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さいたま・大宮 10 金の御幣伝説がある加茂神社 金の御幣伝説がある加茂神社は、さいたま市北区宮原4丁目にある。 境内に入ると、大きな樹木に囲まれていて、落ち着いた静寂を保つ、ただずまいである。 神社の由緒によると 「文化7年徳川幕府により作られた「新編武蔵風土記稿」に「加茂宮村の鎮守の加茂社は 勧進の年代詳らかならず」と記されるが、社前の宝暦3年(1753)弘化2年(1845)の 石灯籠があり、その昔京都上加茂神社から勧進したと伝えられ、別雷の神を祀って 五穀豊穣と万物を生みなし育てる神として崇敬されてきた。 幕府参勤交代の時代、加賀の堀丹波守が中山道を往来の砌、その妻女が産気を催したので 当社に立ち寄りご加護を祈願したところ産気治まり無事国許に帰着し、男子の出産を見たので、 安産御礼に奉納の御幣は現存するという。 生産・安産守護の神として信仰が厚い。 明治41年付近数社と合祀され、42年神饌・幣帛供進の神社として村社に指定された」と 記されている。 神社の霊験に感謝し金の御幣を奉納したという伝説が生まれたという。 江戸時代後期の浮世絵師・渓斎英泉(けいさいえいせん)によって描かれた 「版画・木曽街道六十九次」の中に「上尾宿加茂社」として描かれている加茂神社であるが、 上尾宿としたのは英泉の間違いで、 中間の位置である立場(宿場間に駕籠などを止めて休息する休息施設の在る所)が設けられていた。 「木曾街道六十九次」は歌川広重と共に描いた版画で、24駅分を担当、埼玉県内は 全て英泉の作である。 本殿には、手の込んだ彫刻として、京都加茂神社の「競べ馬」が彫られているという。 「競べ馬」は古く二頭の馬を直線の馬場で走らせ、勝負を競ったもので、 京都加茂の競べ馬が特に有名である。 本殿石組みと鳥居の付近の石灯篭は、バス停「仲屋前」に名を残す中村平右衛門が、 江戸後期の文政9年(1826)に奉納したことが記されている。 例大祭には神楽殿で神楽が奉納されるという。 |
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2009年05月18日
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