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足立・舎人と伊興その周辺 14 曹洞宗・南昌山東岳寺 寛永10年(1798)浅草の新寺町に創建され、昭和36年に伊興に移転した。 境内には「東海道五十三次」などで知られる浮世絵師、初代安藤広重の墓と記念碑がある。 墓は昭和33年、広重の百回忌の折に再建されたものです。 また、広重の画業を世界に紹介した、アメリカ人、ジョン・スチュワート・ハッパーの墓や 川柳の修句を集めた俳風柳多留の版元花屋久次郎の遺跡跡もある。 東京都旧跡指定・初代安藤広重墓及び記念碑 安藤広重=東京都教育委員会が昭和43年に建てた説明板に 『広重は浮世絵の大家で寛永8年(1796)に生まれ、文化8年(1811)歌川豊広に 師事し、翌年歌川広重の画姓を許された。はじめ一遊斎、次に一幽斎、立斎と号した。 諸派の画風を習得するとともに西洋画の遠近法を加味して一流をなし、 はじめ美人画、役者絵等を描いた。 天保年間「東海道五十三次図」を描き一躍名声を得て風景版画家として 第一人者となった。 その作風は、純客観視覚をもって自然を描き、情緒ある日本的風景画を完成した。 「東都名所」「近江八景」などは著名作。 「名所江戸百景」の完成を見ずに、安政5年(1858)に没した。 墓石は、震災および戦災で破壊され、昭和33年百回忌に際し再建した。 記念碑は大正13年に建立されたものである』とある。 ハッパー墓銘=『米国人ハッパーは日本在住46年に及び世界に日本文化を紹介し、 深く広重の芸術に憧れ自ら広重ハッパーと称す。昭和11年12月19日東京に没す。 享年74、知友相謀り、墓を東岳寺内広重の碑側に建つ。 昭和12年5月30日』と ある。 撰文は、藤縣静也。 また、碑の上部に英文があり、撰文は、詩人野口米次郎である。 都道100号線伊興通り、観音橋バス停のところに、東岳寺はある。
秋、紅葉に染まった庭園は大変美しい。 山門をくぐっただけで、別世界の感じであった。 本堂も調和して、趣がある。 山門をくぐって左手奥に、安藤広重の墓と記念碑がある。 その左にアメリカ人ハッパーの墓、 更に左に川柳の修句を集めた俳風柳多留の版元花屋久次郎の遺跡跡 広重の墓の右手に広重塚があり、その右に歌人・香月弘為の碑がある。 東岳寺の庭は、池を中心に配置してあり、紅葉が大変美しい。 |
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2008年12月21日
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