なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

 ひとり言 32 親友の死
 
 3月25日、60余年にわたり親交のあった友人の死が知らされた。
 別の友人から
 「病気療養中、24日夜亡くなった。 
  通夜は26日午後7時から、告別式は27日午後0時半」と
 連絡があった。
 
 
 年賀状に、体調を崩し入院しているが、順調に回復していると
 書かれていた。
 暖かくなったら、見舞いに行くつもりでいた所であった。
 エ・・・と思ったが、やはり老人は何時どうなるか判らない。
 会いたいと思ったとき、直ちに行動をとるべきであった。
 
 
 通夜に行った。 
 友の多くは高齢で、自身体調管理中で、
 この夜の「寒の戻りの小雨と寒風」にさらされる、
 遠路とも成ればなおの事、夜の行動が制限される。
 80歳を過ぎると通夜の参列者もめっきり少ない。
 義理で参列する人は、ほとんど皆無。
 それだけに、祭壇に飾られた遺影が、皆に微笑み、語りかけてくる、
 しっとりとした葬儀であった。
 
 
 告別式、友人と見送った。 
 しかし最後の別れに、菊の花を手向けたが、
 不思議と悲しみも、むなしさも感じず、
 ただ淡々と友の顔を、瞼に焼き付けた。
 
 
 代表で火葬場まで行く。
 
 控え室で、親戚一同に紹介された。
 故人の中学の後輩が紹介された時、その後輩は、
 故人との関係や思い出を、懐かしく親戚一同に話し出した。
 
 
 故人は20年ほど前、奥さんに先経たれ、一人娘夫婦と同居し孫一人、
 近所に一坪菜園を借りて、悠々自適の生活をしていた。 
 最近は何時も畑自慢と孫自慢、その上、婿さん自慢で円満家庭。
 
 
 故人とは大学の同期。
 彼はわれわれより2才年上の兄貴であった。
 
 彼は戦争末期の昭和20年3月中学校を卒業、
 すぐ請われて、小学校の代用教員として6年生の担任となり、
 終戦後の昭和21年3月まで奉職。 
 それから戦争中に、学徒勤労動員での勉学不足を、
 1年の受験勉強に励み、大学に入学した。
 戦争末期には教職員まで徴兵され、先生が不足していたので、
 特別措置で旧制中学を卒業した者に代用教員の資格を与えていた。 
 中学卒業生は、丁度20歳兵役前の年令であり、
 学徒動員からも外れた人達であったからだ。
 5・6年前に会ったときに
 「この間、小学校の担任であった時の、同窓会に招待されたが、
  どっちが教え子か先生か判らなかった」
 「あの時、何を教えたのかサッパリ思い出せない」と
 言っていた。 
 それもそのはずで、先生と生徒の年令差がタッタの5歳、
 しかも担任の先生と言っても今の高校3年生、
 ただの兄貴の年齢差でしかなかったわけだから。
 
 終戦直後の昭和22年に入学し、
 夏休みに、八ヶ岳縦走、白馬岳縦走、燕岳・槍ヶ岳縦走、
 冬には野沢温泉スキー場などアウトドアーの魅力を教えてくれたのも
 彼であった。
 
 終戦後の大学の、われわれのクラスは、年令の差が6・7歳あった。 
 陸軍士官学校、海軍兵学校卒業間じかで終戦を迎えて勉強し直す者、
 代用教員を務めたもの、兵役を経験したもの、軍需工場で働いたもの、
 ストレートに入学したものなどが、
 ゴチャゴチャに一クラスになっていた。 
 当時は、年令の差は、今のように単に浪人していたわけではなく、
 あらゆる社会的経験を過ごした者の集まりでした。 
 「あなた方が、一番下の年令だったのですね?」と 言う質問。
 「イヤ、一年下の者がいました。 当時は飛び級制度があり、
  中学4年卒業見込み以上というのがあり、
  1年下の年令の者が2人いました」
 
 大学を卒業する時は、就職難で大変だった。 
 今年は就職氷河期などと言われているが、我々のときは
 こんなものではなかった。 
 彼も私も就職には失敗しています。 
 ただあの時代以降、社会の情勢が激変し、
 仕方なく就職した中小企業が、世界的な大企業に成長し、
 取締役などになった幸福者もいれば、
 大企業と思っていたら、いつの間にかリストラ企業になったりして
 思わぬ災難を蒙った者もおる。 
 東京の街が「焼け野原」だったことを知る人が少なくなった。 
 今の日本を建設したのは、我々であったと思っている。
 高度成長時代を経験したが、どうしてドウシテ、
 我々は働いて働いて来た。 
 今では考えられないと思うが、当時の休日は「正月3日、盆2日」と
 言われて、これしか休日が無かった。 土・日も働いた。
 
 地方から出てきていたので、東京には当時「賄い付きの下宿」から
 通学していた。
 親と同居者には、憧れの的。 
 年中下宿を襲って、よく安酒をあおったものだ。
 その度に、介抱されるのは、何時も若手。 良き兄貴であった。
 
 問われるままに、あるいは進んで思い出を話す。
 やはり遺族にとって、親戚にとって、
 故人の人柄の全てを知りたいと思うのが当然である。
 色々と知らない事柄に触れ、故人の人柄を、
 また違う形で知ることが出来ましたと、遺族から礼を言われた。
 いや、故人と対話が出来、こちらこそ嬉しい時間であった。
 
 
 ごく普通の体であったが、以外に骨太で、骨壷に収まりきらず、
 ギシギシと骨を砕いて収めた。
 地方の中学時代の柔道が骨太にしたのだろう。
 
 
 不思議なことに、悲しみも、むなしさも、涙の出る感情も沸かず、
 淡々と遺影と心の会話を楽しんだ。
 「おーい、先に行っててくれ。 ちょっと此方の用事を、
  早いとこ片付けて、後から追っかけるからナー」
 何か、ちょっとそこまで、一緒に行く様な、そんな感じのことでした。
 
 
 

全1ページ

[1]


.
なおじぃ
なおじぃ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事