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江戸東京・山手 22 迎賓館赤坂離宮 迎賓館赤坂離宮は明治日本の建築界の名誉をかけ、幕末から営々と築いてきた洋風建築技術の、 総力を結集した大事業であった。 明治19年着工、32年に完成。 江戸時代には紀州徳川家の屋敷で、明治維新後、皇居炎上のさい仮皇居に当てられ、 その正門が向いていた坂を紀伊国坂といった。 現在の建築は大正天皇皇太子のときの宮殿・東宮御所としてベルサイユ宮殿を範に 建てられたと言われる。 ベルサイユ宮殿の外観はフランス・ルネサンス古典主義であるのに対し、 迎賓館は古典主義より装飾性の強いネオ・バロック様式であるという。 規模はベルサイユ宮殿に及ばないが、設計者の片山東熊は、工部大学校造家学科第一回生で、 重要文化財の奈良博、京都博、東京国立博物館の表慶館などの宮廷建築家として生涯過ごした。 戦後国会図書館等に使用されたが、昭和42年村野籐吾の手で迎賓館として復旧改装した。 改装費用100億円、5年半後に完成。 1階随員寝室、2階、カクテル・ラウンジ、レセプション・ルーム、大食堂、主賓寝室。 謁見を行うレセプション・ルーム「朝日の間」に黒田清輝の天井画、その他著名な画家、 彫刻家の美術作品で飾られている。 谷口吉郎による和風別館日本閣がある。 迎賓館赤坂離宮の正面入り口の門。 迎賓館赤坂離宮の正面 迎賓館赤坂離宮の正面ゲート、外柵、並木と高層ビル街の背景 迎賓館赤坂離宮の正面ゲート前の道路と外柵。 迎賓館赤坂離宮の正面ゲート前より正面に四谷見付交差点方向に一直線の賓客道路 学習院初等科 迎賓館赤坂離宮正面ゲート前道路は、この学習院初等科正面入り口に。 ここには、皇太子殿下の愛娘・愛子様が学んでおられる。 安鎮坂 安鎮坂より登ってきた車は、まもなく進行方向の左側に学習院初等科、 右折すれば迎賓館正面ゲート、直進すれば四谷見付交差点。 紀伊国坂・食違見付跡 紀伊国坂と外濠通りの交差点近く、迎賓館赤坂離宮の御門があった。 紀伊国坂と外濠通りの交差点。 正面が紀伊国坂、突き当りが食違見付跡、建物はホテル・ニュー・オータニ 紀伊国坂と外濠通りの交差点。 正面方向は外濠通り・赤坂見附方面 高層ビル群。 赤坂プリンスホテル。 紀伊国坂の食違見付跡近くから弁慶濠、赤坂見附交差点、首都高速4号線、高層ビル群。 紀伊国坂の食違見付跡近くから空濠、四谷方面を望む。 空濠は運動場になっている。 右、松の枝に見える、上智大学校舎、下は石垣上の遊歩道。 食違見付跡 紀伊国坂を上り詰めると、食違見付跡に。 ここ食違見付跡は江戸城で一番高いところであるという。 ここからの物見が一番だったという所。 下はホテル・ニュー・オータニの正面の入り口、 正面方向は紀尾井坂方面、
左方向は四谷方面に抜ける石垣下の道路でソフィア通り。 食違見付跡よりの遠望。 迎賓館赤坂離宮と御門を遠望。 |
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