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さいたま・浦和 50 さいたま市南区辻の熊野神社と吉祥院 焼き米坂 さいたま市浦和区根岸 浦和宿のはずれにある調神社(つきのみやじんじゃ)から旧中山道を南下し、 さいたま市立南浦和小学校脇から道は急激に下る。 ここが「焼米坂」といわれる坂で、 江戸時代、ここで旅人に焼き米を売っていたため名付けられたという。 「江戸名所図絵」の茶店に「名物新やき米」と書かれた看板が描かれていて、 旅人はここで腹ごしらえして、坂を登った程の難所だったという。 辻の一里塚 さいたま市南区辻7丁目 焼き米坂を下ると六辻交差点で、国道17号線と旧中仙道及び地域生活道路3本が 交差する六辻、国道17号線に平行裏道となっている旧中山道を進むと、 東京外環自動車道下に「辻の一里塚の碑」。 かつて近くに一里塚と弁財天の祠があったというが、開発で消滅し、 保存会の協力で碑が建てられた。 「浦和橋」付近にあったとされる一里塚から丁度南に一里。 マア、今も昔もここは交通要衝の地となっている。 辻の熊野神社 さいたま市南区辻7丁目 辻の熊野神社は「おくまんさま」といわれ、昔から辻の鎮守様として 地域の人々から親しまれ敬われてきたという。 仏教の影響を受けた熊野権現信仰は、神仏習合のかたちで明治まで続き、 明治初年の神仏分離令、明治39年神社合祀令に、存続の危機にさらされたが、 村民の強い願いで大正2年荒廃した本殿を改修、復活させたという。 近年本殿の老朽甚だしく、地域安寧と繁栄を祈り、鎮守様を守り伝え、 先人の意志を未来につなげるため、多額の浄財の寄付を仰ぎ、改修したとのこと。 辻の吉祥院 さいたま市南区辻7丁目 辻の熊野神社の、旧中仙道を挟んで向こう側近く、横道を入ったところに吉祥院はある。 入り口右に、六地蔵尊と子育地蔵尊が祀られている。 左は江戸時代に、寺を護ったであろう僧侶の宝塔、墓石が並んでいる。 正徳2年(1712)、延亨4年(1747)銘が記された宝塔、墓石があった。 正面に質素な吉祥院の堂宇があり、右側には鐘楼があった。 境内のほぼ中央に、大きく高いイチョウの雌木が一本聳え立ち、 間もなく実る銀杏を抱えていた。 |
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2009年10月17日
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