なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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   太平洋戦争開戦 (昭和16年(1941)12月8日)

   12月は私にとって生涯忘れることが出来ない月です。 
   
   昭和16年(1941)12月8日午前7時
     『臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
     帝国陸海軍は本8日未明西太平洋において米英と戦闘状態に入れり』 
   小学校6年生だった私は飛び起き、いよいよ始まったかと奮い立ちました。 
   第2次世界大戦の始まりです。 
   
   午後からは、海軍がハワイ真珠湾に奇襲攻撃をかけ、米太平洋艦隊を撃滅したとの
   戦果が発表され、緒戦の大勝利に熱狂しました。 
   また同日、陸軍はシンガポール、香港、グァムを攻撃、
   10日海軍はマレー沖でイギリス太平洋艦隊を撃滅、
   陸軍はフィリピン・ルソン島に上陸、香港は25日に占領、
   シンガポールは翌2月に占領し昭南島と改名、
   戦況はどんどん南方に拡大していきました。

   この戦争は突然に起こったわけではありません。 
   昭和元年から5年ごろ中国では蒋介石率いる国民政府と毛沢東率いる共産党との内戦状態で、
   この混乱に乗じて遼東半島の関東軍が武力進出、昭和6年(1931)9月満州事変が勃発、
   翌昭和7年(1932)日本による「満州国」を建国し、日本は中国東北部に支配権を確立した。
   然しこれに対して翌昭和8年(1933)2月、「国際連盟」は「満州国」を42:1で
   不承認を採択し、日本代表・松岡外相はこれを不満として「国際連盟議場」を退席、
   米英と共に常任理事国5カ国の1国として「国際連盟」を支えて来た、その「国際連盟」を
   脱退し世界の孤児となったのです。
   
   この年、ドイツはヒットラーが首相に就任。 
   
   昭和11年(1936)2月、「昭和維新」を旗印に「皇道派」青年将校がクーデターで暴発、
   重臣を殺傷し、首相官邸、陸軍省等首都中枢部を4日間占拠した。
   陸軍内部の派閥対立である「2・26事件」である。 
   天皇はこれを「反乱軍」と主張し鎮圧を求めた。 
   これを鎮圧した東條らに代表される「統制派」が陸軍の主流となり、
   戦争への道をひた走ることになったのです。 

   昭和12年(1937)7月北京西南の濾溝橋での一発の銃声から「支那事変」が起こり、
   8年に及ぶ日中全面戦争に突入した。 
  
   「勝ってくるぞと勇ましく、誓って国を出たからは、」と毎日のように、
   町会婦人会の人たちに送られて、男達は徴兵され、前線にと送り込まれた。 
   私の父の弟、母の弟も支那の奥地に転戦々々と、戦場はどんどんと拡大していった。 
   
   昭和14年(1939)8月満州・西北部国境モンゴル・ノモンハンで関東軍とソ連軍とが激突、
   日本が経験する初の本格的近代戦の「ノモンハン事件」で、戦闘3ヶ月ソ連機械化部隊の前に
   一個師団1万7千人そっくり壊滅という敗退をした。 
   
   一方昭和14年(1939)9月ドイツはポーランドに進攻し、ここに第二次世界大戦が勃発。 
   昭和15年(1940)9月には「日独伊3国軍事同盟」を締結。 
   昭和15年(1941)6月ドイツはフランス・パリに無血入城するや、
   同月独伊はソ連に宣戦布告し、ドイツ軍はソ連領になだれ込み、5ヶ月でモスクワに迫った。
   がモスクワ攻防でナポレオンの二の舞「冬将軍」と、ソ連の反攻に撤退した。

   昭和15年(1940)11月10日、万歳三唱の声の中で「紀元2600年式典」が開催された。
   昭和16年(1941)4月北方を安定し南進する意図で、「日ソ中立不可侵条約」を
   モスクワで調印したが、これは日ソ両国にとって「後門の憂い」を除く共通の利益であった。
   同年12月不沈の戦艦「大和」が竣工した。

   日本は緒戦に大勝利したが、
   昭和17年(1942)6月、「ミッドウエイ海戦」で、空母4隻を失う大惨敗を喫し、
   開戦半年で形勢が逆転、以後劣勢を挽回できず、
   昭和20年(1945)8月15日「ポツダム宣言受諾」の敗戦に向かうのである。 

   一方ドイツも昭和17年(1942)8月スターリングラウド攻防戦で敗北撤退し、
   敗北の道を転がり落ち、昭和20年(1945)5月7日「無条件降伏」するのである。

   「リメンバー・パールハーバー」と今でもアメリカから出てくるが、
   日本の真珠湾攻撃はアメリカ国民の憤激を引き起こし、戦意を大きくかきたてたのである。
   「日米交渉決裂」の通告はワシントンの日本大使館の大失態によって、
   真珠湾攻撃開始から1時近くも遅れ、
   しかも外交慣例でいう国交断絶でも宣戦布告でもなかったことが、
   アメリカ世論の憤激に油を注いだ形になり、
   翌日、アメリカ上下両院は、大歓声の中、議員全員の「宣戦布告」を議決した。

   真珠湾奇襲作戦を立案した連合艦隊司令長官・山本五十六海軍大将は、
    『奇襲攻撃でアメリカ太平洋艦隊を壊滅し、戦意喪失させ、
     早急に有利な条件で和平を取るのが主眼』 との思惑ははずれ、
   アメリカ国民の戦意を大きくかきたててしまったのである。

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