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東京見物 006 代々木公園
日本航空発始の地記念碑
明治37・8年(1904・5)の日露戦争後、陸軍は徳川好敏歩兵大尉をドイツに、日野熊蔵工兵大尉をフランスに派遣、飛行機操縦技術習得と飛行機購入を命じ、6ヶ月で技術を習得、4台の飛行機を仕入れ帰国した。
その飛行機を、明治43年(1910)12月19日公開試験を行った。
その前四日間は滑走試験を、五日目,月夜の代々木練兵場に集合した兵卒は、焚き火をたいて風向きを観測, 仮設電話で中央気象台の「午前10時まで無風」の発表に、徳川大尉は複葉アンリ・ファルマン機に搭乗しエンジン始動、エンジンは轟然爆音百雷のごとく林にこだます。
時午前6時10分、やがて滑走30m、フワッと空中に浮いた。
万歳の歓呼の嵐の中、70mの高度に達し、練兵場を2度旋回し、4分間、3000mの飛行距離で着陸、飛行に成功した。
次いで、日野大尉はグラーデ式単葉機に搭乗、1分間、距離1000m、
高度45mの飛行に成功した。
これがわが国航空史上、最初の飛行であった。
当時東京の人口160万の内50万人が見物に来たと言う。
実に百年前の出来事である。
当時を語る記事に、このように載っていた。
徳川好敏陸軍大尉 日野熊蔵陸軍大尉
代々木公園は、戦前戦中は陸軍練兵場、終戦直後米軍に占領され、米軍家族宿舎が建設され、「ワシントンハイツ」と呼ばれた。
昭和39年(1964)東京オリンピック開催時、米軍家族宿舎は男子選手村、独身仕官宿舎は女子選手村に利用され、オリンピック大会運営本部、代々木競技場、などがオリンピックのために造られた。 旧陸軍練兵場、戦後米軍施設など、戦争にまつわる施設が、東京オリンピックに為、スポーツのメッカに変貌した意味は非常に大きい。
昭和46年(1971)に開園した公園は、都民の格好の憩いの場に変身した。
十四烈士自刃の処碑
公園内に「十四烈士自刃の処」と地図にあった。
ガードマンに尋ねると
「昔此処で切腹した人達がいて、碑が立っている」
と言う事なので、幕末当りの事件であろうと想像して、最後に行った所、
なんと私自身の深い内面の奥深くに、未だ棘として突き刺さったままの、
心の傷を思い返す出来事に遭遇した。
昭和20年(1945)8月15日、日本はついに大東亜戦争に敗戦した。
各地での熾烈な戦いに、日本全土は焦土と化し、首都東京も見渡す限り、
焼き尽くされ焦土となったが、全国民はまだ最後の勝利を信じ、意気盛ん、果敢な行動を保っていたが、
昭和天皇の玉音放送に、ついに刀折れ矢尽きて、呆然自失、なす術を失い、濁涙に天を仰ぐのみ。
全国民こぞって、自分の持てる力、全てを出し切り戦ったが、
敗れたると言うことは、まだ不十分であったのではと、
自責の念絶ちがたし。
国敗れて山河ありとは言うものの、
焦土と化した国土を、自身の将来も如何にと、
考えられない事ばかり。
そのような昭和20年8月25日早暁、代々木練兵場の一角なる
此処において、大東塾の副塾長・影山庄平以下18歳の少年に至る
14名の塾生が、
古式に則り、一斉に壮烈極まりなき割腹自刃を遂げた地という。
大東亜戦争終戦の大難に殉じ、祖国再建の尊き人柱に立つと。
十四烈士共同遺書
「清く捧ぐるわれ十四柱の皇魂誓って無窮に皇城を守らむ」
影山庄平辞世歌
「こんとんをひらきて今や天地の始発の時と祈り行くなり」
「国うれふやたけ心のきはまりて静かなるかも神あがるとき」
当時15歳の私、学業を放棄し、勤労動員に明け暮れしていた、軍国少年。
この十四烈士と同じ考えを持ち、共感する年代であった。
この様な行動に、出たかも知れない自分自身と、当時の時代背景を、
70年近く経った今、改めて認識させられたのであった。
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2013年01月16日
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東京見物 005 明治神宮
1月11日(金)
明治神宮に参拝する。
明治神宮は国民の皆様がご存知であります、明治天皇と昭憲皇太后をお祀りした神社です。
明治45年7月30日明治天皇が崩御され、大正3年4月11日に昭憲皇太后が崩御され、明治天皇の御威徳を国民が慕い、御神霊をお祀りしたいとの国民の熱誠により、当時練兵場であった緑深い代々木の地に、明治神宮が創建され、大正9年11月1日御鎮座なされた。
全国から献木された10万本を、植栽した人工林は、鬱蒼と繁る緑の常盤の森の内苑と聖徳記念館、優れたスポーツ施設を持つ外苑とパーティ・セレモニー・結婚式会場の明治記念館からなっている。
正月3が日の初詣は毎年日本一の参拝者を誇る神社であり、毎年3日の大相撲横綱土俵入り奉納、子供の節句祭礼・七五三祭礼、幅広い祭典・行事・祈願・厄払いなどなどの行事。
昭和20年4月14日、大東亜戦争末期の米軍B29爆撃機による空襲で、創建当初の主要建物は焼失した。
昭和33年11月、国の内外から浄財が寄せられ、神社復興再建がなされ
現在の社殿が完成した。
平成5年10月13日、平成御大典記念事業として、神楽殿が竣功した。
平成14年、明治天皇御生誕150年記念施設整備事業の一環として
社務所が新築された。
神宮の森は永遠の森を目指し、壮大な計画のもとに造営され、全国から奉納したいと植樹する木が集まり、北は樺太(サハリン)、南は台湾、更に朝鮮、満州(中国東北部)、(樺太、台湾、朝鮮は当時日本の国土)から届き、その数10万本、在来種を含め350種以上であった。
東京の気候風土にそぐわない種類もあり、現在は250種類と言われ、境内には17万本の木々が豊かに生い茂り、御鎮座50年の機に調査したところ、わずか半世紀で自然の状態になったことがわかり、世界的に注目されたと言う。
明治神宮参拝の主要入り口は、原宿からの南神門、代々木からの東神門、参宮橋からの西神門がある。
ご神木の「くすのき」は、大正9年の御鎮座当時に献木された御神木で、両大樹は「夫婦楠」として親しまれ、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴となっている。
奉納された書初めに展示
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