なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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   東海道新幹線開業 (昭和39年10月1日)

   平成20年11月30日、この日をもって新幹線0系車両(新幹線開業当時の車両)が引退し、
   多くの人たちに見送られ、沢山の人たちに夢を与えた新幹線0系車両が、
   静かにホームから姿を消した。

   高度経済成長の真っただ中、日本の力を世界に示す絶好の機会となる東京オリンピック開催まで
   あと9日に迫った昭和39年10月1日。  国鉄が3800億円の工費を投じ、
   最新技術を結集して作り上げた、世界最速の「夢の超特急・東海道新幹線」が営業を開始した。

   開業当日、東京駅と新大阪駅で出発式が行われ、定刻午前6時、「ひかり1号」が東京駅を、
   「ひかり2号」が新大阪駅をすべるように出発した。

   当時、営業速度の世界最速は、フランス「ミストラル号」と西ドイツ「ラインゴルド号」が
   記録した自足160km。  
   「ひかり1号」は小田原付近で時速170kmをマークし、東京―新大阪間515kmを
   4時間で突っ走り、大量・高速輸送時代が到来。 
   翌昭和40年11月1日からは3時間10分に短縮された。 
   更に現在の「のぞみ」では、2時間30分である。

   新幹線開業以前は、東海道本線在来線で東京―大阪間は特急「ツバメ」が、
   列車形式の35年頃まで8時間、その後電車形式になって7時間かかっていた。    
   急行で9,10時間、鈍行で12時間であった。

   東海道新幹線建設の構想は、戦時体制中の昭和14年、鉄道大臣の諮問機関「鉄道幹線調査会」が、
   東京―下関間を9時間以内で結ぶ「弾丸列車」構想を答申し、東海道本線に別線で
   国際標準軌間1435mmの高速新線を建設するという構想であった。 
   一部の工事が着工されたが、戦争激化で昭和18年に工事中断。
   戦後、高度経済成長期に入り、輸送需要の拡大に対応するため、
   幻の弾丸列車構想が蘇ったのである。

   昭和32年8月30日「日本国有鉄道幹線調査会」が設立され、
   11月「東海道に新規路線を緊急に建設する必要がある」と運輸大臣に答申、
   5年で東海道新幹線を実現すると言う計画がスタート、
   昭和34年4月20日新丹那トンネル東口で起工式が行われた。 
   弾丸列車構想から4半世紀、着工から僅か5年半で東海道新幹線は開業した。

   当時の技術でも、速く走るだけなら時速500kmを出せるが、安全性に万全を期し、
   輸送力確保するための適正なスピードが必要。 
   そのため安全を確保できる本数と、集中的に制御する運行管理システム構想を導入、
   新幹線運行に当たって、世界に誇るハイレベルな集中管理コンピュータ・システムを開発した。
   また速く走ると振動が大きくなり、この振動の制御が新幹線最大の問題点であったが、
   かつて戦時中世界最優秀戦闘機「零戦」の開発にたずさわった技術者の協力で、克服したのであった。 
   また、線路上の異物排除、振動対策、通気気密性保持、ATC自動列車制御装置、
   CTC列車集中管理制御装置など、技術の粋を集めた新幹線であったが、   
   当初はトラブルが頻発。 軌道に乗ったのは操業開始から1ヵ月後であった。

   新幹線開業当時は、まだ利用客も少なかったという。 
   開業当日の東京駅始発の乗客数は、730人余だったという。

   新幹線の実現は、東京と大阪間のビジネスが日帰り可能となりスピードアップしたが、
   反面ビジネス出張宿泊という楽しみが奪われたのである。

   新幹線開業と同時に、昭和39年9月5日には、名神高速道路が全線開通し、
   その後のモータリゼーションの幕開けとなった。 
   戦前に、これも東京―神戸間に「弾丸道路」構想があり、戦争により立ち消えとなっていた。
   戦後、道路改良の立ち遅れを解消すべく、「弾丸道路」構想が実現した。
   このあと東名高速道路が昭和44年に完成するのである。

   更に、この年の昭和39年には、東京首都高速道路開通、東京地下鉄開通、
   東京都心―羽田空港を結ぶ東京モノレール開通など、オリンピックに向けた交通網の近代化が
   一気に進み、急ピッチで距離と時間が短縮され、人々の暮らしも大きく変わってゆくことになった。

   前回お話したように、東京オリンピックは、日本は開催決定から、準備期間の7年間、
   オリンピック関連投資額は実に一兆円を超え、
   諸外国では30億ドル(為替レート・1ドル=360円)のオリンピックと驚嘆した。 
   だがその8割は新幹線、高速道路、地下鉄などの交通網の整備にあてられ、
   先進国の仲間入りを果たしたことをアピールすると共に首都圏の交通網の過密化を
   この際打開するのが、国家目的とされたこの目的を達成したのである。

   東海道線関連の輸送力も38%アップし、人と物の大量・高速輸送が可能となった。
   その後、高速道路の交通量は飛躍的に増大する。 
   同時に、輸送の主役は、鉄道からトラックへと移り、そして庶民の足としての鉄道も
   マイカーの普及と共に次第に低下していった。 
   全国鉄マンの夢、超特急の実現が開いた新しい時代は、
   皮肉にも国鉄の凋落をも招くこととなってしまった。

   昭和37年6月26日、神奈川県大磯―鴨宮間の「モデル線」で、
   試運転の運転台から手を振る十河信二・国鉄総裁。   (朝日新聞)
イメージ 1

   新幹線と名神高速道路が入り組んで曲線模様を描く、彦根インターチェンジ付近。
   走っているのは、試験走行中の超特急。  新幹線も高速道路も開業前の撮影。 (朝日新聞)
イメージ 2

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