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江戸東京・山手 45 信玄との三方ヶ原合戦で敗走中の家康を助けた、槍の半蔵の墓のある 西念寺 服部半蔵は、徳川家康の三河以来の旧臣で、家康16将の一人に上げられる。 元亀3年(1572)武田信玄との三方ヶ原の戦いに徳川家康は敗れ、 敗走中の家康を得意の槍で助け「槍の半蔵」といわれた。 天正18年(1590)小田原攻めで功を上げ知行8千石を賜った。 本能寺の変で織田信長が討たれた時、家康主従は堺にいたが半蔵の指揮する伊賀者たちにより 山越えし、無事領国へと導いた。 後に家康江戸入城後は、江戸城西門(半蔵門にその名を残す)に屋敷を拝領、与力30騎、 伊賀同心200人を支配し江戸城の警護に当たった。 徳川家康の長男信康(岡崎三郎信康)は、今川氏の人質として駿府で過ごし、 永禄10年(1567)岡崎に帰り、織田信長の娘を娶り岡崎城主となったが、 天正7年(1579)武田勝頼と内通したとの嫌疑がかかり、切腹を命じられた。 このとき服部半蔵は介錯役を果たせず、後に信康供養のために出家し、 麹町清水谷に庵を建て西念と号した。 西念寺には半蔵愛用の槍が保存されている。 服部半蔵の墓、信康の墓、半蔵の槍は新宿区指定文化財、歴史資料に指定されている。 西念寺本堂 服部半蔵の墓 徳川信康の墓 西念寺の裏は観音坂で、真成院が坂を挟んで隣であった。 忍者地蔵の祥山寺 円通寺坂の中ほどにある。忍者寺として知られる。 江戸時代この辺に伊賀組の人々が居住していた町で、 忍者地蔵は彼らの霊を供養したものといわれている。 貧しい生徒のために三銭学校の跡でもある。 |
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2009年03月17日
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