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足立・舎人と伊興その周辺 06 古千谷氷川神社 古千谷氷川神社は、高い木立の中にある。 境内も広い。 木造の鳥居は、年月を経た風格のある鳥居である。 松の古木が多いのもこの神社の特徴である。 神輿庫があるから、古くからの氏子・参詣者が多かったことであろう。 伊興氷川神社 足立区最古の氷川神社で、淵江領の総鎮守であった。 江戸期に村々の開発が進み、各地に鎮守が祀られ、 この社は伊興、竹塚、保木間三村の鎮守となり、明治5年伊興村の村社になった。 奥東京湾の海中にあった足立区が、陸地化していく過程で、この付近が最も早く陸地となり、 大宮台地あたりからの移住者が、武蔵国一ノ宮である大宮氷川神社から、 分霊を勧請したものと考えられている。 当時はまだ淵が入り組んでいたので、「淵の宮」と呼ばれ、 また区内一帯を淵江郷、淵江領の名が生じた。 付近一帯は、古代遺跡で、弥生式土器、須恵器、鏡、勾玉、管玉、臼玉などの 祭祀遺物や漁具、住居跡、井戸跡などの生活遺構が出土した。 足立区登録記念物・史跡として指定。 境内はスギ、ケヤキなどの保存樹木指定の古木大樹が多く、鎮守の森を形造っている。
入り口の幟たて台は享保12年(1727)とあり、古くから信仰を集めていた。 伊興氷川神社の拝殿。 社前の御神灯は文政5年(1822)奉納されたもの。 神域にある浅間神社の大鳥居は文化元年(1804)建立のもので、 末社稲荷神社も神域の中にある。 水屋は文政2年(1819)奉納。 奉納は「願主・当村・湯殿山講中、先達・大乗院、大寿院、総氏子」とある。 仏教の寺院が願主になって、講を作り記念し奉納していて、神仏混合の名残が此処にあり、 興味が湧く。 「日露戦役記念碑」揮毫・乃木希典陸軍大将 乃木将軍に関しては、『歴史・歴史の特別日』「明治天皇崩御 明治から大正に」に 関連記載しています。 その記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/13474372.html 「日露戦役記念碑」にまつわる解説文。 太平洋戦争・終戦後、戦時色のあるものは、全て、撤去され、破壊された。 記念碑然り、銅像然り、あらゆるものが、軍国主義復活に繋がると言うことで撤去され、 「日本人の心」までもが奪われた時代があった。 然し、これにあえて立ち向かった人達がいた。 農民である。 彼等の行動に敬意を表したい。 昔、日清・日露の戦いの戦勝記念碑が、あちらこちらにあった記憶があったが、 それは消え失せていた。 此処で歴史の重みを、気付かせて貰ったのである。 力石 昔、村の青年たちが、祭のたびに「さし石大会」を開き、これらの石を持ち上げ競って 楽しんだという「力石」、それぞれに重さが刻んである。 |
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2008年12月10日
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