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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第4日の2
平成29年7月20日(木曜日)(晴れ)
「第13番・浅草観音」 は子供の頃から、幾度も訪れ、参詣していたが、正式に「坂東33観音霊場」 の寺院としての認識が無く、「浅草の観音さま」 と言う認識でお参りしていた。 改めて、初めて正式に参詣する気持ちである。
戦災前の、子供の頃の、浅草の賑わいを、おぼろげながら記憶している。
浅草仲見世、松屋の屋上遊園地、花やしき、映画館・見世物小屋・芝居小屋が立ち並ぶ浅草ロックの歓楽街。
子供が決して踏み込んではイケない、浅草ロックの歓楽街を、ズボンに1銭銅貨数枚をジャラつかせて、ガキ友とソーット覗いた、わくわく感が、たまらなく懐かしさを、思いださせる場所でもある。
江戸の昔、浅草寺本堂の西北一帯を俗に「奥山」と呼び、江戸の盛り場として大道芸人や見世物小屋で、賑わう著名な場所であった。
本堂の奥にあったことから名付けられたという。
明治以後その賑わいは、浅草寺西側の公園六区へと変わり、六区は日本一の興行街。映画のメッカとして栄えたが、その前身が{奥山}だったと言われる。
浅草寺周辺の賑わい
浅草寺から道ひとつはさんだ所にある
「銭塚地蔵堂」 は昭和39年に再建された。
江戸時代山口なる者が居り、妻がある日、寛永通宝が沢山入った壺を掘り当てた。
これを頼って働かなければ、家が滅ぶと考え、誰にも言わず再び土中に埋め戻した。
この心掛けに一家は繁栄したので、壺の上に地蔵尊を祀ったと言う。
商売繁盛の御利益があるという。
大正8年、江戸歌舞伎ゆかりの地、浅草寺境内に、劇聖と謳われた明治の名優9代目市川団十郎の歌舞伎18番 「暫」 の銅像が造られた。
近代彫刻の先駆者・新海竹太郎の傑作。
第2次世界大戦中(太平洋戦争)の昭和19年金属類回収の為、この銅像も供出の命を受け、40余年を経て、12代・13代市川團十郎襲名に当たり、念願の銅像を再鋳造して、再現を果たした。
浅草寺仲見世
商店街の風景
花やしき
東京メトロ銀座線・ 浅草駅 17.50―上野駅 17.55 ¥170
JR京浜東北線・ 上野駅 18.02―蕨 駅 18.27 ¥310
御朱印 第13番 金龍山浅草寺(浅草観音)
第4日目のタイムテーブル
自宅 14.00―徒歩1.3km−蕨駅 14.26 ―交通機関乗車―浅草駅 15.01―浅草寺(15.20−17.40)―浅草駅17.50―交通機関乗車―蕨駅18.30―徒歩1.3km―自宅 18.55
本日歩数記録 14770歩 歩行距離8.7km
交通費 ¥960 納経帳御朱印・他 ¥500 食事・ボトル茶 ¥1760
本日総経費¥3220
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2017年12月08日
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第4日の1
平成29年7月20日(木曜日)(晴れ)
JR京浜東北線・ 蕨 駅14.23 ―上野駅 14.46 ¥310
東京メトロ銀座線・ 上野駅 14.56―浅草駅 15.01 ¥170
第13番 金龍山浅草寺(浅草観音)
納経帳御朱印 ¥300 他 滞在時間 15.20−17.40
「雷門(風雷神門)」 は天慶5年(942)、平公雅によって創建されたのが始まり。
門の正面向かって右に「風神」 左に「雷神」 を祀ることから、「雷門(風雷神門)」と呼ばれ、門の裏側には向かって右に「金龍」 左に「天龍」 の竜神像が祀られ、これら四神は、浅草寺護法善神として、伽藍守護・天下泰平・五穀豊穣の守り神とされる。
現在の門は、慶應元年(1865)の浅草田原町の大火で炎上した門に替わり、昭和35年松下幸之助氏の寄進により復興された。
浅草寺参詣の入口にあたる「総門」として、浅草寺の顔として有名である。
仁王を安置する仁王門は、消失と再建を繰り返し、慶安2年(1649)再建の山門は、昭和20年の空襲で焼失まで、威容を誇っていた。
現在の「宝蔵門」 は大谷米太郎氏の寄進で、昭和39年に宝物収蔵庫を兼ねた山門として建てられた。鉄筋コンクリート造リの重層の楼門。
旧山門と同様に、江戸初期の様式に、錦戸新観・村岡久作の制作による、木曾ヒノキ造の仁王像を安置。 高さ5.45m、重さ1000kg。
仁王は身体健全、災難厄除けの守護神で、所持する金剛杵は全ての煩悩を破る菩提心の象徴。
浅草寺縁起によると、推古天皇35年(628)今の隅田川で漁をしていた時、網にかかった観音像を祀ったのが始まりと言う。
大化元年(645)勝海上人がこの地に観音堂を建立し、本尊を秘仏と定めた。
平安初期、慈覚大師が比叡山から來山し、さらに信仰が深まり、比叡山とのつながりも強まった。源頼朝が、深く帰依し寺領寄進、その後徳川家康が江戸入府後に徳川家祈願所とした後、徳川3代将軍・家光が観音堂を建立した。 宝篋印塔は「宝篋印塔陀羅尼経」の法典に基づいて造立された塔で、江戸時代中期に流行した。 これは江戸時代を代表する名工鋳物師・西村和泉守藤原政時が宝暦11年(1761)に鋳造した作。
阿弥陀如来像は極楽浄土で法を説き、無量の光明と寿命を持って、永遠の生命を与える仏と言われる。 この像は唐銅製で、阿弥陀三尊像として、元禄6年(1693)の作。
現存する都内最古の石橋で、元和4年(1618)浅草寺の東照宮(現存せず)造営の時、参詣の為の神橋として造られたもので、文部省重要美術品に認定された。
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