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さいたま・大宮 33 旗本青木家の墓地(市指定文化財)がある、正法院 真言宗智山派・勅言山正法院は、さいたま市見沼区南中野450の、県道214号線沿いにある。 道路は交通量が多いが、境内に入ると静寂。 今は裏からの出入りになっていた。 六地蔵が迎えてくれたが、六地蔵尊は宝暦8年(1758)に中野村念仏講中によって建立された。 本堂、護摩堂が目立った建物である。 墓地には旗本・青木家一族の墓所がある。 護摩堂 江戸時代ここに地蔵堂があり、明治の初め旧代官・大橋家から薬師如来が奉納され、 地蔵堂に奉安されたが、老朽し昭和63年に護摩堂が再建され、 円空作の薬師如来と12神将が祀られた。 埼玉県で最初に円空仏として確認された由緒がある。 円空作・木造薬師如来立像と円空作・木造十二神将立像 江戸時代前期に円空が彫刻した仏像と神像で、円空仏といわれる仏像。 円空は寛永9年(1632)現在の岐阜県羽島市に生まれ、天台宗や修験を修め、 12万体の像を造ることを祈願し、諸国を旅し造仏を続けた。 現在全国で5千体余りが確認され、埼玉県には150体余り、さいたま市内に60体余りが、 保存されている。 ここ正法院の円空仏が県内最初に発見された像。 (埼玉県指定有形文化財(彫刻)) 旗本・青木高頼一族の墓 青木高瀬一族は、天正2年(1574)より江戸時代を通じ書院番・小姓組番として 徳川幕府に勤仕し、六百五十石拝領の旗本。 正法院は菩提寺で、初代高頼から十代鉄之助まで一族33基の墓石と 6代正周の造立の宝篋印塔一基が安置されている。 青木家の居屋敷は江戸番町(現千代田区四番町)だが、初代高頼が天正18年小田原の役に 供奉し、采地として賜ったこの地に菩提寺を置いた。 当時、菩提寺を変更したり、墓地・墓石が分散する例が多い中で、青木家一族の墓石が ほぼ完全に残されており、貴重な資料と成っている。 しかも、260余年にわたり、禄高を減らす失政が無く、永く家格を保ち、 つつがなく勤勉な幕臣として生きた、能吏官僚であった青木家を物語る墓石群である。 (さいたま市指定文化財) 今話題の火付盗賊改方長官・長谷川平蔵宣以(鬼平)でも、 西城御書院の番士から勤め上げ400石御目見旗本武官であったので、 青木家650石は能吏官僚の証。 宝篋印塔 宝篋印塔は青木家6代正周により、寛延2年(1749)に造立された。 塔の4面に刻された金剛界四仏の種字は、江戸石工による優れた作品。 (さいたま市指定文化財) 梵字につき京都・種智院大学教授・児玉義隆師によると 「刷毛書(朴筆)による、阿閾(東)、宝生(南)、阿弥陀(西)、不空成就(北)で、 近世梵字墨学者、朴筆第一人者・澄禅の字影」とのこと。 本堂前には、「仏足石」「願掛け・供養の繰念珠」「修行大師像」がある。 仏足石 仏足石は、釈迦尊の御足跡を石面の表したもので、インドから中国を経て 日本に伝承されたもので、約1300年以前といわれている。 釈迦尊滅後インド各地で多く模刻された。 当初、釈迦尊を人間的な姿で表すことなど考えなかった時代の民族習慣のためで、 信者は「接足作法」「稽首礼拝」という最高の礼を尽くしたのである。 この「仏足石」は、当正法院の一人の信者が、四国88ヶ所、西国・坂東・秩父観音霊場を 21回巡礼したのを記念して、寄進されたものという。 各霊場の「お砂」が、仏足石の下に奉安されている。 祈願の仕方は詳細に記されている。 また昔より「老衰は足から来る」といわれ、人生共々、足下に充分留意し、 信仰は充実した暮しにつながると結んである。 合掌! 修行大師像 宗祖弘法大師1150年御遠忌奉修を記念して奉安された修行大師像。 願掛け・供養の繰念珠 「念仏の作法」が詳細に記さている、大きな御念珠が吊るされ、作法に従い念誦する。 |
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2009年07月23日
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