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埼玉:川口 37 川口の錫杖寺 錫杖寺 真言宗智山派・宝珠山地蔵院・錫杖寺は川口市本町2丁目にある。 寺暦によれば、養老元年(717)に行基によって本堂が建立され、 自ら地蔵菩薩を刻み本尊として開基したと伝えられる。 北条時宗の帰依を受けた鎌倉長楽寺開創の願行上人により再興され、 寛正元年(1460)には室町幕府8代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、 中興の祖宥鎮和尚を普住させた。 それ以降、醍醐三法院直末の関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして、 末寺53ヶ寺を有する名刹として栄えた。 元和8年(1622)には江戸幕府2代将軍徳川秀忠の日光参詣の折休息所となり、 以降歴代将軍により利用された。 3代将軍家光からは金子、材木を拝領し、御成門を建立し、 御朱印20石を賜る、「川口宿」の中核寺院として繁栄した。 錫杖寺の銅鐘 寛永18年(1641)川口宿名主・宇田川氏が先祖供養のため、 川口鋳物師・永瀬治兵衛守久に鋳させ、菩提寺である錫杖寺に奉納した。 江戸時代初期の鋳法を示し、吊り手の竜頭は精巧・美形で、 川口の地場産業・鋳物業の歴史を語る重要な資料として、 埼玉県指定有形文化財に指定されている。 江戸城大奥・最後の老女・滝山の墓 江戸城大奥の老女・滝山は、将軍家定、家茂、慶喜と三代の大奥に仕え、 絶大な権力を持っていたが、徳川幕府が倒れてから、 滝山に仕えた川口出身の女中の実家へ身を寄せ、明治9年その生涯を終えた。 皇女和宮とのあつれきがあったと伝えられる。 滝山の墓がこの錫杖寺の奥にある。 凱旋橋 川口の鋳物業が近代化を果たす契機と成った日露戦争、 その戦勝に錫杖寺前を流れる用水に、架設された記念の石橋と石碑。 現在は橋の欄干の一部が残り、全国的に貴重であると、川口市指定文化財に指定されている。 石碑は川口神社境内に移築されている。 錫杖寺山門である御成門
錫杖寺本堂 埼玉県指定有形文化財に指定された錫杖寺銅鐘 地蔵菩薩堂 菅原道真を祀る天満宮 川口七福神の福禄寿尊を祀る福禄寿堂 錫杖寺前にある市指定文化財の凱旋橋欄干 |
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2010年01月31日
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