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秩父観音霊場巡礼旅 第2日 の3
7月16日(火曜)(晴れ)
第5番・小川山・語歌堂から第10番・萬松山・大慈寺へ
妻が帰宅すると言うので、秩父駅の方角にコースを変更する。
語歌堂を辞し、語歌橋に向かい、県道11号線に出れば、
秩父駅に行くバスがあるとのこと。
秩父駅方面に行くバスに乗せて、帰宅させれば、
後は気楽に、独り旅が出来る。
県道に出たところに、ラーメン店があったので、昼食にと入る。
渇いた咽喉に、氷の入った水は、甘露!!
立て続けに「お替り、お替り」と飲み干して、店の人はあきれ顔!!
「冷やし中華」に、舌鼓み、ようやく人心地が付く。
しばし休んで、聞けば10番・大慈寺は20分程の近所。
老妻も行くと言う。
支払いを済ませると「これを持って、舐めながら行きなさい」と
アイスキャンデーのご接待、有難く頂戴する。
かくて、
10番・大慈寺に到着。
山門に鎮座する地蔵は、
古色然とした、独り静かに、
瞑想に耽る姿である。
いや、孫を迎える時の、
嬉しそうな老爺やの顔で、
旅人を迎えるその姿は、
なんとも微笑ましい。
30段余の石段を登り、
山門を潜ると本堂。
此処でも「写経」を奉納し、
老妻と「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈願する。
大慈寺は、延徳2年(1490)の
開創で、明応2年(1493)
東雄禅師が再建し開山した。
本堂は玄関風の向拝、奥中央に
内陣を配した、質素な江戸
中期の建築、
山門は三間二面、中一間を
通路とし、左右に仁王尊を
据えてある。
寛政6年作、
金銅仏・子育観音は素朴な
親しみを持つ彫刻が
特徴という。
タイムテーブル
5番・語歌堂(12時50分)―ラーメン店(13時05分−45分)―10番・大慈寺(14時05分―21分)
第10番・萬松山・大慈寺から第11番・南石山・常楽寺へ
大慈寺を辞し、
11番・常楽寺に向かう
県道11号線に
合流すべく道を進む。
途中に 横瀬町 指定の
「数術家加藤兼安の碑」が
あった。
この碑は嘉永元年(1848)に
建てられ、
加藤兼安は天保・嘉永年間(1786−1857)数術を広めた、
大野原生まれの医師で、
算学者で門弟千人を
超えたと言う人物。
県道11号線を進み、
羊山公園で国道299号に
合流し、
国道沿いに羊山公園を
周って進む。
信号機を過ぎ、
右に、石の鳥居の立つ細道を、
桜並木の坂を上れば、
11番・常楽寺であった。
「写経」を奉納し、老妻と
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈った。
納経帳で御朱印を頂く。
台湾からの観光3姉妹
南石山・常楽寺は江戸時代には、
観音堂、仁王門、庫裡を備えた
立派な寺であったが、
明治11年秩父大火で類焼したが、
明治13年に再建された。
昔、寺の住持・門海上人は仁王門建立を
志し、多年勧化に心をくだき、普請半ばで病に倒れ、本願達成が難しくなった。
本尊に快癒を祈ったところ、ある夜、
老僧が金銅神を従え現われ、夢がさめ、
たちまち病全快し、仁王門建立の本願を
達成したという縁起が有るという。
「あら!!」と4番・金昌寺で
出合った台湾観光客の3姉妹に、
再会する。
日本語の流暢な婦人と、
しばし話をし、別れ際にカメラの
シャター押しを頼む。
今までどの札所でも、誰とも
逢わず、我等だけの参詣だったので、二人で映った写真は無い。
記念証拠写真にと、カメラの
シャッター押しを、彼女に依頼した。
タイムテーブル
10番・大慈寺(14時21分)―数術家・加藤兼安の碑(14時31分)―
11番・常楽寺(14時43分―15時04分)
第11番・常楽寺から西武秩父駅へ
常楽寺を辞し、
西武秩父駅に向かう。
常楽寺境内からの秩父市内風景。
中央の高い建物が秩父市役所。
駅はその近くにある。
コンビニがあったので、缶コーヒーを買おうと思ったら、
近くに美味しそうなコーヒー店を発見!!
