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さいたま・大宮 38 大宮公園と寿能城址 大宮公園 大宮の語源は「大いなる宮居」の氷川神社に由来するという。 古来より格式が高く、この大宮の地に男躰宮、宮本の地に女躰宮(氷川女体神社)、 中川の地に簸王子宮(ひおうじ・中山神社)を配し、見沼を神池と見立て、 三社合わせた壮大なスケールを持つ神社である。 年中行事の祭礼には多くの人出があり、特に新年の三が日の初詣は全国ベストテンに入る 180万人の参拝者。 氷川神社の裏山である大宮公園は、明治18年(1885) 武蔵一之宮氷川神社公園としてオープンした。 四季折々の風情を持つ公園には、正岡子規、寺田寅彦、夏目漱石、高浜虚子、森鴎外などの 多くの文化人が訪れ賑った。 昭和初期、公園改造工事が施されスポーツ施設が充実、昭和8年児童プール、 9年野球場が完成、野球場は日米野球で好投手・沢村栄治とベーブルースの対決などの 球史に残る舞台となり、今は夏の甲子園出場校を決める埼玉県高校球児の憧れの球場。 大宮サッカー場は昭和39年オリンピックのサッカー会場に、現在大宮アルディージャの本拠地。 公園内には埼玉県立博物館、弓道場や歴史を物語る行啓碑、青木昆陽の碑などがある。 更に東に、広大な大宮第2公園、第3公園が広がる。 大宮第2公園の北側には、大和田公園があり、 大和田公園には大和田市営球場、大和田市民プール、大宮体育館などの運動施設がある。 大宮第2公園には、ひょうたん池、蓮池、梅林があり、市民憩いの場所である。 5000平方メートルの梅林には、45品種520本の梅が植えられ、 内訳は紅梅150本・白梅350本・枝垂れ梅20本。 例年1月下旬頃から紅梅が、2月中旬頃に白梅が、2月下旬頃に枝垂れが咲き、 3月中旬頃まで花を楽しめる。 大宮の蛍狩りは、江戸後期の渓斎栄泉が描く版画にも刻まれ、 江戸近郷の見沼畔ホタルの名所として知られていた。 明治26年宮中への献上から、大宮の初夏を彩る行事となった。 当時の歌謡に「一番に納めて九重の大内山(宮中宮城内の名称)に奉る」と歌われた。 一時、史跡名勝天然記念物に指定されたが、昭和30年代初めに都市化により絶滅。 自然が生き返ることを願い記念碑を建てたとある。 日本最古の和歌を集めた「万葉集」には4516首の歌があり、 その中に157種の植物が読み込まれている。 万葉時代の人々は新芽・若葉・はな・黄葉などに、時々の思いを託して歌を詠んだ。 万葉人の心を捉えた木々を集めて、並木道を造った。 万葉人の心に触れ、そぞろ歩きを楽しめたらとの道。 寿能城址 大宮第2公園万葉の並木道に潮田橋があり、近くに寿能城址がある。
今から400年以上昔、戦国時代の永禄3年(1560)に、 潮田出羽守が居城した寿能城の跡地。 築城の30年後豊臣秀吉の軍勢により落城した。 土塁は住宅化されるまで残っていたが、現在は松林が切り開かれ住宅地に変わってしまった。 昭和の初期に講により、改修され潮田出羽守の墓石がまつられた。 潮田出羽守にちなんだ潮田橋と道しるべ |
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2009年09月24日
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