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記事05 東京大空襲 その3
昭和20年(1945)3月10日
米国・戦史家 E・バートレット・カーは、著書「戦略・東京大空襲」
(大谷勲訳) の冒頭に、次の記述を書いている。(引用)
忘れ難い記憶のひとつは、誰もが心に刻んでいるものだが、
かつて米戦略爆撃機B29副操縦士R・ゲルドー中尉は、
50年を経てもなお「東京大空襲」がはっきりと脳裏に浮かぶのである。
午前1時、房総半島上空に侵入し、爆撃地点まで30マイルの距離に接近、
爆撃体勢に入ろうと、左旋回し終えたとき、
突然すでに炎の海が想像を絶する範囲で、大気の底に広がっているのが、
はっきりと認められ、そのあまりの凄まじさに、
大声で叫びたくなるような衝撃をおぼえた。
前方を飛行するB29が降らす焼夷弾の黒い雨粒は、
地上に到達するやいなや、オレンジ色の閃光を爆発させ、
その閃光は数マイル離れた距離から見ていると、
暗い部屋に巨大なマッチが擦られているようだ。
2000フィートにも及ぶ火焔の長蛇。
そして再び新たに誕生した閃光が滝になり、
波になり火の大海に呑まれていく。
巨体に蓄えてきた焼夷弾6トン余を地獄と化した下界に吐き出すと、
速やかに機首をマリアナ基地に変えた。
この夜、東京にB29爆撃機325機,
2000トン,36万2千発の大量の焼夷弾を投下。
僅か3時間で破壊目標全域に大火災を発生させ、
推定10万人以上を殺戮し、推定5万人が負傷。
26万7千戸(東京の全建物の25%)の家屋が焼失、
120万人(東京全人口506万人)の住居を奪い去った。
これは上空から見た、東京大空襲の状況である。
「浦和へ行くか」
父は既に、帰る家が無いことを、予期していた。
父の声に励まされ立ち上がる。
父の顔も、母の顔も、煤で真っ黒、表裏が判らない程。
行く先は、父の弟が住む浦和別所沼近くの医王寺である。
鉄橋の線路の枕木を渡り歩く。
焼け焦げた枕木もある。
枕木の間から見える水面には、流れに浮かぶ溺死体数体。
渡り終え川面を見れば、岸辺に浮かぶ貯木に遮られ、
折り重なって浮かぶ多数の溺死体。
あの時飛び降りた人達なのか?
はたして何人の人達が助かったのか?
渡り終えた所に土の塊。
「何故、ここに、土の塊」
見れば、レールに腰掛け、幼子をしっかりと胸に抱きしめ、
覆うように絶命した母子。
母が弟を抱きしめ、覚悟の授乳した、その姿にそっくりである。
着ていた衣服は、焼けて一片の布地も無く、
頭髪も全て燃えつき、ムキ出しの皮膚は炭化寸前の褐色、
胸に確り抱かれた幼子も、衣類布地のカケラも無く、
炭化寸前の、風化した銅像の「母子像」。
あと数米、橋上に移動していれば、助かったかも知れないのに。
自然に合掌。
20米位歩いたところで、折り重なって絶命した
10数名の炭化した焼死体。
合掌しながら通リ抜ける。
あちらに数体、こちらに数体、無数の炭化した焼死体。
地獄絵そのものである。
小高い線路上からの眺望は、
青白くたなびく煙に包まれた、数十km先まで遮るものが無い、
「一望千里、瓦礫の焼け野原」、
家々が立ち並んでいたなど、微塵も想像出来ない光景。
焼け爛れ、まだ熱さの残る、道路のアスファルト。
子供を守ろうと覆い被さって絶命した炭化した親子。
背負った幼子が母親の傍に転がる炭化した母子。
猛火に果敢に立ち向かい放水筒を抱えて殉職した炭化した消防士。
消防士から消防車までのバネ状の螺旋鉄線コイル、
繋がれた消防ホースの焼けた残骸であろう。
焼け爛れた消防車。
消防車の傍でポンプ調整しながら殉職した消防士。
道路に散在する炭化した焼死体。
防火水槽に殺到し、折り重なる焼死体。
腹が破裂し、腸が飛び出した馬車馬・牛車牛。
あたかも牛馬の丸焼き。
鼻を突く悪臭。
両国橋では隅田川に漂う、夥しい無数の溺死体。
正に、この世の地獄である。
ボロボロの衣服をまとい、さながら地獄の道を、
無気力にとぼとぼと歩く、我等親子の頭上を、
B29が高高度で一機、飛行機雲を引いて悠々と飛び去る。
両国橋を過ぎた頃、父の視力が弱り、手を引いて歩く。
「上野から北行きの電車が出るそうだ」との噂で上野を目指す。
上野駅は焼け落ちていた。
電車は上中里駅から折り返し運転とのことで、
上野駅から上中里駅まで線路上を歩く。
電車が荒川の鉄橋を渡る。
「川口は焼けていない。」
川口駅で下車する。
川口駅前では、婦人会によるお茶と醤油味の握り飯のお接待、
有難く戴く。
今日、始めて口にする、飲み物と食事。
美味しかった!!
そこで洗眼と火傷の手当ても受ける。
とにかく、川口の、父の叔父の家に転がり込む。
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