、
   「諏訪社 西門寺ノ持ナリ。此社地ニ夫婦杉ト唱エテ二樹アリシガ、三沼代用水掘割ノ時、
   コノ二樹ノ間ニ溝ヲ開キシヨリ、土人婚嫁ノ時前ヲ過ルハ嫌イシトテ此道ヲ避ルト云。 
   此杉今ハ枯タリ」 とある。 
   見沼代用水を通したのは、享保12年(1727)の着工であるから、
   その以前にこの神社があったことになる。

   また、神社の鳥居は神殿に対して、斜めに立っているのは、毛長神社の方向に
   向けたためとも言われている。
   『隣村の新里(埼玉県)から嫁いだ娘が、姑との不仲を苦に入水し、夫も後を追い自害した。
    川から娘の長髪が見つかり、ご神体にしたのが、新里の毛長神社である』 といわれている。
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   長い年月の風雨に耐え、立派な風格をかもし出す鳥居。
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   図らずも世話人が掃除のために、拝殿前の扉が開かれ、内部を撮影させてもらった。
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   神殿右側面の彫刻
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   神殿背面の彫刻
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   神殿左側面の彫刻
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   神殿きざはしの彫刻
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   神殿、流造千鳥破風付の彫刻
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   御神木、保存樹木指定のしらかし
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   境内の前は「見沼代親水公園」流水の遊歩道
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   放置されている、手水石(天保7年(1836))と仏塔の一部(文化7年(1810))
   どちらも神社の建立の時と前に奉納されたものである。 
   神社建築物とセットで、設置されるべきものである。 
   世話人は「判ってはいるが、ワシ等ではどうにもならん。 教育委員会も動いてくれない」と
   嘆いていた。 
   それは境内と遊歩道の境の、保存樹木の根元に存在する。 粗大ごみとして、無くなりそう!!
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