なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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秩父34観音霊場巡礼旅 第1日 の2
       7月15日(祭日・月曜日)(晴れ)
 
 
第1番・誦経山・四萬部寺 で「発願」
 
一休みし息を整え、本堂に参詣し、持参の「般若心経・写経」1巻を奉納、二人で「般若心経」を唱え、次男の冥福と、これからの遍路旅の無事を祈る。 
納経所で、「納経帳」を購入し、御朱印を頂戴する。 
境内には、参詣者は、我等だけの静かな雰囲気。 
 
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バタバタと本堂の扉が閉じられ、境内の床机が片付けられ、納経所のガラス戸が閉められ、境内には我等2人だけが取り残された。 本堂の後ろの森に日は沈み、本堂は赤い背光に包まれ輝く。
 
 
 
張り詰めた気持ちで、遮二無二に歩き通した脚が、身体イメージ 5が、休息で音を立てて崩れ出した。
老妻は、一番札所・四萬部寺を参詣したら、家に帰ると決め、バスの時間は控えていたが、この時間では、帰宅は大変と思われた。 
「宿が有るので、今日帰らなくとも、明日ゆっくり、帰れば!!」と妻に勧める。
迷った挙句、泊まる事に決定、一人追加の連絡を、宿に電話すると、宿泊は出来るが、追加の夕食は無理とのこと。
 
 
 
 
四万部寺の縁起には、
播州性空上人が弟子幻通に「秩父の里に佛恩を施し、人々を教化せよ」と
命じ、幻通はこの地で、四万部の仏典を読誦し、供養し、経塚を建て、
秩父第1の霊場としたという。 
 
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秩父の名匠・藤田徳左衛門吉久による、本堂は三間四面、表一間向排付の入母屋造り、秩父札所中特に整った建築と言われ、県指定文化財となっている。 
 
内部は江戸浅草講中の寄進で、江戸工匠神田儀助長則が補修している。
 
構造装飾とも代表的な技法を用いた寺社建築は、秩父地方の模範となった建築で、天井には狩野常徳派が描いているという。
本尊は「聖観世音菩薩立像」一木造りは、江戸時代の作とされる。
 
 
本堂正面の左右には、「地獄図、極楽図の彫り物」が目を引く。
 
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本堂脇に「享禄四年(1531)施餓鬼堂」があり、大施餓鬼供養を行うお堂で、関東三大施餓鬼としてのこの堂は、全国でも珍しいという。 
 
 
 
萬霊供養の中心「八角輪蔵」を、衆僧読経のうちに回転させるという。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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「経塚」に鎮座する「釈迦如来像」、納経堂などがある。
 
 
 
「釈迦如来像」は明治の末、盗難に逢い行方知れず、70年近い星霜が流れたある日、銀座の美術店にお姿を現した。 
里人を中心に、釈迦如来を秩父に再びお迎えし、経塚を復元する運動が繰り広げられ、ようやく釈迦如来も帰るべき所に帰り、経塚も復元したと言う(経塚復元の碑より)
 
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杉の古木の下に、開山端山守的禅師(弘治元年(1555)9月没) 「座禅石」がある。 2m×1m位の、平たい大きな石。
 
 
 
 
 
 
宿まで2km位、
「さて歩くか!」
「モウ、一歩も歩けない」と老妻。 
タクシーを呼ぼうにも、聞くところも無い。 
 
「バスでも行けるでしょ! あと30分程でバスの時間よ!!」 
「もう少し此処で休むか!!」
 
 
午後6時、四萬部寺の「夕時の鐘」が、厳かに鳴り響く。 
いよいよ巡礼の旅が始まったのだと実感する。
 
鐘を衝かれた住職さんに
「バスの時間まで、休ませて頂いております」と挨拶。 
「ご苦労様です。 どちらから来られました? 
どちらか宿を取っていますか?」
「2番納経所・光明寺さん近くの民宿・弁天橋に取ってあります」
「これから、秩父の町まで用事があるので、送りましょう」と言うことで、送って頂きました。 
この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
 
車中、粥新田峠越えで四萬部寺に、
そしてこれから歩き遍路旅をすることを、お話する。 
「それは大変でしたね! 無事の結願を祈ります!」と、お別れした。 
有難うございました。 
 
これも「佛縁」であると悟った。
 
宿の近くには、飲食店などは無い様子に、独り分の夕食を、妻と分け合った。
 
 
タイムテーブル
粥新田峠地蔵(13時47分)―粥新田峠放牧地(13時53分)― 秩父市 遠望(13時59分)―榛名山神社(14時41分)―湧水所(15時09分)―高原牧場入口(15時22分)―曽根坂一里塚(15時42分)―小野田峠(15時56分)―誦経山・四萬部寺(16時14分
 
