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ひとり言006 機関車 08年9月9日 午前10時過ぎ 武蔵野線 東浦和駅 東方 予備線 に
見なれない機関車がありました。 前に 保線用のトロッコがあったことがある、上には電力の架線がないところです。 この機関車にパンタグラフがないようにも思えるのですが? ディーゼル機関車でしょうか? 運転台には日よけカーテンがかかっています。 翌日には、ありませんでした。 東川口駅方面から電気機関車が単機できました。 東川口駅方面から電車がきました。武蔵野線 府中本町行き カメラをしまったら、電気機関車が単機で東川口方面に、かろうじて撮影。 先ほどの車種と異なる。 東川口駅方面から電車がきました。武蔵野線 府中本町行き この機関車を見てから、機関車について興味が涌いてきました。 兎に角、形式や特徴がトンと判らない。 首都圏を走る電車でも、路線によって、又快速、普通によって違うのですか??? 覚えると子供のように、ワクワクするようですね?!?!? 電車、機関車について少し勉強しなければ、形式ぐらい判らなければ、 興味も涌かないのでしょうね。 皆さん、いろいろ教えてください。 |
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2008年09月13日
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昭和20年10月のこと その4 三井、三菱、住友などの財閥解体 GHQは、「軍部の解体」という最大の難問のめどがつき、 次に着手したのが「財閥の解体」であった。 日本を今後生かさず、殺さずにアメリカの属国として再生させるには、 日本経済の要ともいうべき「財閥」がやはりアメリカ経済にとって、 将来の憂慮・脅威の対象として、この時点で解体しておかなければならなかった。 財閥の対象として、三井、三菱、住友、安田の4財閥をひとまず解体の対象にした。 このとき、GHQは占領政策上、国民の反感に配慮して、指令という形式ではなく、 あくまで4財閥の「自主的解散」の方向で完了するべく強行交渉が進められた。 表面は政府主導で進行するが、GHQの強行交渉は難攻を極めたのである。 三井財閥は三井本社のもと、直系10社、準直系12社、系列を含め合わせ150社を超え、 公称資本金28億円であった。 三井についで安田は一族が総退陣し解散した。 三菱本社社長・岩崎小弥太はGHQの意向に対して 「三菱は国家社会に対する不信行為はいまだかってなした覚えはなく・・・・ 顧みて恥ずべき何物もない・・・」と自発的解散に抵抗する。 然し、所管の大蔵大臣は渋沢敬三で、渋沢栄一の孫であり、 渋沢敬三は大蔵大臣の役職から「自身、国家存亡のとき、人を説得する立場にある身は、 自身の財閥を解体せねば説得することが出来ない」と渋沢財閥を解散して望んだ。 GHQは「渋沢家は財閥に非らず。 解散を留めよ」と言われたが、解散して対処した。 又、幣原総理は、義父・岩崎弥太郎の作り上げた三菱を解体する役目を担う。 本社社長・岩崎小弥太は幣原首相の妻雅子の従弟。 渋沢敬三の妻登喜子は岩崎弥太郎の孫という関係で、皮肉にも、幣原首相も渋沢大蔵大臣も 三菱一族の家族・親戚として岩崎ファミリ−であった。 然しGHQの意向はいかんともし難かったのである。 財閥解体=10月22日・GHQ指令「主要金融機関または企業の解体または生産に関する
総司令部覚書」を発し財閥資産の恣意的処分を防止し、解体、清算の制限を行うため 三井、三菱等15財閥に事業内容、資本構成等の報告の提出を指令した。 侵略戦争遂行の経済基盤となり戦争のたびに莫大な利益を獲得した財閥(皇室も一つ の財閥を構成した)を解体させることは、とりもなおさず日本の軍国主義の壊滅に 直結するがゆえに、重要な占領政策の一つである。 |

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