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記事07 東京大空襲 その5
その後、大都市、中小都市に無差別の焼夷弾による,
本格的な大空襲が始まり、各都市は壊滅的な打撃を受けた。
東京だけでも3月10日以後4月13日350機、
豊島・渋谷に焼夷弾2000トン、
被災家屋20万戸、被災者66万人、死者2450人。
5月24日560機、麹町・麻布・牛込・本郷に,
焼夷弾3500トン、被災家屋7万戸、被災者24万人、死者760人。
5月25日,500機、中野・四谷・牛込・赤坂・世田谷に
焼夷弾3300トン、被災家屋16万戸、被災者62万人、死者3650人。
東京は60%以上の家屋が被災焼失、全市瓦礫の焼け野原となり、
壊滅的な打撃を受けたのである。
3月10日以前は軍事施設、工場に爆弾による空襲が多く、
爆弾は直撃を受けると被害は甚大であるが、被害範囲は限られる。
木造家屋が密集していた東京に、焼夷弾攻撃は、
被害が広範囲にわたり甚大な被害であった。
しかも当時隣組単位で、家屋を自衛防衛するように、
防空演習で常に指導されていたが、
防火用品の「砂」と「水」では焼夷弾は消火出来ない。
3月10日は木造家屋密集地帯に、
始めての大量の焼夷弾攻撃を受けた為と、
家屋自衛の指導を守ったがため、多くの人々が
避難の時期を失い、数多くの犠牲者を出した。
余りにも多くの犠牲者が出たので、以後は警戒警報が出たら、
早めに安全な所に避難するよう指導され、
また戦火を逃れる為地方に疎開する人々が多くなり、
「3月10日の教訓」で以後の空襲では死者の数が激減した。
5月24日の空襲で勤労動員先の逓信省電気試験所は焼失、
やむなく次の動員命令まで学校に復帰した。
8月15日終戦を迎え、生命の安堵を得たが、その後米軍の進駐。
矢継ぎ早に命令、通達が出された屈辱の日々。
今まで受けた教育の全面否定。
上野地下道に群がる戦災孤児達、
国民全体が自ら生き延びる生活に追われ、
彼らに手を差し伸べる余裕もない。
何故、軍部は無謀とも言える戦争に走ったのか。
何故、あの時、死の極限に立たされたのか。
何故、恩師、親友、親戚、従兄弟、幼友達を
沢山失わなければならなかったのか。
国の御楯となると逍遥と散った先輩諸兄。
少年とはいえ、積極的に戦争に荷担した軍国少年であった自分は、
被害者であると共に、戦争犯罪人ではないか。
何故、何故、何故。
死の極限に幸運にも生きた、いや「生かされた」のは、
これから社会に何らかの貢献をするよう、
重い荷物を託された天の声を聞く、そんな気持ちであった。
国の復興に、全力を注がねばと決意する。
戦没学徒の遺書「きけわだつみのこえ」を読んで涙し、
色々の資料や本を読み、A級戦犯を裁く「東京国際軍事裁判」の
審議にも、関心を示せども、
何故、何故の疑問は、幾十年、脳裏の片隅から消えることなく、
心の傷として引きずってきた。
ここ30年位、3月10日には、
本所にある東京都慰霊堂にお参りする。
9月1日は関東大震災で亡くなった人達を、祭る震災祈念堂で、
そこに、戦災で亡くなった人達も祭っている。
祈りながら、恩師、親友と語らい過ごす貴重な時間である。
そこから歩いて仙台堀川の鉄橋に行くことを常にした。
奇跡的にも、線路は複線になって、当時のまま現存する。
ここに来ると、勇気と希望が湧いてくる。
緑深い遊歩道に変身した堀川のベンチに腰掛け、
色々考え貴重な時を過ごすのである。
老いてしばらく訪ねなかったが、先日3年振りに、
訪れた奇跡的に現存する鉄橋は、
更に奇跡的に「南砂線路公園」となって、
複線部分の片側が遊歩道に、片側が元の単線貨物線路に変身、
「奇跡的に生き延びた、正にその場所」
「奇跡的に生き延び、感動的に日の出を眺めた、
正にその場所」を、
丁度70年後に感動的に見ることが出来た日でもあった。
これも小学校1年生以来の親友、
元社会党 江東区 議会議員・赤海巌君が、
「江戸発展の水運遺跡である、仙台堀川・横十間堀川を、
緑地公園に改修して永久保存」する運動を発案し、
精力的に貢献、完成させた成果で、彼の努力と献身に感謝する。
戦争を体験したので、憲法第9条の戦争の放棄は、
世界に誇れる理念と信じている。
まだまだ各地に武力衝突が繰り返され、
恒久平和は実現されません。
何故、世界中の政治に携わる者達は、臆面もなく相手を中傷し,
傷つけ殺し合わせようと、国民を扇動し、煽り立て、
自分だけが自国だけが、あたかも、真の正義、人類の救世者ズラし、
傲慢な態度を取り続けるのだろうか?
また、国民は何故、そのような人物を、
偉大な人物として、崇拝するのだろうか?
国際情勢の変化に対応し、世界に貢献するために、
第9条の改正が必要との論議がなされているが、
唯一原爆の被災国、戦争の愚かさを知る日本は、
世界唯一第9条の理念の本質を、世界にアピールし、
民族・国家間の相互理解と協調、友好関係を求め
恒久平和を願うべきだと思う。
戦争はいつも、核シェルターの中で、身の危険を感じない、
一握りの人達の指令により、起こされ、
犠牲になるのは、常に一般国民であり、弱者である。
恒久平和を願っています。
この上の写真には、10万余人の焼死・溺死した犠牲者、
4万余人の負傷者、100万人の家を失った人たちが、
露頭に迷い、彷徨っている姿が、写り込んでいます。
私も両国橋付近で、ボロボロの焼け焦げた衣服を着て、
力なく彷徨っている姿が、 写されています。
高高度で、飛行機雲を引いて、悠然と飛行する、偵察機1機の姿は、
脳裏に未だ焼き付いています。 10時40分ごろのこと
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2015年03月17日
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