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江戸東京・山手 31 浄土宗・霞関山本覚院太宗寺 新宿2丁目9番に太宗寺がある。 慶長年間(1596−1614)にささやかな草庵であったが、寛永6年(1629)内藤正勝死去の後、 内藤家の菩提寺になって、境内堂宇は急速に拡大され、江戸名刹の一つになった。 浄土宗芝増上寺の末寺で霞関山本覚院。 太宗寺の境内に入り、すぐ右に銅造地蔵菩薩坐像がある。 正徳2年(1712)深川の念仏行者、地蔵正元が建立した。 地蔵坊正元は江戸中を勧進し、浄財を募って6体の地蔵を鋳造した。 正徳年間から享保年間(1711−1735)にかけ,東海道、中仙道、日光街道、甲州街道、奥州街道筋 に建立した。 江戸6地蔵建立縁起に、「地蔵坊重病にかかり、医薬の効尽き果たし、最後に地蔵信仰で 救われた結果発心し、京都6地蔵のちなんで江戸街道筋に地蔵尊体を安置、 旅人ならびに江戸市民の安全を祈願した」とある。 江戸6地蔵は、南品川・品川寺、新宿・太宗寺、巣鴨・真性寺、浅草山谷・東禅寺、 深川・霊巌寺、深川・永代寺の6箇所である。 浄土宗・霞関山本覚院太宗寺の本堂 銅造地蔵菩薩坐像 閻魔堂 閻魔堂には閻魔像が鎮座し左側に脱衣婆像がある。 閻魔像は都内最大で、威容厳然と眼光鋭く、見下ろす姿は、威圧感がある。 元禄、文化年間に数回炎上したので、記録は無いが、運慶の作と伝えられている。 堂前の閻魔殿の額は、清国官吏・秋氏の寄進。 12代将軍家慶時代(1848−1853)に新宿閻御魔様の威名が海外まで、知れていた証。 脱衣婆は閻魔大王に仕える精霊で、「死後三途の川をさまよう亡者達が、 生前善根を施していれば極楽に、悪行を重ねたものは閻魔大王の捌きを受け地獄に追いやる役が 脱衣婆なり」 ここ内藤新宿は享楽遊興のちまたで、閻魔堂を中心に展開されていた昔の新宿の旅籠の賑わいを 映す姿。 閻魔大王 新宿区指定文化財 脱衣婆 新宿区指定文化財 不動堂は閻魔堂と相対する。
祭壇に安置された三日月不動像と布袋像 三日月不動像は江戸時代の作。 額の上に銀製の三日月をもつ。 新宿区指定文化財 新宿山の手七福神・布袋尊像 新宿区指定文化財 願掛け地蔵 稲荷神社 内藤正勝の墓 新宿区指定史跡 江戸時代信州高遠の藩主を勤めた譜代大名内藤家の墓所。 墓塔は中央が五代正勝(寛永6年造立)、右が十三代頼直、左が内藤家累代の墓塔。 |
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2009年02月23日
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