今日は時間が、半端になってしまったので、老妻を駅まで送り届けて、
帰宅させ、こちらは西武秩父駅近くに取った宿に、
ひとまず落ち着こうと考えた。
ならば、コーヒー店で休んで、美味しいコーヒーでも味わうかと、
妻に聞くと、今日中に家に帰り着けば良いと言う事で、休むことにし、
クリームコーヒーを2つ注文した。 秩父市役所を目標に歩き、
西武秩父駅仲見世で、
妻と別れた。
今日の宿、「鼓美音旅館」に
着く。
タイムテーブル 11番・常楽寺(15時04分)―コーヒー店(15時15分―50分)―西武・秩父駅(16時07分)―鼓美音旅館(16時20分) 郵便風景印の収集に そうだ、まだ時間が有ると、
宿近くの、秩父野坂郵便局で、
風景印を取得。
郵便局は、国道140号線・
彩甲斐街道沿いにあった。
「秩父上町郵便局は、まだ間に
合いますよ」と地図と道順を
丁寧に教えてもらった。
秩父上町郵便局で風景印を取得。
遍路旅のついでに集めていると言ったら、
「近くでは、秩父中村郵便局があります。 秩父郵便局ならば、
8時までやっております。
自転車を貸しますから行かれますか? 中村郵便局は、ぎりぎりですから、行くなら電話しておきます」なんと親切なのだ。
「いや、明後日は街中を廻る予定なので、多分廻れるでしょう」と言うことで、今日は2局取得。
タイムテーブル
秩父野坂郵便局(16時40分)―秩父上町郵便局(16時51分) 今日の御朱印
第 2番 大棚山真福寺 第 3番 岩本山常泉寺
第 4番 高谷山 金昌寺 第 5番 小川山 語歌堂
第10番 萬松山 大慈寺 第11番 南石山 常楽寺
今日の郵便風景印
秩父高篠郵便局
埼玉県秩父市山田1848−1 〒368-0004
意匠:山の春祭りの笠鉾と札所4番金昌寺観音堂の慈母観音を描く
切手:ふるさとの祭り 第10集 祇園祭り(京都)
使用:平.12.10.01
秩父野坂郵便局
埼玉県秩父市野坂町2−16−52
秩父市山田1848−1 〒368-0033
意匠:秩父夜祭屋台と仕掛け花火に秩父鉄道を描く
切手:ふるさとの祭り 第10集 祇園祭り(京都)
使用:平.12.10.01
秩父上町郵便局
埼玉県秩父市上町2−13−3
秩父市山田1848−1 〒368-0035
意匠:上野屋台と秩父夜祭の花火を描く
切手:ふるさとの祭り 第10集 祇園祭り(京都)
使用:平.12.11.01
今日の万歩計
20,607歩
14.01km (参考距離)
(山道歩行の為、正確な距離では有りません)
今日の会計
納経料 ¥1,800 (6ヶ寺)
宿泊費 ¥13,300(民宿弁天橋・一泊夕1朝2食 2名)
食事・喫茶代 ¥4,930 (昼食、夕食、喫茶)
飲料水 ¥750 (ペットボトル5本)
本日会計 ¥20,780
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2013年09月20日
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秩父観音霊場巡礼旅 第2日 の2
7月16日(火曜)(晴れ)
第3番・岩本山・常泉寺から第4番・高谷山・金昌寺へ
常泉寺を辞し、
4番・高谷山・金昌寺に
向かう。
「この橋は 人と人とを結ぶ橋 心と心を結ぶ橋」と標石のある「ふるさと歩道橋」を渡る。
この橋は
別名「お止め橋」と言い、
昔大雨の後、
水かさが増した横瀬川を、
巡礼親子が渡ろうとしたとき、「渡るな、渡るな」との
観音の声で、助けられたと言う、民話が残っている。
横瀬川の渓谷は美しい。
古びた新木茶堂は
室町時代修験者や
観音参りの人々に
茶菓を接待したところと
聞く。
途中、秩父高篠郵便局に
立ち寄り、郵便風景印を
取得する。
キャノン電子(株)工場跡地が
あり、嘗ては 秩父市 の主要産業
として、大勢の従業員が
働いていた所だが、
今は僅かに、果樹園と
なっているようだ。
その隣接に
4番・高谷山・金昌寺があった。
本堂に参詣し、
「写経」を奉納し、老妻と
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を祈願する。
納経帳に御朱印を頂く。
高谷山・金昌寺は、
県指定民俗資料石仏群のある寺として知られ、
本堂は三間四面、
様式は唐風江戸中期の建築物で、本尊は十一面観世音立像、
室町時代行基上人の作と
言われている。
宝永年間より
江戸、北陸、山陰、山陽を
問わず、全国に分布する
信者から菩提供養奉納された
石仏一千余体がある。
中でも子育観音の石仏は、
宋朝様の形式をおび、
人目を奪う見事な像である。
昔、荒木丹下という者に、旅の巡礼娘が食を乞いたところ、「神国の米を佛に供するいわれはない」と打ち痛めた。
娘は「人は神の末なり。吾もまた人なるを、踏み叩くは、神を踏むに同じなり。神は親の心を教え、佛は自他平等を説かれたり」とねんごろに説いた。
ついに丹下は志を改め、
入道となり、
本尊供養に専心したという
縁起が有るという。
子育観音四態
子育観音四態
この観音様は、どこから見ても魅力的である。
子育て授乳の姿は、実に艶めかしい。
しかも見る場所、見る角度により、それぞれ違うお顔を見せ、