 
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今日の御朱印
   第1番 誦経山四萬部寺
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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今日の郵便風景印
小川郵便局
埼玉県比企郡小川町青山862−1 〒355-0399
意匠:小川和紙の手漉き加工と少年自然の家の遠景を描く
葉書:通常葉書
使用:昭和47.09.01
 
 
 
 
 
今日の万歩計
   27,192歩
18.49km (参考距離)
       (山道歩行の為、正確な距離では有りません)
 
今日の会計
   納経帳・納経料¥2,300  (1ヶ寺)
   交通費     ¥1,240×2名=¥2,480
   弁当・飲料水  ¥1,450(コンビニ握り飯・ペットボトル)
     本日会計  ¥6,230
 
 
 
秩父34観音霊場巡礼旅 第1日 の1
           7月15日(祭日・月曜日)(晴れ)
 
 巡礼旅の始まり
 
JR武蔵野線 ・東浦和駅   7:24  ¥210*2名
JR武蔵野線 ・北朝霞駅   7:38
東武東上線 ・朝霞台駅    7:44  ¥630*2名
東武東上線 ・志木駅 (快速 7:47
東武東上線 ・ 小川町 駅    8:31  ( 埼玉県比企郡小川町 )
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小川町
 
小川町は遠いところと思っていたが、意外に近かった。
 
小川町は、外秩父の山に囲まれた小川盆地に、市街地があり、江戸から川越を抜け、秩父に向かう往還道が、町を東西に抜け「武蔵の小京都」と言われた。 
 
 
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小川町伝統工芸の和紙の起源は、1300年前にさかのぼると言われ、手漉き「細川紙」は、国の重要無形文化財の指定を受けた和紙で知られる。 人口3万の町。
 
先ず 小川町 での行動は、駅より800m程町外れの小川郵便局で、風景印を獲得して記録とすること。
 
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今日は祭日ではあるが、小川郵便局は郵便ゆうゆう窓口が、土・日・祭一定時間開いている、地区拠点郵便局で、窓口で今日の日付の風景印を、捺印記録して貰える郵便局である。 
9時丁度に小川郵便局に着く。 
 
のどかな田園地帯にある郵便局の側に「栃本親水公園」があった。
 
早朝から、子供たちが、水遊びを楽しんでいた。 
きれいな水の流れである。イメージ 24
 
 
 
バスの発車まで、大分時間が有った、いや郵便局に寄るために、わざわざ1台見送った。 
郵便局からの駅前に向かう、町のメイン道路沿いに、万葉集歌が数多く沢山披露されている文化的な町でした。 
一例を挙げれば・・・・・
 
 
 
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説明板によれば、古来から、多くの学者たちによって、研究され伝えられた「万葉集」を、鎌倉時代の学僧・仙覚が、伝来の多くの書写を照合研究し、最初の注釈本「萬葉集注釈」を、この 小川町 の地で、小川和紙を使って完成させ、現存する「万葉集原本」の殆どが「仙覚本の写し」とされるほどだという。イメージ 26
 
「仙覚」の生まれは、比企氏かその縁者とする説があり、 小川町 に大変ゆかりが深いとされている。
 
比企氏は平安時代から鎌倉時代前期にかけて、藤原秀郷の末裔と称し、武蔵比企郡を領する豪族とされる。
ちなみに 小川町 の地名は、 埼玉県比企郡小川町 。
旅は思わぬ所で、思わぬ知識を得るものである。
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
駅前通り奥の、古くからの料亭? 「忠七めし」って何?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
落合橋から粥新田峠を越えて、第1番・四萬部寺への道
 
イーグル路 線バス・ 小川町 駅 前 9:42  ¥400*2名
イーグル路線バス・落合橋  10:04  
            ( 埼玉県秩父郡東秩父村 ・埼玉県唯一の村)
イメージ 3
 
乗客数人を乗せて出発したバスは、 小川町 の町並みから、やがて 東秩父村 の山間を、くねりながら登る。
バスは、走ること25分位で、落合橋に到着、ここで下車する。 
 
