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埼玉:蕨・戸田 06 戸田の渡し その2 中山道は慶長7年(1602)に整備が始められ、日本橋を起点に、 武蔵・上野・信濃・美濃の諸国を経て、京都まで135里、 宿場は板橋宿から東海道と重なる草津・大津を含め69宿。 戸田渡船場から北に200m程の中山道の道筋は、 文化3年(1806)の「中山道分間延絵図」に、「地蔵堂」と共に描かれている。 渡し口には渡船を取り仕切る「川会所」が置かれ、西方には、「羽黒権現社」があった。 街道には渡船に携わる家々、通行人を相手の茶屋などが建ち、 江戸と京都を結ぶ主要街道として、大名や公家の行列も通行し、 文化元年(1861)には「皇女和宮の下向」にも利用された。 旧中仙道は、この先現在の国道17号線に、沿ったり離れたりしながら、 蕨市内に残る旧中仙道へとつながっている。 水神社 「中山道戸田渡船場跡」の碑から100mほど東に「水神社」はある。 掲示によると、創立時期は定かではないが、正面の「水神宮」の碑には 寛政8年(1796)の銘がある。 古くは荒川のほとりにあり、新堤防が出来てから、現在地に移され、 川岸に住む人たちの氏神様として崇められた。 境内には、「水神宮」「船玉大明神(船の守り神)」の大きな石碑があり、 茨城の大杉神社から勧進した「大杉大神(航海安全の神)」の石碑も合祀されている。 神社の祭礼7月14・5日に飾られる「獅子頭」は、 もと荒川のそばにあった「羽黒社」に古くから伝えられたもので、 戸田市指定の有形民俗文化財。 昔はその年に初めて採れた胡瓜(きゅうり)を水神社に供え、 荒川に流した後でないと、泳ぐことが出来ないとされた。 いわゆる河童伝説であろう? 地蔵堂 200mほど残る「旧中山道」の中間右側に、「地蔵堂」はある。 地蔵堂の建立時期は定かではないが、戸田市内でも最古の木造建築である。 江戸時代に作られた「中山道分間延絵図」にも記された、小さな建物だが、 お堂の規模に不似合いな木組みを使用した 虹梁(こうりょう)・斗栱(ときょう)・木鼻(きばな)・釘隠し(くぎかくし)など 注目すべき建造物という。 お堂の軒に正徳3年(1713)銘入り「半鐘」、 境内に享保16年(1731)銘の「庚申塔」(写真左端)、 応永25年(1418)銘「板碑」、永禄5年(1562)銘「板碑」などがある。 旧中仙道の道 旧中山道の北側より、戸田渡し口、荒川新堤防を見る。 江戸名所図会より 江戸時代の名所旧跡観光案内書「江戸名所図会」に描かれた、
「戸田川渡口羽黒権現宮」「戸田羽黒霊泉」の絵図 昔はのどかばかりではなく、大変なときもあったという。 戸田の渡しも旅人にとっては、やはり難所であった。 「羽黒霊泉」図からは、椋(むく)の木のまたから霊泉がわき、 汲み取って服用すれば、病は癒えるといわれ、参詣が賑ったといわれた。 現代もこのような霊泉があれば、 医者要らず、国民健康保険も要らない、国の健康保険財政も健全?? |
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2010年01月19日
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