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埼玉:蕨・戸田03 和楽備神社と蕨城址公園 和楽備神社 中山道蕨宿本陣跡の前の交差点を蕨市役所方面に行くと和楽備神社がある。 この神社は蕨宿三鎮守の一つ八幡社であったが、 明治44年(1911)に蕨町内の18社を合祀して、新しい和楽備神社とした。 本殿は平成8年(1996)に火災で焼失し、翌年再建されたのでまだ真新しい。 境内には筆塚の碑、天神社、稲荷神社、榛名神社などが祀られている。 天神社本殿と稲荷神社本殿は蕨市指定文化財に指定されている。 稲荷神社本殿はもと和楽備神社の前身の宮田八幡社本殿を、ここに移築し 稲荷社本殿とした一間社流造で、17世紀ごろの建立と考えられ、貴重な建物である。 榛名神社は、蕨城が渋川氏の支城の一つで、渋川氏没落後も、 ゆかりの地群馬榛名湖に水請いに行く、霊峰榛名山の榛名神社の分社として祀る。 また和楽備神社では、建築三神として、手置帆負命(たおきほおいのみこと)、 八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)を祀り、 建築関係の職人が守護神として祀るもので、通常は聖徳太子を祀るが、 和楽備神社では比較的珍しいこの三神を祀り、毎年建築関係者が集まり祭礼する。 ここにも日本人の信仰の多様性がうかがえる。 昭和11年(1936)に建立された「乃木将軍の像」 日露戦争勃発に、陸軍司令官に任命され、旅順攻略に多大の犠牲者を出してヤット攻略し、 日露戦争勝利に多大の貢献功績を納めた。 しかし、多くの将兵を犠牲にしたことに、明治天皇崩御のとき、夫妻共々殉死自決した。 後に東郷大将と共に、国民から軍神と崇められた将軍。 本殿の後ろにある、日清戦役凱旋記念碑(明治27・8年(1894・5))、 日露戦役記念碑・忠魂碑(明治37・8年(1904・5))、 第二次世界大戦戦没者慰霊碑(大東亜戦争・太平洋戦争とも言う昭和16−20年(1941−5) の4基が並んでいる。 このような戦争碑が一箇所に纏まって在るのはあまり例がない。 蕨城址公園 蕨城は貞治年間(1366頃)に、将軍足利氏の一族・武蔵国司・渋川義行が城を構え、 一族が知行する。 室町時代の末、戦乱の続く関東平定にするため、長禄元年(1457)将軍義政は 近親で九州探題の重職の家柄の渋川義鏡を関東探題として下向させた。 義鏡は義行の蕨城により関東諸将に将軍の令を伝え鎌倉に赴き管領を援けた。 義鏡の子息義尭、その子義基が居城した。 大永4年(1524)北条氏綱により破壊され、城跡のみ残った。 徳川時代、家康は宿駅制度の充実と参勤交代の制施行まで城址に御殿を置いた。 蕨城址の碑
この池を蕨城を囲む堀の一部で、池の南の隣接地が蕨城址である。 徳川時代初期には度々鷹狩りが行なわれ、館を建てて御殿と呼び、堀は御殿堀と呼ばれた。 この蕨城址跡は現在蕨市民公会堂がある。 昭和21年(1946)第二次世界大戦に敗れ、国民が失意の時、 蕨町と蕨町青年団が始めて成年式を始めたのが、その後全国に広がり 「成人の日」制定につながったとされる、「成人式発祥の地」の記念碑。 「成人式発祥の地」の記念碑と蕨市民公会堂。 蕨城址公園に「ニュートンのりんごの木」なるものがあった。 説明によれば、 「イギリスの物理学者アイザック・ニュートンは、 林檎の実が木から落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見した。 ニュートンのりんごの木は、1964年にイギリスから日本に贈られた。 この木はそれを接木したニュートン生家の庭の林檎の木の子孫という。 蕨資性0周年を記念し、次世代を担う子供たちにニュートンのような 豊かな想像力と科学の心を育くんでくれることを願って植樹したもの」 ということです。 蕨の子供たちから、ノーベル賞級の人が誕生するかナー???? |
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2009年10月23日
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