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足立・舎人と伊興その周辺 04 舎人氷川神社 この社は、須佐之男命を祭る、舎人の鎮守で境内が広い。 本殿は土壇を築いて建てられ、左の池畔に末社の八幡神社がある。 足立区教育委員会の説明板によれば、 『鎌倉時代初期の正治2年(1200)に大宮の氷川神社を勧請祭祀したと伝えられている。 現在の社殿は天保7年(1836)建築で、総けやき造り、柾目の素材を集めて造営されている。 唐様破風流れ造りの屋根が、大きく社殿を覆っている。 社殿一面に施された彫刻美が特徴である。 向拝の両柱の昇竜・降竜、正面扉の唐獅子や牡丹、左側面の八岐の大蛇退治、 裏面には天の岩戸開き、右側面には天孫降臨の様子が浮彫されている。 更に両袖の懸崖には親子の唐獅子が彫り抜かれている。 獅子は子を千尋の谷に突き落とし、子は自力で谷間から這い上がるという図柄である。 舎人は江戸時代には赤山街道の宿場町として栄え、 「ごぼうの市」に代表される市場町としても賑わったところでもある。 この文化的。経済的な背景が勝れた彫刻を持つ社殿の建立につながったと言える』 と 説明が記されていた。 都道・尾久橋通り、モノレール日暮里舎人ライナー舎人駅または見沼代親水公園駅下車 舎人氷川神社鳥居、拝殿、前庭 舎人氷川神社の神池・弁天池 見沼代用水浄化水を利用。 日露戦争従軍記念碑「表忠碑」。 揮毫は 元帥伯爵・東郷平八郎・海軍大将 東郷平八郎=海軍大将・元帥・侯爵 薩摩出身 日露戦争に連合艦隊司令長官に就任、日本海海戦にロシア・バルチック艦隊を破り、 陸軍の乃木希典・陸軍大将と共に名声を博した。 「皇国の興廃この一戦にあり。 各人一層奮励努力せよ」は有名な激励文 海軍軍令部長・東宮御学問所総裁(昭和天皇の天皇教育)。 国葬(1847-1934) 日露戦争=明治37-38年(1904-05) 日本が帝政ロシアと満州・朝鮮の覇権を争った戦争。 1904年2月、国交断絶以来、同年8月以降の旅順攻囲(乃木希典・陸軍大将指)、 05年3月の奉天大会戦(大山巌・陸軍大将指揮)、 同年5月の日本海海戦(東郷平八郎・海軍大将指揮)などでの日本の勝利を経て、 同年9月アメリカ大統領ルーズベルトの斡旋により、 ポーツマスにおいて講和条約成立。(ポーツマス条約) 大山巌=元帥・陸軍大将 薩摩藩士出身 日清戦争に第2軍司令官、日露戦争に満州軍総司令官。 元老、内大臣。(1842-1916) 広辞苑より モノレール・日暮里舎人ライナーは、氷川神社の鳥居の上を,横切って通過するような感じ。
天の岩戸開き、天孫降臨、八岐の大蛇退治、子獅子を千尋の谷に突き落とす古事、神話を題材に 彫刻が成された本殿は、彫刻の神殿で、実に見事である。 神殿にこのような立派な彫刻を一面に施した氷川様を見たことはない。 徳川時代の太平な天保時代に、これだけの社殿を建設したことは、 この地方が「日光街道・舎人宿」として栄えていた証でもある。 本殿右側より見て、日差しに輝いて浮き彫りの、 向拝の柱の昇竜・降竜、及び正面扉の唐獅子や牡丹。 本殿左側より見て、日差しに輝いて浮き彫りの、 向拝の柱の昇竜・降竜、及び正面扉の唐獅子や牡丹。 本殿左側より見て、日差しに輝いて浮き彫りの、本殿左側面の八岐の大蛇退治の一部。 本殿左側より見て、本殿左側面と柱を繋げる横張柱の竜の彫刻。 社殿右側面に、天孫降臨の様子を浮彫。 裏面には天の岩戸開き 社殿右側面に、天孫降臨の様子を浮彫。 |
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2008年12月08日
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