なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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   昭和20年8月のこと  その15   終戦

   陸軍中尉の妻の昭和20年8月15日の日記
   
      大正12年生まれ 当時22歳
      陸軍中尉と19年10月見合結婚し、満州に渡る。
      夫は8月8日作戦のため、妻を陸軍官舎に残し移動。
      8月9日突然ソ連軍満州進行。妊娠7ヶ月の体で必死の逃避行。
      小さな手帳に日々の記録を記入。 

   8月9日
     午前2時頃、露国我に空襲を敢行せり
     同様午前3時、ソビエト我に対し宣戦布告せり
     本日17時、出発準備されたく部隊より報有り
   8月10日
     荷物といえばリュック一つ 着のみ着のまま、トラックに飛び乗り駅に向う
     駅には避難民の群に ごった返している
     雨はようしゃなく降りしきる中を、我勝ちに列車に飛び込む様・・・
     とうとう乗れなくて指示で、一旦別れと出でたった官舎に後戻りする
   8月11日
     早朝より雨は引切りなしに降る
     又トラックで駅へ 今日は兵隊も付いて来てくれて楽に乗り込む
     然し発車は、待っても、待ってもしない 林口辺りを破壊された由 
     そのまま列車内で一夜を送る
   8月16日
     緩化にたどり着く
     兵舎と備り  暫く滞在の予定
   8月17日
     営庭集合 日本帝国全世界各国に対し無条件降伏せりとの報を受ける
     ただただ呆然となり信ずる気になれず
   8月20日
     夜営庭へ
     謹んで宮城に向かい最敬礼を行う
     ラッパに合わせ 深く、深く頭を垂れ 溢れ落ちる涙にどうする事も出来ず
     兵は皆武装解除されたとか
     何と、何と悔しい事か・・・
     午後営庭を掃除し何を待つ?
     敵が武器受取りに来る由、ああこんな恥辱をこうも早く、日本人と生まれて、
     甘んじて受け様とは思はなかったが、女の我にでさえも この胸も千切れる思いなのに、
     彼は何処で・・・
     彼の人の気持を察しては涙溢れる
     今にあの嫌な青い目が目前に現れるであろう・・・
   8月21日
     ソ連落下傘で降下し 街々の封印をやっている由
     乾パンを背負い切れない程分配され 此れから何処に 流浪の旅して内地まで帰れる事か
     主人と相合う日が来るものやら、唯 為すがまま身をまかせて
   8月23日
     遂にソ連現れる。壁一重の処にこれから一緒に生活して行かねばならない。 
     我々は何日、何処へ行かねばならぬか、今のところ不明だが 全く心細い次第である
     一般に、好意は持っている様に思われるけど まかり間違った日には どんな目に会うか
   8月25日 
     食料も、ソ連に押さえられ食べる物もない
     皆が少しずつ、持ち合せの米を出し合って 夕方一握りのおむすびに有り付く
     便所も露天に、即製で出来上った。 こうなれば恥も何も無く 
     殆どの人が下痢に悩まされている。
     そのくせ、胡瓜・トマトと、一個五十銭にも当る様な物を、
     争って買って来ては食べる様 誠に情ない
   8月27日
     (略)
     十日頃より輸送されると云うが 果たして本当か否か 
     多分ハルピンあたりに行っていると聞くけれど・・・
     早く、ハルピン迄なら飛んで行きたい。
     ただ食べる為に各々、汚いギョウザを一円も 熟れてもいない甘瓜を三円も出して、
     お腹一杯満たす様  官舎に居た頃の生活が懐かしく、夢に浮かんで来る 
     二度とあの様な、楽しい生活が出来ようとは思はれない
     会って その途端ワッと泣き出すのではないかと思はれる。
     一ヶ月の後 骨と皮になって ボロを下げ玄関に立った時 家の人は何と思うだろう、
     幽霊かと怪しまれるに違いないと思う・・・
   9月1日
     早くも九月 秋風は遠慮なし それでなくても寒さは、我々の心に染み込んで来る
     ただただ 願いは内地へ、一刻も早く帰りたい
     それなのに 冬越しの準備をせよと上司の命令とか 本当かうそか?解らない
     然しこの寒い満州の地で、しかも露天同様の生活で 何で冬越し出来様 
     思えば薄ら寒く、泣けて来る それに十一月にお産を控え 何一つ準備していない身 
     ああ恐ろしい
   9月2日
     (略)
     彼の人は如何にして、この日を送れるか?
     ハンドバックに入れた写真を 密かに眺めた
     ドカンと始まった日から もう一月近く 未だにこの様な処に、ぐずぐずしている
     思い切り主人と会って泣きたい 
     内地も同じ いやもっと苦しい目に、会っているかも知れないけど 
     ただ苦しいのはお産だけ
     もし十一月迄もいる様になれば、無事では人並には、帰れないだろう 
     くよくよすれば胎児に影響するかと思いつつ 我と我が身を励ましている
   9月7日
     夜賑やかに慰労大会をやる 各班より数名の芸者が飛び出して 
     愉快に楽しく一晩を過ごす
     毎日くよくよばかりしていても 本当に気が狂いそう
   
   9月20日待ちに待った列車が準備され、新京まで避難。途中満州人の襲撃を受けたり、
   ソ連兵に身体検査され貴重品を失ったりしたが、新京陸軍官舎に収容される。
   24日で逃避行の日記は終わり、次は11月3日から記入。

   11月3日
     午前五時、正彦出生  於新京陸軍官舎 
   11月14日
     正彦が生まれて十二日目
     何だか正彦昨日より元気がなく、乳も思う様に欲しがらず眠ってばかりいる
     眠った顔を、つくずく眺めて 何て可愛いんだろう 小さな人形みたいだ
     このまま二日も、乳を飲まねば死んでしまうだろうに 心配で、心配で 
     考えていると 早くお母さんの許に、連れて帰れたらと
     どんなにか、願っているのに・・・
   11月20日
     朝四時 目を覚せば正彦の息、とぎれ勝ち びっくりして飛び起きて見る
     昨夜は 久方振りにあの様に、おっぱいを飲んだのに 
     考えれば最後の飲み納めであったのか 
     あわれ 小さな命は十八日にして 此の世に別れを告げてしまった
     可愛想でたまらない 口の周囲に飛び火が出来たばかりに 生命までも取られ様とは
     夕方 ○○さんに原っぱの方へ埋めに行って戴く
     箱にも入れず、ただ生れ・・・
     満州の淋しい原に、一人で・・・
     主人に一目でも見せてやりたい
     考えれば限りなし 
     然し 三つも四つもになって、可愛い盛りを死なす人も有るものを・・・
     あきらめて 元気に生きて行かう
   
   夫と別離の翌日のソ連参戦から、赤ちゃんの死まで、小さな手帳に日々の記録を記入。
   21年10月、夫も子供も失って、故郷の土を踏んだが、
   引き上げ後一週間で、疲労と栄養失調で死亡。 
   夫は敗戦を吉林省で迎え、武装解除後にハバロフスクで抑留生活。
   22年11月に故郷に復員、始めて妻と子供の死を知り、
   妻の形見の手帳が残されていたと言う。 
   実家に帰ると、兄は戦死、兄嫁が両親と家を守っていた。
   数年後、兄嫁と再婚し、農業を営む。

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