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江戸東京・山手 42 鬼平犯科帳の主人公、鬼平こと長谷川平蔵の菩提寺、日蓮宗・戒行寺 池波正太郎原作「鬼平犯科帳」の主人公、火付盗賊改め方長官、鬼平こと長谷川平蔵の菩提寺。 平蔵は実在の人物で、延享3年(1746)赤坂で生まれ。 姓は藤原、名は宣以。 幼名は銕太郎(てつたろう)後に平蔵といった。 寛延3年鉄砲洲築地港町に、明和元年本所三つ目通り菊川町に移った。 母親が妾のため不遇な少年時代を過ごし「本所の銕」といわれる暴れ者になり、 無頼な生活を送ったといわれる。 父宣雄が火付盗賊改のとき、目黒行人坂の放火犯を捕らえ、京都西町奉行に栄転したが、 わずか十ヶ月で急逝した。 その後28歳で家督を継ぎ、心をいれかえ、西城御書院番から御先手弓頭となり、 天明7年(1787)火付盗賊改め方の長官となった。 また、平蔵が建議した無宿人の更生施設、人足寄場が寛政2年(1790)に石川島に創設された。 軽犯者や無宿者を収容し手業を習得させ、工賃の一部を積み立てて、出所時の更生資金に充て、 授産所として成功させた功績は大きかった。 50歳で病死し、ここに葬られたが墓はない。 これは平成6年建立の供養碑である。 戒行寺には鬼平の父宣雄ら五人の火付盗賊改が葬られている。 安部式部信旨 享保9年、 桑島肥後守政恒 宝暦7年、 山岡豊前守景之 明和3年、 長谷川備中守宣雄 安永2年、 菅沼主膳正虎常 寛政元年。 平成6年建立の供養碑 日蓮宗・戒行寺の多宝塔と観音様 幕府・刀の試し切り御用人「首切り浅右衛門」の墓所、曹洞宗・勝興寺 曹洞宗・勝興寺は、須賀町8番、永心寺の向かい側にある。 麹町清水谷から移転した寺で、「首切り浅右衛門」といわれた山田朝右衛門の墓がある。 墓地入り口右側に、正面「天寿院慶心和水居士」とあるのが、 安政の大獄で吉田松陰や頼三樹三郎らの首をはねたことで知られる七世浅右衛門吉年の墓。 側面「萬昌院輪山松翁居士」が六世朝右衛門吉昌の墓。 山田家は享保の頃から浪人のまま幕府の刀の試し切り御用を勤めた家柄で、 首切り朝右衛門一族として明治まで続いた。 本堂前の水鉢は吉昌が奉納した。 |
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