落合橋は、埼玉県唯一の村・ 埼玉県秩父郡東秩父村 にある、荒川の源流の一つ「槻川」に架かる橋である。イメージ 4
 
槻川は、「越辺川」に、越辺川は「入間川」に、入間川は「荒川」に合流して、東京湾に注ぐ、いわば秩父山系を源とする、荒川の源流の一つでもある。
 
 
下車して気付いた。 
夏の日差しは、かなりキツイが、都会と違って風が爽やかであった。
 
いよいよ遍路旅の始まりである。
イメージ 5
 
 
昨日掲載の「秩父巡礼古道第1図」をご参照下さい。
 
巡礼古道の地図には、落合橋の周りには「馬方宿跡」「安政馬頭尊」「天明馬頭尊」「如意輪観音」「宝暦庚申塔」などの、石碑群があることが記されていたが、バス停近くには見当たらない。 
 
しばらく行くと橋があり、小さな稲荷神社の赤鳥居が見えた。 川の向こう岸が、古道イメージ 6であった。 
独り旅なら確認に戻るところだが、バス停を一つ過ぎたので、下車地が違うと老妻はオカンムリ!! 
 
「和紙の里・ 東秩父村 にようこそ」と長瀞玉淀自然公園の観光案内板と、並んで7月22日投票日の参議院立候補者公設ポスター板があった。
出発前、不在者投票を済ませてある。 
ここは、山間部に点在する民家・集落が一望できる展望地、集落の中心であイメージ 7イメージ 8ろう。
更に二本木峠入り口、「宝暦六十六部塔」などを経て、橋場バス停まで約40分ばかり歩いて来た。
 
乗ったバスが終点まで行き、引き換えして来た。 
僅かな乗客数なので、我々を覚えていたのであろう、人家もない、こんな所のバス停でウロウロしている我々を、運転手は気がかりな様子で、何度も振り返り出発して行った。
 
橋場バス停前には、「元禄7年イメージ 9イメージ 10イメージ 11イメージ 121694)皆谷地蔵」の堂、「右志ゆんれい道」宝暦2年(1705)の道標があり、道標に従いT差路を、右の道に進む。 
車が充分すれ違い出来る、舗装された広めの道路であるが、先を見て驚いた。 
急坂がズッーーーズッーと続いている。 
 
坂道は、杉・雑木の林を貫いて伸びている。 
 
段々と杉・雑木林は深くなり、鬱蒼として薄暗く、青い空も次第に狭くなり、木漏れ日さえも僅かに照らすのみとなってきた。
 
勢い付けて登っては見たものの、そのうち2歩進んでは呼吸を整え、3歩歩んではハアハア、5歩歩んでハアハアハアと深呼吸、どこまで続くんだと悲鳴を上げ、其のうち脚がガクガクと悲鳴を上げだす始末。 
座ったら立てない・・・腰を降ろして休みたいが、休めない・・・膝に手を当て、深呼吸し、休む。 
このところ散歩もサボリがち、来る前に多少の歩行訓練をしたが、何の役にも立っていないことを、実感!!
 
段々と細くなる、杉林の続く道を、「寛政3年(1791)庚申塔」「寛政12年(1800)馬頭尊」などの前を、懸命に歩くこと、兎に角1時間半、ようやく粥新田峠入り口に到着した。
 
「これから先どれだけ大変か判らないから、帰るなら、ここらで引き返した方が良いと思うが」と老妻に聞く。
「ここまで来たからには、引き返せない!!」
「自分のことで精一杯。 オブッテくれと言われても出来ないよ!!」
「何とか頑張るより、仕方無い!!」 
頼もしいことを言う!!!
 
粥新田峠まで、杉林の続く本格的な山道だ。 
幸い杉の木陰になっており、爽やかな汗を流す。 
二人でアエギ喘ぎながら1時間掛けて登りきる。 
途中、中年男性の一人ハイキング者と、中年女性二人連れのハイキング者が下山してきた。 
「頂上まで、まだあるが、頑張って」 
互いに声を掛け合いながら、摺れ違ったが、このコースでの出会いは、タッタ2組だけの、正に一期一会であった。
 
粥新田峠の頂上は、鬱蒼とした杉林で、薄暗く、目指す四萬部寺へ行く下り道、二本木峠に行く尾根道、大霧山登山道から定峰峠へ行く尾根道の、交差点になっている。
峠の頂にある「粥新田地蔵尊」は赤い新しい涎掛け、誰が被せたか青い帽子がトテモ似合いの、可愛い地蔵尊で、旅の疲れを癒してくれた。 
山の冷気は、汗にしみた肌に優しい。
 
 
タイムテ−ブル
落合橋バス停(10時10分)―稲荷神社(10時18分)―二本木峠入口(10時40分)―橋場バス停(10時59分)―馬頭尊碑(11時28分)―寛政庚申塔(12時20分)―粥新田峠入口(12時44分)―粥新田峠入口(13時46分
 
