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さいたま・大宮 05 中仙道・大宮宿の今 中仙道・大宮宿はJR大宮駅東口一帯の地域、すなわち今の大宮市街の中心地が、 昔の大宮宿の中心であった。 埼玉県では唯一熊谷市が終戦の前夜昭和20年8月14日夜に米・爆撃機B29の爆撃を受け、 壊滅した都市であったと記憶しているが、浦和宿のあった浦和市(昭和9年2月市制施行、 埼玉県では川越、熊谷、川口に次いで4番目の市制施行で、全国都道府県庁所在地での 市制施行では最も遅い市制施行であった)、大宮宿のあった大宮市(昭和15年11月市制施行) は、共に先の戦争で爆撃の戦禍を免れた都市である。 いや当時は小さな町で、爆撃される程の都市ではなかったことが幸いであったのだ。 終戦後、戦禍を免れたお陰と、東京に近かったため、しかし高崎線・東北線の沿線からは 東京に買い物に出るには地理的に遠いため、高崎線・東北線の要の位置にある大宮は、 商業地として急速に発展した。 昭和30−40年代に商業都市・大宮として大型店出店の幕開けとなり、 大一ビル(現・大一デパート)が昭和37年、中央デパートは41年、高島屋デパートは45年、 西武デパート(現・ロフト)は44年という。 旧中仙道の大宮駅前交差点は、スクランブル交差点になって、昭和46年(1971)埼玉県で 初めて実施された交差点であるという。 そして東北新幹線、上越新幹線が一時大宮駅発着となって更に拍車をかけたのである。 (昭和57年6月に東北新幹線・大宮―盛岡間、上越新幹線大宮―新潟間が暫定開業し、 昭和60年3月に上野―大宮間が開通) 交通網が発達し、自動車社会、電車運転の高速化が進み、東京のベットタウン化が益々進み、 東京周辺の都市発展が爆発的に進展したのである。 旧中仙道・大宮スクランブル交差点。 正面は旧中仙道・浦和、さいたま新都心方面
右角は大宮高島屋デパート。 左角は各銀行大宮支店。 旧中仙道・大宮スクランブル交差点。 正面は大宮氷川神社、大宮区役所方面 旧中仙道・大宮スクランブル交差点。 正面は大宮繁華街、北大宮方面 旧中仙道・大宮スクランブル交差点。 正面は大宮駅東口、左側は大宮高島屋デパート、 右側は大門町商店街 大宮駅前東口広場。 右側は大門町商店街、宮町商店街 大宮駅前東口広場。 正面は大宮氷川神社、大宮区役所方面 右側に大宮高島屋デパート、左側は大門商店街。 大宮駅前東口広場。 大宮駅前東口広場から旧中仙道裏通り、大門・宮町裏通り 大宮駅前東口広場から南銀座通り。 旧中仙道裏通りになる。 旧中仙道、南銀座通りの通路。 この道こちら側は、「片倉新道」と呼ばれ、明治期に東京千駄ヶ谷から片倉製糸工場が、 仲町に移転してきたことに因んだ名称という。 明治34年(1901)大宮仲町に進出し、大正5年に現・さいたま新都心東側に移転した、 世界的高級生糸ミノリカワ・ローシルクを生産。 旧中仙道・宮町交差点からスクランブル交差点方向を望む。 この道は狭く交通が激しいので、年中車の長い行列が続く。 |
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