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記事01、 昭和16年(1941)12月8日の朝
当時、毎朝7時のラジオニュースで起床するのが日課だった。
この日の午前7時、ラジオは耳慣れないチャイムが鳴り、続いて、
「臨時ニュースを申し上げます! 臨時ニュースを申し上げます!
大本営陸海軍部発表 帝国陸海軍は、今8日未明、西太平洋において、
米英軍と戦闘状態に入れり。」
国民学校6年生だった私は飛び起き、いよいよ始まったかと
奮い立った。
大東亜戦争勃発です。
顔を洗い、朝食が用意された、丸いちゃぶ台の前に、正座した。
父はすでに、ちゃぶ台の前に座り、お茶を飲みながら、新聞を広げ、
見入っていた。
皆がそろった頃合いに、母が味噌汁の鍋を持ってきて、座った。
父が「大変な、大戦争が起こった。」と一言、皆に告げた。
私は覚悟を決めた。
2年生の妹は、何の意味か判らず、キョトンとしていた。
学校に行ったら、教室では、今朝の臨時ニュースの話で、持切りで、
皆興奮していた。
8時 1年生から6年生まで、全校児童が、校庭に整列した。
丁度、月曜日の全校朝礼集会であった。
壇上の校長先生から、訓示があった。
教室に戻り、担任からも話があり、そして皆大興奮の内に、
1時間目の授業は終わった。
米英に対し宣戦布告、聖戦・開戦の詔勅が、
ラジオを通じて発表された。
午後からは、帝国海軍がハワイ真珠湾に奇襲攻撃をかけ、
米太平洋艦隊を撃滅したとの戦果が発表され、
町中「万歳!! 万歳!!」と、歓喜に満ち満ちた。
帝国陸軍は、フィリピンに、マレーシアに、香港にと攻撃を加え、
勝利を収め、戦況をどんどん南方に拡大して行った。
翌日の教室は、昨日の歓喜興奮以上に、更に一層の興奮が、
満ち満ちていた。
毎日ニュースの度に、大本営発表の「大勝利」のニュースに、
国民は一層勝利の道に向かって、駆り立てられ、
熱狂の坩堝の中に引き入れられた。
緒戦の「勝利」、「勝利」で、熱狂のうちに、昭和16年という年は、
大興奮の中、輝くように暮れて行ったのである。
皆様、ご無沙汰いたしました。
長い間ブログを中断いたしておりました。
その間、多くの皆様が、拙いブログ記事にアクセス下さり、
ただ今、13万件を越えるご訪問者が、記録されておりました。
本当に有難うございます。 皆々様に厚く厚く御礼申し上げます。
昔を知る、歴史の記憶者が少なくなったと、言われています。
「そんな話をしても」と、自分自身疑問にも思っております。
対処大局を踏まえた、重要な話は、なかなか出来るものでもありません。
多くの人にとって、どうでもよい話、採るに足らぬ話になります。
年寄りの寝言、たわ言と読み流して下さい。
何とか続ける努力はしたいと、思っています。
今日の記事は、私の心に残る「記憶の最大事」です。
ここから改めて再出発したいと思います。
今日の記事中、耳慣れない用語等を出していますが、
それも折に触れ、解説した記事として、紹介したいとも思っています。
どんな記事が出来ます事やら? ご覧頂ければ幸いに思います。
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2014年12月08日
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