なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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   江戸東京・山手 51
     瑞渓山祥山寺  四谷2−1

   新宿通り四谷2丁目と3丁目の中間に若葉1丁目に通ずる円通寺坂がある。
   新宿通りから円通寺坂を下って、左側に祥山寺がある。 
   祥山寺は以前紹介した忍者地蔵のあるところであるが次のような話がある。  

   祥山寺は、明治19年(1886)四谷塩町笹寺の住職・武村秀学など3・4名が発起人になって、
   四谷区内50余寺院と相談し、基金500円ばかり集め四谷三宝義団を設立し、
   安珍坂下の妙行寺に共立友信学校と名付け、祥山寺の小島栄年が教師となって、
   鮫河橋(若葉町)辺りの貧しい子弟を教育するため学校を開いた。 
   書籍・学用品を給与したので、生徒が思いのほか増加した。 
   そこで妙行寺では狭いので、全勝寺に移して学校を経営するが、3年ほどで500円の基金を
   使い果たしてしまい、各寺院が毎月の経費を負担することにしたが、それも長くは続かなくなり、
   明治24年(1891)ついには廃校になった。 
   父兄はひどく落胆し、小島氏に学校再興を再三にわたり懇願し、四谷区内の有志と計り、
   300人の賛同を得て、毎日3銭づつの寄付を仰ぎ、祥山寺に再び学校を開くことに成った。 
   これが三銭学校の由来であり、4・50人の子供の教育を明治34年(1901)頃、
   小学校義務教育が始まるまで続けたという。
 
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     日蓮宗・妙行寺  若葉2−4

   祥山寺の記載に、明治の時代に義務教育がまだ成されなかった時に、四谷区内の寺院共同で
   共立友信学校を開き、子弟の教育の学校を妙行寺に開いたが、じきに手狭となって
   舟町の全勝寺に移したという。
   全勝寺の記事は 江戸東京散歩・山手 28 全勝寺
      記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/23659870.html

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     日蓮宗・大黒山円通寺  須賀町2

   円通寺坂の祥山寺斜向かい右側に円通寺がある。
   寺の前の坂に、円通寺坂と寺名を付けられたほどの、由緒ある寺と思われるが、
   現在はこの様に近代的な建物に建設されている。

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     浄土宗・五劫山法蔵寺   四谷2−2

   法蔵寺は祥山寺の隣にある。

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   四谷の地は戦災に遭い、この地蔵は戦災の劫火をくぐったものと思われる。

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   法蔵寺第21世住職飯田観隆氏は、先の大戦に赤坂東部6部隊に昭和18年入営出征し、
   中支那・南京上海経由し、仏領サイゴンから北ビルマへ進軍、英印支連合軍と対峙
   激烈な戦闘を交える。 
   昭和20年8月15日終戦、その後抑留生活を送り昭和21年7月帰還。 
   戦友会を結成し此処に記念碑を建てる  とある。

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