なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

   埼玉:川口 36 川口神社

   川口神社
   川口神社は川口市金山町にある。
   社伝によれば、平安時代・天慶年間に武蔵国足立郡司武芝によって、
   武蔵国一宮・大宮氷川神社より分祀勧請したと伝えられる。 
   そのため氷川大明神と称し、崇敬を集めてきた。 
   江戸時代は西宝山大慈院延命寺を別当寺とし、
   名主宇田川家によって社殿の再建修造がされていた。
   明治42年、鋳物師の神・金山権現社を合祀し、川口神社となった。
   11月19日は金山神社の祭礼に、「裸参り」「寒参り」が行なわれ、
   鋳物職人たちの器量上達を願い、裸、裸足で参拝した。

   川口神社の神鏡
   八代将軍吉宗の命を受け、幕府勘定役・井沢弥惣兵衛為永は紀州流土木工法をもって
   見沼新田開発に成功した。
   享保16年(1731)、江戸に産米を江戸に運ぶため見沼通船堀を新設、
   杉島貞七郎保英を配下に工事を担当させた。
   杉島は川口宿の生まれで、享保18年(1733)に、
   工事完成成就に産土神である氷川大明神に、川上因幡守の作とされる神鏡を川口神社に奉納した。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4


   金山神社
   川口は江戸時代日光御成道が整備され、岩淵宿につぐ川口宿が成立し、旅人の往還が多くあった。
   江戸時代後期の「遊歴雑記」に、「この駅の南 うら町筋に釜屋数十軒あり 
   但し釜のみ鋳家あり、釜のみ作る舎あり」と書かれ、街道の裏町通り沿いに鋳物屋が並び、
   鍋・釜・鉄瓶などの日曜品を製造していた様子が書かれている。
   川口鋳物は。室町時代末期からすでに行なわれていた。 
   鋳物に適した鋳型の砂や粘土が取れたこと、街道や荒川・芝川の舟運、
   江戸という大消費地に隣接していたことが、川口鋳物の隆盛の要因である。 
   (丁度戦争後も鍋・釜の需要で川口は同じように商売繁盛し、
   今日の工業都市に飛躍的に発展した経緯があるが、最近は工場が衰退し、
   東京のベットタウンとして、工場が全てマンションになってしまった)

   江戸時代の観光案内書「江戸名所図会」にも、川口の鋳物屋の絵が描かれている。
   原料は山陰の砂鉄を用い、燃料は松炭を使い鉄を溶かしていた。
   明和元年(1764)ごろは、宿駅が整い、
   本陣・脇本陣があり、旅籠が30、戸数314、うち鋳物業は14在ったというから、
   川口の鋳物は古い歴史がある。

   金山神社は南北朝時代暦応年間の御鎮座と伝えられ、江戸時代以降川口鋳物業の発展にともない、
   鋳物師の守護神「金山権現」として篤い崇敬を受けてきた。 
   もとはここより300m南西にあったが、政府の方針で明治42年合祀されたが、
   戦後、国家管理を離れたので、鋳物業関係者と氏子の熱望により、
   金山彦命を御分霊、旧社殿を移築して別宮とした。

イメージ 5

イメージ 6


   梅ノ木天神社

イメージ 7


   護国神社
   昭和23年時の川口市長指導により、市役所神殿の譲渡を受け、
   西南戦争から大東亜戦争に至る戦役に戦没した、川口市内全英霊を奉斎する社として、
   境内に設立し遺族会が主体になり例大祭を主催し、平和と繁栄の礎となった英霊に感謝し、
   平和の努力を誓う行事にしている。

   この脇にこの胸像がある。碑に
   「海軍一等機関兵小池幸三郎を偲ぶ  ・・・・明治33年12月横須賀海兵団に入隊、
   軍艦高千穂の乗組員となり、日露戦役起こるや直ちに旅順攻略に従い、
   決死旅順港口第2次閉塞隊に志願、広瀬武雄海軍中佐指揮の福井丸に乗船して、
   猛砲火の下に港口水道の突入し、・・・・よって自ら爆沈して任務を完遂し、
   広瀬中佐、杉野兵曹長と共に帰らず英魂とこしえに靖国の霊となる、
   実に明治37年5月23日夜である」

   この旅順港口閉塞は、日露戦争の重要任務で、
   後のロシア・バルチック艦隊撃破する「日本海海戦」
   そして日露戦争に勝利する足がかりとなった重要な作戦であった。

   ここ碑に在る広瀬中佐、杉野兵曹長は軍神第1号として、
   当時飯田橋が始発駅の中央線が、東京駅まで開通した時、
   新しい万世橋駅前に銅像として飾られ、東京市民の崇敬の的になった軍神である。 
   その後われわれ小学生の修身教科書、音楽教科書で教育された人物である。 
   太平洋戦争終結後、この銅像は撤去され、行方がわからない。
   しかし、広瀬中佐、杉野兵曹長の他に、
   川口出身の小池一等機関兵が戦死していたことは知らなかった。
   万世橋の銅像は行方が判らなくなったが、この胸像はここに残って、崇拝されている。

イメージ 8

イメージ 9


   浅間神社

イメージ 10

全1ページ

[1]


.
なおじぃ
なおじぃ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事