なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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   江戸東京・山手 11
   与謝野鉄幹・晶子夫妻

   前回、与謝野鉄幹・晶子夫妻は雑誌「明星」を通じて、文芸活動を最も華々しかった頃の
   明治37年、晶子が長詩「君死にたまふこと勿れ」を発表し、非難、投石を受け
   渋谷から逃げるように立ち退き、千駄ヶ谷の地に逃げ延びてきたことを紹介しましたが、
   この詩を発表すること事態は、恐らく大変勇気のいることであったと思う。 
   この詩を発表したときは、日露戦争が始まり、まさに日本国中の人々が高揚していたときである。 
   恐らく毎日のように、戦地に赴く将兵を、歓呼の声で送り出し、
   戦勝を祈願して意気高揚していたときでもあった。 
   出征する兵士は、競って武功を立てるべく、また戦死すればこれも誉れと覚悟して出征していた。 
   現在の日本人には到底想像ができない、理解が出来ない事柄であると思う。
   晶子はこの様なとき、あえて反戦の歌とも取れる詩を発表し、
   世間の中傷に巻き込まれたのであった。
   では晶子は反戦に徹した思想の持ち主であっただろうか?  
   晶子の詩にこれ以外は登場していない。
   ただ、弟の出征に、素朴に思い、それを口に出し、素朴に書き写し、発表しただけだと思う。
   発表して初めて、世間の反応に驚き、たじろいだのだと思う。 
   しかし、明治の時代であったから、まだ世間は寛大であった。
   若し、晶子が昭和10年代の人で、昭和10年代にこの詩を発表していたなら、
   どうなったであろう。
   現代の日本人にはとても想像できないであろう。 
   事実この詩は長い間、凍結され、存在すら明かされなかった。
   この詩を知ったのは、終戦後大分経ってからであった。
   若し、晶子の「君死にたまふこと勿れ」を昭和10年代に発表したら、恐らく重罪を課せられ、
   小林多喜二「蟹工船」のように獄中で拷問を受け、獄死していたことであろう。 
   それほど、当時の社会は、想像以上に厳しいものであったことを伝えておきます。 
   前にも触れたが、ドラマ「おしん」でおしんがこの詩を意味もわからずに暗記した、
   将来判るであろうと。 
   皆さんはあまり深くは考えなかったと思いますが、
   あの背景は非常に厳しい社会情勢であったということです。

   与謝野鉄幹の詩に、年配者なら誰でも知っている詩「人を恋うる歌」があります。 
   かつての第一高等学校や第三高等学校の寮歌として歌われてきた。
   この詩はやはり,現代人には難解。 
   詩を深く理解するためには、古今東西の歴史、人物、背景を知る必要がある。

   人を恋うる歌   与謝野鉄幹

    妻をめとらば才たけて  みめ美わしく情けある  
    友を選ばば書を読みて  六分の侠気四分の熱
         恋の命をたずぬれば  名を惜しむかな男ゆえ
         友の情けをたずぬれば  義のあるところ火をも踏む
    汲めや美酒うたひめに  乙女の知らぬ意気地あり
    簿記の筆とる若者に  まことの男君を見る
         ああわれダンテの奇才なく  バイロンハイネの熱なきも
         石を抱きて野にうたう  芭蕉のさびをよろこばず
    人やわらわん業平が  小野の山ざと雪をわけ
    夢かと泣きて歯がみせし  むかしを慕うむら心
         見よ西北にバルカンの  それにも似たる国のさま
         あやうからずや雲裂けて  天火一度降らんとき
    妻子を忘れ家を捨て  義のため恥を忍ぶとや
    遠くのがれて腕を摩す  ガルバルディや今いかに
         玉をかざれる大官は  みな北道の訛音あり
         慷慨よく飲む三南の  健児は散じて影もなし
    四度玄海の波を越え  韓の都に来てみれば
    秋の日かなし王城や  昔に変る雲の色
         ああわれ如何にふところの  剣は鳴りをひそむとも
         咽ぶ涙を手に受けて  かなしき歌の無からめや
    わが歌声の高ければ  酒に狂うと人のいう
    われに過ぎたるのぞみをば  君ならではた誰か知る
         あやまらずやは真ごころを  君が詩いたくあらわなる
         無念なるかな燃ゆる血の  価少なき末の世や
    おのずからなる天地を  恋うるなさけは洩らすとも
    人をののしり世をいかる  はげしき歌をひめよかし
         口をひらけば嫉みあり  筆を握れば譏りあり
         友を諫めに泣かせても  猶ゆくべきや絞首台
    おなじ憂いの世に住めば  千里のそらも一つ家
    己が袂というなかれ  やがて二人の涙ぞや
         はるばる寄せしますらおの  うれしき文を袖にして
         きょう北漢の山のうえ  駒立て見る日の出づる方

   明治公園

   東京都体育館の背後の低地に細長く明治公園がある。 ここにある道路が、外苑西通りである。
   この周辺一帯は、もと紀州徳川家下屋敷の一つで、明治20年に明治天皇がここに行幸され、
   流鏑馬行事を天覧されていたと言う。
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   昭和39年10月10日東京オリンピックが開催され、この明治公園にある
   国立競技場がメイン会場となった。 前方が国立競技場、右側に中央広場
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   外苑西通りを渡る「明治公園橋」  東京都体育館と国立競技場を結ぶ橋
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   外苑西通り。  前方、首都高速4号線とJR中央線。
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   国立競技場中央広場、外苑西通り、東京都体育館裏手。
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   紅葉の明治公園と外苑西通り
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