今まで、これ程艶めかしく、魅力的な、実在する女性を見たことはない。
台湾から観光に来たという、3姉妹の中老の婦人達に出会う。
一番下の婦人は、日本語が流暢で、しきりに話しかけてくる。
持参の台湾銘菓菓子を、振る舞われた。
中年男性運転のレンタカーで周遊している様子。
タイムテーブル
3番・常泉寺(10時05分)―お止め橋(10時15分)―秩父高篠郵便局(10時37分) ―4番・金昌寺(10時49分―11時51分)
第4番・高谷山・金昌寺から第5番・小川山・語歌堂へ
第4番・金昌寺を辞し、
5番・小川山・語歌堂に向かう。
キャノン電子(株)沿いに、
正面の武甲山に向かって進む。
先に5番納経所・長興寺に行き
「写経」奉納と、参詣祈願する。
納経帳にご朱印を頂戴し、
畑越しの道を5番・語歌堂に
向かう。
「写経」を奉納し、老妻と
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈願する。
昔、本間孫八なるものがこの堂を建てた。
孫八は和歌に親しむ風流人で、
独りこの堂で歌の構想を練っていた。
独りの僧が訪ね来て、歌道の話に及ぶと、夜を徹し歌道の奥義を論じ合った。
翌朝孫八が目を覚ますと旅の僧の姿がなかった。
後にこの僧が聖徳太子の化身で
あったことが判り、
この堂を語歌堂としたという。
山門の雷神は、
とてもユーモラスに見え、
まるで語歌堂のユルキャラ。
タイムテーブル
4番・金昌寺(11時51分)―5番納経所・長興寺(12時22分−37分)―
5番・語歌堂(12時42分ー50分)
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秩父観音霊場巡礼旅 第2日 の1
7月16日(火曜)(晴れ)
第2番札所納経所・向嶽山・光明寺へ
実は、昨日の予定は、3番・岩本山・常泉寺まで巡る予定でしたが、
大幅に予定が狂い、1番・誦経山・四萬部寺で終わってしまった。
今朝も朝食前に、2番・大棚山・真福寺を参詣すべきところだが、
それもしていない。
歩き遍路の原則ならば、1番・誦経山・四萬部寺に戻り、そこから
今日2日目は、出発すべきではあるが、
老妻が午後まで、今日も同行したいと云う事に成り、
2番札所納経所・向嶽山・光明寺で御朱印を頂戴して、
ここから2日目の出発とすることにした。
昨夜の宿「民宿 弁天橋」は
光明寺の直ぐ近く。
朝食を頂き、支払いを済ませて、
直ちに光明寺に。
青銅製の仁王が、厳めしい形相で我
本堂に参詣し、「写経」を奉納し、
老妻と「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈った。
光明寺の縁起には、桓武平氏の始祖高望王の弟・恒望王が大同2年(807)当地で逝去、冥福を祈っ
武蔵7党の一つ丹党が、文保2年(1318)鎌倉建長寺より、法性国師物外を迎え、寺を整備し光明寺と改称。
南北上杉の抗争に、秩父谷は疲弊衰微し、再び永正14年(1517)
鎌倉建長寺五世春澤香梅を迎え
中興した。
小田原北条、甲斐武田、越後上杉
天正15年(1587)卿党は、地元越生・龍穏寺・朝谷禅師を迎え伝法開山し、曹洞宗に改め現在に至ったという。
秩父谷随一の格式を持ち、末寺真福寺(札所2番)、常泉寺(札所3番)、金昌寺(札所4番)、福蔵寺、秀林寺の五寺があった。
武甲山と相対しているので、
山号を向嶽山という。
タイムテーブル
民宿 弁天橋(8時35分)―2番納経所・向嶽山・光明寺(8時40分―9時05分)
第2番札所納経所・向嶽山・光明寺から第3番・岩本山・常泉寺へ
光明寺を辞し、3番・常泉寺に
向かう。
バス道にでて、近くに高篠温泉郷がある。
秩父茶屋を過ぎしばらくすると、横瀬川に架かる山田橋を渡る。
道脇の屋敷内に、農耕の神「宇賀神」の石碑は、珍しい。
江戸・日本橋・高橋兵衛はま夫婦が願主の「元禄・三番道しるべ石」道標があった。
田畑の一本道の先に、
3番・岩本山・常泉寺がある。
厳しい形相の仁王は石像で、
穢れる者を威圧する。
本堂に「写経」を奉納し、
「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を
祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
本尊は聖観世音立像一木造りで、室町時代の作。
周囲には、長命水の井戸、
眼病平癒の不睡の石、子持ち石
などの伝説がある。
岩本山・常泉寺は三間四面、
一間の大唐破風の向拝、
向拝には龍の彫刻を施した
海老虹梁のかごほり細工。
彫士は熊谷玉井住人・飯田和泉と言われ、見事な出来栄えである。
昔、巡礼が十王堂に宿り誦経し、その声は里人の心を打ち喜ばれた。
光明が輝き、地を照らし、里人は驚き、十王堂に集まると、巡礼者はいずこかに消え、霊像が厳然と座していたので、驚き、堂を当地に移し、末永く安置した。
この縁起は、名主堀内家が常泉寺を建て、札所を移した事を物語っていると言う。
タイムテーブル
2番納経所・光明寺(9時05分)―山田橋(9時17分)―3番・常泉寺(9時26分−10時05分)
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