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東浦和とその周辺 その20 見沼田んぼ 散策案内 木曾呂の富士塚 見沼通船堀と見沼代用水東縁の合流地点に隣接して、木曾呂の富士塚があります。 富士山を模して築造した塚で、老若男女だれでもが心安く、富士登山できるようにと、 各地に築かれたのが始まりですが、 木曾呂の富士塚は、寛政12年(1800)に富士講の信者は蓮見知重の発願によって、 見沼代用水と通船堀との連結地点に築造された。 富士塚の麓には、文化2年(1802)造立の蓮見知重の碑があり、築造の由緒が刻まれている。 富士塚の中でも古く、埼玉県では最古で、庶民信仰を知るうえの貴重なものであり、 昭和55年4月に国指定の有形民族文化財に指定された。 木曾呂の富士塚http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/11545774.html 見沼通船堀東縁仮締め切り付近より見る、木曾呂の富士塚 木曾呂の富士塚を発願・築造した蓮見知重の碑 富士塚山頂より見た、林立する国指定の碑 富士塚 胎内くぐり穴入り口の碑と富士溶岩 下山口稲荷神社 見沼通船堀東縁仮締め切り付近にある、下山口地区部落の稲荷社。 下山口地区部落の英雄、日清(1894・95)・日露戦争(1904・05)従軍,凱旋記念碑 部落民6名記名 下山口稲荷神社のすぐ裏は部落の墓地だった。 八丁稲荷神社 通船堀は内陸水運の要に位置し、江戸との物資の流通に、 荷物の集積所の役割を果たしていたので、人の交流も盛んであった。 この地に稲荷神社と地蔵尊そして庚申塔が、非常に多く見られるのも、このためであると思う。 気が付くと、ここにも、ここにもと、本当に多い。 昔の信仰・信心の深さを垣間見るようである。 八丁稲荷にある庚申塔は安永6年(1777)の奉納物 八丁集会所の地蔵尊 下山口稲荷にも地蔵尊があり、線香の煙が絶えないようだ。 見沼の禁忌作物 見沼の禁忌作物としてレンコンがある。それは氷川女体神社付近では、 祭神クシイナダヒメノミコトが戦いのときハスの茎で目を突いた為と言い、 大間木では見沼の竜がハスの茎で鱗を痛めた為と言う。 また野田では、大田道灌(始めて江戸城を築いた武将)が戦いのとき、 ハス畑に隠れたら雨が降ってきて、葉に当たる音が鉄砲玉に聞こえ驚かされた為と言う。 見沼の伝説から 美女と馬子
江戸から空馬を引いて帰ってきた馬子が、 途中で美女が疲れた様子で歩いているのを見て、馬に乗せてあげた。 別れに美女から箱を貰った。 決して開けてはいけないと言われて、馬子はそれを主人に渡したが、 やがて箱を開けて中を見てしまった。 中には小判形をした龍の鱗が入っていた。 それからというものは、凶作や不幸が続いた。 美女は竜神の化身ではないかと考え、村では、 弁天社を作り龍神を慰めたところ、また平穏になった。 下山口新田にある弁天社がそれだトサ。 見沼の伝説から |
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2008年07月25日
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