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江戸東京・山手 33 浄土宗正受院 新宿2丁目15番、成覚寺の隣に浄土宗正受院がある。
正受院の梵鐘。 新宿区登録有形文化財工芸品 この梵鐘は宝永年(1711)江戸神田の鋳物師・河合兵部藤原周徳による銅造の梵鐘。 正受院第五世住職覚譽上人が発願し、万人講の助力を得て第八世住職仰誉がかんせいさせた。 この梵鐘は、太平洋戦争中の昭和17年金属供出されたが、 戦後アメリカ・アイオワ州立大学内海軍特別訓練隊にあったのが発見され、 昭和37年12月正受院に返還された数奇の来歴があり、「平和の鐘」といわれる。 江戸時代の梵鐘はこのような金属供出により現存数が少なく、貴重価値が高い。 正受院の奪衣婆像 新宿区指定民族文化財 木造70cm、方膝を立て、右手に衣を握った奪衣婆坐像、 頭巾状の綿を被っているので「綿のおばば」とも言われる。 咳止めに霊験あると嘉永2年、江戸に流行風邪に江戸中から参詣人を集め、 錦絵の題材になった。 小野篁(高村)の作と伝わり、田安家所蔵のもので、奉納されたもので、 元禄年間から安置されていた墨書がある。 奪衣婆は閻魔大王に仕える精霊で、「死後三途の川をさまよう亡者達が、 生前善根を施していれば極楽に、 悪行を重ねたものは閻魔大王の捌きを受け地獄に追いやる役が脱衣婆なり」と怖い存在。 奪衣の重さで善悪を判断したとされる、怖いお婆。 針塚碑と小見外次郎翁胸像 小見外次郎翁は70年にわたる研究と豊かな経験堪能たる技術をもって和裁の最高権威者として 昭和35年 文化財保護委員会において、保存すべき文化財に指定され、 その作品は国立博物館に保存されることになり、和裁の最高権威者の栄誉を 永く後世に伝えるため記念碑を建立。 ビルの谷間、新宿の一等地にある正受院の墓地。 向こう側に、隣の成覚寺の墓地、簡単なブロックの境界。 |
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2009年02月25日
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