 
イメージ 13
 
峠を越え、鬱蒼とした杉林から、急に視界が開け、牧草地が広がっていた。
草千里、高原牧場である。
 
武甲山が、 秩父市 内が、遠く望めた。
 
 
 
 
 
今までリュックが、登り脚を引っ張っていたが、下り道になった途端、リュックが、今度は身体全体を、前に前にと、押し進めてくれ、軽やかな足取りで、正に飛ぶが如くに一気に道を下り降りる。
更に視界が開け、 秩父市 内とシンボル武甲山が飛び込んでくる。 
今までの、登りの苦労が嘘のよう!! 
「苦有れば楽有り」正に此の事か!!!
 
イメージ 14
イメージ 15
 
 
 
峠より一気に山を下り、ただ黙々と歩くこと1時間、榛名神社に到着した。 
 
参拝し、そして休息、今朝購入した。
 
コンビニ握り飯をパクつく。 
大分遅い昼飯だが、安堵のひと時である。 
 
しかし飲料水が、心許無く空瓶、心配になってきた。 
もう少し行けば人里近くになる。
 
 落合橋からこの間、飲料水の補給所も、販売所も、又自動販売機も皆無、一番大事な準備が疎かで、不用意であったことを反省。 
我慢、我慢も限界がある。 
 
 
榛名神社は室町時代の昔から、粥新田峠は秩父と関東平野を結ぶ主要な峠で、榛名神社は中腹に祭られ、上州榛名神社本家とも姉妹の関係にある。
 
昔この辺りは湖で、大蛇を弓で退治した北本道本(寛永没)の伝説があり、養蚕の神として尊敬された古社で、峠の休み場所として栄えたと伝えられる。 
峯地区には、南北朝時代の宝筺印塔、五輪塔・板碑がある。
 
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それから歩くこと20分。 
「峯沢の湧き水です ご自由に利用下さい 自然水!!」  
有難や!! 有難や!!! 
正に三拝九拝!! 
甘露!!甘露!!
あらゆる言葉を並べても、語りつくせぬこの気持ち。
 
 
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そこから間もなく、「天保9年(1838)寺山子安観音」「関東ふれあいの道・案内板」には20分。
更に歩いて15分、「曽根坂の一里塚」があり、今の道から外れた所に立つ「宝永5年(1708)百八十八箇所供養塔」「宝暦9年(1759)地蔵菩薩」があった。
 
曽根坂一里塚( 皆野町 指定文化イメージ 18イメージ 19財)には、塚の中央「阿弥陀仏塔」には、碑の中央に「南無阿弥陀佛」と刻まれ、書は江戸時代全国を旅して布教した有名な僧・祐天の書と刻まれ、祐天は後、徳川将軍家菩提寺・増上寺の住職を務めた大僧正。 
更に阿弥陀塔の左右に、「みキハ大ミや」「ひだり志まんぶ」と刻まれ、大宮( 秩父市)、四萬部寺(秩父1番札所)へ行く「道しるべ」でもある。 
年号は元禄15年(1702)、塔の願主は相州(神奈川県)心求・はまの名も刻まれている。 
心求・はまは江戸日本橋の住人で、秩父の巡礼道の至る所に「道しるべ」石の願主として、数多く建てられている。 
江戸からの秩父巡礼の始まりは、元禄頃から盛んになったと考えられるが、この「心求・はまの道しるべ石」は巡礼者の励ましになり、その「願主寄進」は莫大な費用と思われるが、後世に残る最良の寄進だったと思う。
イメージ 22
 
 
 
 
散歩中の地元の老婆2人に、「四萬部寺は、モウ直ぐだから頑張って!!」と励まされた。
だが、疲れた足取りは、行けども行けども、行き着かない。 
脚を引きずり、喘ぎながら、舗装道路の照り返しの熱を、全身に浴びながら、小野田峠を越えて、 東秩父村 から 秩父市 内に、ようやく入っイメージ 21た。 
 
 
 
 
 
 
やがて、泉福寺前の「庚申塔」「地蔵尊」「石碑群」を過ぎ、やっと四萬部寺にたどり着く。
 
時計の針は16時14分。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タイムテ−ブル
粥新田峠地蔵(13時47分)―粥新田峠放牧地(13時53分)― 秩父市 遠望(13時59分)―榛名山神社(14時41分)―湧水所(15時09分)―高原牧場入口(15時22分)―曽根坂一里塚(15時42分)―小野田峠(15時56分)―誦経山・四萬部寺(16時14分
 
 

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