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埼玉:蕨・戸田05 戸田の渡し 今は、東京都と埼玉県の境を流れる荒川は、昔は武蔵国の中央を流れ、水量も現在より多く、 満々と水をたたえていて、のどかな風景であった。 木曾・中山道は第2の宿場・板橋から第3の宿場・蕨宿に至る所に、 舟で荒川を渡る「渡し場」があった。 現在の戸田橋及びJR東北・上越新幹線・JR埼京線の下流100m程の所にあった。 中山道は、木曾街道とも呼ばれ、木曾の山々を縫うようにして、京都と江戸を結ぶ、 東海道と並ぶ重要な街道であった。 記録によれば、この渡しは天正年間(1573−91)よりあり、管理は下戸田村が行ない、 天保13年(1842)には、家数46軒、人口226人に対し、 渡し場支配人1名、船頭8人、小役人足31人がいたという。 寛保2年(1742)3艘だった渡し舟は、天保13年には13艘と需要が増え、 「戸田河岸場」として安永元年(1772)には荒川を利用する舟運の拠点として、 幕府公認の河岸となり、天保年間(1832)には5軒の河岸問屋が出来た。 明治になり、交通量も増え、明治8年(1875)に木橋の戸田橋が完成し、 「戸田の渡し」も途絶えることとなった。 栄泉・広重の「木曾街道69次」に画かれた絵は、大きな川の少ない中仙道の中で、 人も馬もゴチャゴチャに乗せて渡す、乗り合い舟を画いた唯一の渡し場風景である。 白鷺は、近くの「野田の鷺山」に、当時多数棲息していた。 昔「戸田の渡し」が人々を乗せて、「乗合舟」が行き交っていたが、
今はJR東北・上越新幹線、JR埼京線、戸田橋が。 戸田側から対岸東京都側を望む。 栄泉・広重の「木曾街道69次」より、「木曾街道、蕨の駅、戸田川渡場」 こちらから、JR埼京線・JR東北・上越新幹線、その先に国道17号「戸田橋」 戸田の渡し跡にある「中山道戸田渡船場跡」の碑。 JR埼京線の電車が通る。 左端に「中山道戸田渡船場跡」の碑と説明版。 道路を挟んで蔵屋敷のある旧家。 下の先方に進む道、約200mが「蕨宿」につながる、唯一残された「旧中山道」の道。 |
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2010年01月17日
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